龍潭譚 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鞠唄《まりうた》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|里《り》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)[#ページの左右中央] (例)[#ここから2字下げ] (例)※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]] (例)せツ[#「せツ」に傍点] ------------------------------------------------------- [#ページの左右中央] [#ここから2字下げ] 躑躅か丘  鎭守の※[#「示+土」、第3水準1-89-19]  かくれあそび  あふ魔[#「麾」の「毛」に代えて「鬼」]が時  大沼 五位鷺  九ツ谺  渡船[#底本では「船」は「搬−てへん」]  ふるさと  千呪陀羅尼 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#5字下げ]躑躅《つゝじ》か丘《をか》[#「躑躅か丘」は中見出し]  日《ひ》は午《ご》なり。あらゝ木《ぎ》のたら/\坂《ざか》に樹《き》の蔭《かげ》もなし。寺《てら》の門《もん》、植木屋《うゑきや》の庭《には》、花屋《はなや》の店《みせ》など、坂下《さかした》を挾《さしはさ》みて町《まち》の入口《いりくち》にはあたれど、のぼるに從《したが》ひて、たゞ畑《はた》ばかりとなれり。番小屋《ばんごや》めきたるもの小《こ》だかき處《ところ》に見《み》ゆ。谷《たに》には菜《な》[#底本では「菜」は「くさかんむり/綵のつくり」]の花《はな》殘《のこ》りたり。路《みち》の右左《みぎひだり》、躑躅《つゝじ》の花《はな》の紅《くれなゐ》なるが、見渡《みわた》す方《かた》、見返《みかへ》る方《かた》、いまを盛《さかり》なりき。ありくにつれて汗《あせ》少《すこ》しいでぬ。  空《そら》よく晴《は》[#底本では「晴」は「晴のつくり」にかえて「睛のつくり」]れて一點《いつてん》の雲《くも》もなく、風《かぜ》あたゝかに野面《のづら》を吹《ふ》けり。  一人《ひとり》にては行《ゆ》くことなかれと、優《やさ》しき※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、3-7]上《あねうへ》のいひたりしを、肯《き》かで、しのびて來《き》つ。おもしろきながめかな。山《やま》の上《うへ》の方《かた》より一束《ひとたば》の薪《たきゞ》をかつぎたる漢《をのこ》おり來《きた》れり。眉《まゆ》太《ふと》く、眼《め》の細《ほそ》きが、向《むかう》ざまに顱卷《はちまき》したる、額《ひたひ》のあたり汗《あせ》になりて、のし/\と近《ちか》づきつゝ、細《ほそ》き道《みち》をかたよけてわれを通《とほ》せしが、ふりかへり、 「危《あぶ》ないぞ/\。」  といひずてに眦《まなじり》に皺《しわ》を寄《よ》せてさつ/\と行過《ゆきす》ぎぬ。  見返《みかへ》ればハヤたら/\さがりに、其肩《そのかた》躑躅《つゝじ》の花《はな》にかくれて、髪《かみ》結《ゆ》ひたる天窓《あたま》のみ、やがて山蔭《やまかげ》に見《み》えずなりぬ。草《くさ》がくれの徑《こみち》遠《とほ》く、小川《をがは》流《なが》るゝ谷間《たにあひ》の畦道《あぜみち》を、菅笠《すげがさ》冠《かむ》りたる|婦[#底本では「婦」は「女+帚」]人《をんな》の、跣足《はだし》にて鋤《すき》をば肩《かた》[#底本では「肩」は「戸」に代えて「戸の旧字」]にし、小《ちひ》さき女《むすめ》の兒《こ》の手《て》をひきて彼方《あなた》にゆく背姿《うしろすがた》ありしが、それも杉《すぎ》の樹立《こだち》に入《い》りたり。  行《ゆく》く方《かた》も躑躅《つゝじ》なり。來《こ》し方《かた》も躑躅《つゝじ》なり。山土《やまつち》のいろもあかく見《み》えたる、あまりうつくしさに恐《おそろ》しくなりて、家路《いへぢ》に歸《かへ》らむと思《おも》ふ時《とき》、わが居《ゐ》たる一株《ひとかぶ》の躑躅《つゝじ》のなかより、|羽[#底本では「羽」は「栩のつくり」]音《はおと》たかく、蟲《むし》のつと立《た》ちて※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》を掠《かす》めしが、かなたに飛《と》びて、およそ五六|尺《しやく》隔《へだ》[#底本では「隔」は「儿」に代えて「希−布」]てたる處《ところ》に礫《つぶて》のありたる其《その》わきにとゞまりぬ。羽《はね》をふるふさまも見《み》えたり。手《て》をあげて走《はし》りかゝれば、ぱつとまた立《た》ちあがりて、おなじ距離《きより》五六|尺《しやく》ばかりのところにとまりたり。其《その》まゝ小石《こいし》を拾《ひろ》ひあげて狙《ねら》ひうちし、石《いし》はそれぬ。蟲《むし》はくるりと一《ひと》ツまはりて、また舊《もと》のやうにぞ居《を》る。追《お》ひかくれば迅《はや》くもまた遁《に》げぬ。遁《に》ぐるが遠《とほ》くには去《さ》らず、いつもおなじほどのあはひを置《お》きてはキラ/\とさゝやかなる羽《は》ばたきして、鷹揚《おうやう》に其《その》二《ふた》すぢの細《ほそ》き髯《ひげ》を上下《うへした》にわづくりておし動《うご》かすぞいと※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》さげなりける。  われは足踏《あしぶみ》して心《こゝろ》いらてり。其《その》居《ゐ》たるあとを踏《ふ》みにじりて、 「畜生《ちくしやう》、畜生《ちくしやう》。」  と呟《つぶや》きざま、躍《をど》りかゝりてハタと打《う》ちし、拳《こぶし》はいたづらに土《つち》によごれぬ。  渠《かれ》は一足《ひとあし》先《さき》なる方《かた》に悠々《いう/\》と羽《は》づくろひす。※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》しと思《おも》ふ心《こゝろ》を籠《こ》めて瞻《みまも》りたれば、蟲《むし》は動《うご》かずなりたり。つく/″\見《み》れば羽蟻《はあり》の形《かたち》して、それよりもやゝ大《おほい》なる、身《み》はたゞ五彩《ごさい》[#底本では「彩」は「綵のつくり+彡」]の色《いろ》を帶《お》びて青《あを》[#底本では「青」は「睛のつくり」]みがちにかゞやきたる、うつくしさいはむ方《かた》なし。  色彩《しきさい》あり光澤《くわうたく》ある蟲《むし》は毒《どく》[#底本では「毒」は「毋」にかえて「母」]なりと、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、5-4]上《あねうへ》のヘ《をし》へたるをふと思《おも》ひ出《い》でたれば、打置《うちお》きてすご/\と引返《ひつかへ》せしが、足許《あしもと》にさきの石《いし》の二《ふた》ツに碎《くだ》けて落《お》ちたるより俄《にはか》に心《こゝろ》動《うご》き、拾《ひろ》ひあげて取《と》つて返《かへ》し、きと毒蟲《どくむし》をねらひたり。  このたびはあやまたず、したゝかうつて殺《ころ》しぬ。嬉《うれ》しく走《はし》りつきて石《いし》をあはせ、ひたと打《うち》ひしぎて蹴飛《けと》ばしたる、石《いし》は躑躅《つゝじ》のなかをくゞりて小砂利《こじやり》をさそひ、ばら/\と谷《たに》深《ふか》くおちゆく音《おと》しき。  袂《たもと》のちり打《うち》はらひて空《そら》を仰《あふ》げば、日脚《ひあし》やゝ斜《なゝめ》になりぬ。ほか/\とかほあつき日向《ひなた》に唇《くちびる》かわきて、眼《め》のふちより※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》のあたりむず痒《がゆ》きこと限《かぎ》りなかりき。  心着《こゝろづ》けば舊《もと》來《き》し方《かた》にはあらじと思《おも》ふ坂道《さかみち》の異《こと》なる方《かた》にわれはいつかおりかけ居《ゐ》たり。丘《をか》ひとつ越《こ》えたりけむ、※[#「戸の旧字+犬」、第3水準1-84-67]《もど》る路《みち》はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡《みわた》せば、見《み》まはせば、赤土《あかつち》の道幅《みちはゞ》せまく、うねり/\果《はて》しなきに、兩側《りやうがは》つゞきの躑躅《つゝじ》の花《はな》、遠《とほ》き方《かた》は前後《ぜんご》を塞《ふさ》ぎて、日《ひ》かげあかく|咲[#底本では「咲」は「つくり」の上半分が「八」]込《さきこ》めたる空《そら》のいろの眞蒼《まさを》き下《した》に、彳《たゝず》むはわれのみなり。 [#5字下げ]鎭守《ちんじゆ》の|社[#「示+土」]《やしろ》[#「鎭守の社」は中見出し]  坂《さか》は急《きふ》[#底本では「急」は「(危−厄)/(帚−冖−巾)/心」]ならず長《なが》くもあらねど、一《ひと》つ盡《つく》ればまたあらたに顯《あらは》る。起伏《きふく》恰《あたか》も大波《おほなみ》の如《ごと》く打續《うちつゞ》きて、いつ坦《たん》ならむとも見《み》えざりき。  あまり倦《う》みたれば、一《ひと》ツおりてのぼる坂《さか》の窪《くぼみ》に踞《つくば》ひし、手《て》のあきたるまゝ何《なに》ならむ指《ゆび》もて土《つち》にかきはじめぬ。さといふ字《じ》も出來《でき》たり。くといふ字《じ》も書《か》きたり。曲《まが》りたるもの、直《すぐ》なるもの、心《こゝろ》の趣《おもむ》くまゝに落書《らくがき》したり。しかなせるあひだにも、※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》のあたり先刻《さき》に毒蟲《どくむし》の觸《ふ》れたらむと覺《おぼ》ゆるが、しきりにかゆければ、袖《そで》もてひまなく擦《こす》りぬ。擦《こす》りてはまたもの書《か》きなどせる、なかにむつかしき字《じ》のひとつ形《かたち》よく出來《でき》たるを、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、6-8]《あね》に見《み》せばやと思《おも》ふに、俄《にはか》に其顏《そのかほ》の見《み》たうぞなりたる。  立《たち》あがりてゆくてを見《み》れば、左右《さいう》より小枝《こえだ》を組《く》みてあはひも透《す》かで躑躅《つゝじ》咲《さ》きたり。日影《ひかげ》ひとしほ赤《あか》うなりまさりたるに、手《て》を見《み》たれば掌《たなそこ》に照《て》りそひぬ。  一文字《いちもんじ》にかけのぼりて、唯《と》見《み》ればおなじ躑躅《つゝじ》のだら/\おりなり。走《はし》りおりて走《はし》りのぼりつ。いつまでか恁《かく》てあらむ、こたびこそと思《おも》ふに違《たが》ひて、道《みち》はまた蜿《うね》れる坂《さか》なり。踏心地《ふみごこち》柔《やはら》かく小石《こいし》ひとつあらずなりぬ。  いまだ家《いへ》には遠《とほ》しとみゆるに、忍《しの》[#底本では「忍」は「仞のつくり/心」]びがたくも※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、7-1]《あね》の顏《かほ》なつかしく、しばらくも得《え》堪《た》へずなりたり。  再《ふたゝ》びかけのぼり、またかけおりたる時《とき》、われしらず泣《な》きて居《ゐ》つ。泣《な》きながらひたばしりに走《はし》りたれど、なほ家《いへ》ある處《ところ》に至《いた》らず、坂《さか》も躑躅《つゝじ》も少《すこ》しもさきに異《ことな》らずして、日《ひ》の傾《かたむ》くぞ心細《こゝろぼそ》き。肩《かた》[#底本では「肩」は「戸」に代えて「戸の旧字」]、背《せ》のあたり寒《さむ》[#底本では「寒」の「冬−夂」に代えて「冫」]うなりぬ。ゆふ日《ひ》あざやかにぱつと茜《あかね》さして、眼《め》もあやに躑躅《つゝじ》の花《はな》、たゞ紅《くれなゐ》の雪《ゆき》[#底本では「雪」は「膤のつくり」]の降積《ふりつ》めるかと疑《うたが》はる。  われは※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》の聲《こゑ》たかく、あるほど聲《こゑ》を絞《しぼ》りて※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、7-6]《あね》をもとめぬ。一《ひと》たび二《ふた》たび三《み》たびして、こたへやすると耳《みゝ》を澄《すま》せば、遙《はる》かに瀧《たき》の音《おと》聞《きこ》えたり。どう/\と響《ひゞ》[#底本では「響」は「郷」の「即のへん」に代えて「皀」]くなかに、いと高《たか》く冴《さ》えたる聲《こゑ》の幽《かすか》に、 「もういゝよ、もういゝよ。」  と呼《よ》びたる聞《きこ》えき。こはいとけなき我《わ》がなかまの隱《かく》れ遊《あそ》びといふものするあひ圖《づ》なることを認《みと》[#底本では「認」の「刃」に代えて「仞のつくり」]め得《え》たる、一聲《ひとこゑ》くりかへすと、ハヤきこえずなりしが、やう/\心《こゝろ》たしかに其《そ》の聲《こゑ》したる方《かた》にたどりて、また坂《さか》ひとつおりて一《ひと》つのぼり、こだかき所《ところ》[#底本では「所」の「戸」に代えて「戸の旧字」]に立《た》ちて瞰《み》おろせば、あまり雜作《ざふさ》なしや、堂《だう》の瓦屋根《かはらやね》、杉《すぎ》の樹立《こだち》のなかより見《み》えぬ。かくてわれ踏迷《ふみまよ》ひたる紅《くれなゐ》の雪《ゆき》のなかをばのがれつ。背後《うしろ》には躑躅《つゝじ》の花《はな》飛《と》び/\に咲《さ》きて、青《あを》き草《くさ》まばらに、やがて堂《だう》のうらに達《たつ》せし時《とき》は一株《ひとかぶ》も花《はな》のあかきはなくて、たそがれの色《いろ》、境内《けいだい》の手洗水《みたらし》のあたりを籠《こ》めたり。柵《さく》結《ゆ》ひたる井戸《ゐど》ひとつ、銀杏《いてふ》の古《ふ》りたる樹《き》あり、そがうしろに人《ひと》の家《いへ》の土塀《どべい》あり。此方《こなた》は裏木戸《うらきど》のあき地《ち》にて、むかひに小《ちひ》さき稻荷《いなり》の堂《だう》あり。石《いし》の鳥居《とりゐ》あり。木《き》の鳥居《とりゐ》あり。この木《き》の鳥居《とりゐ》の左《ひだり》の柱《はしら》には割《わ》れめありて太《ふと》き鐵《てつ》の輪《わ》を嵌《は》めたるさへ、心《こゝろ》たしかに覺《おぼ》えある、こゝよりはハヤ家《いへ》に近《ちか》しと思《おも》ふに、さきの恐《おそろ》しさは全《まつた》く忘《わす》れ果《は》てつ。たゞひとへにゆふ日《ひ》照《て》りそひたるつゝじの花《はな》の、わが丈《たけ》よりも高《たか》き處《ところ》、前後左右《ぜんごさいう》を咲埋《さきうづ》めたるあかき色《いろ》のあかきがなかに、※[#「糸+碌のつくり」、第3水準1-90-8]《みどり》と、紅《くれなゐ》と、紫《むらさき》と、青白《せいはく》の光《ひかり》を羽色《はいろ》に帶《お》びたる毒蟲《どくむし》のキラ/\と飛《と》びたるさまの廣《ひろ》き景色《けしき》のみぞ、畫《ゑ》の如《ごと》く小《ちひ》さき胸《むね》にゑがかれける。 [#5字下げ]かくれあそび[#「かくれあそび」は中見出し]  さきにわれ泣《な》きいだして救《すくひ》を※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、8-7]《あね》にもとめしを、渠《かれ》に認《みと》められしぞ幸《さいはひ》なる。いふことを肯《き》かで一人《ひとり》いで來《き》しを、弱《よわ》[#底本では「弱」は「嫋のつくり」]りて泣《な》きたりと知《し》られむには、さもこそとて笑《わら》はれなむ。優《やさ》しき人《ひと》のなつかしけれど、顏《かほ》をあはせて謂《い》ひまけむは口惜《くちを》しきに。  嬉《うれ》しく喜《よろこ》ばしき思《おも》ひ胸《むね》にみちては、また急《きふ》に家《いへ》に歸《かへ》らむとはおもはず。ひとり境内《けいだい》に彳《たゝず》みしに、わツといふ聲《こゑ》、笑《わら》ふ聲《こゑ》、木《き》の蔭《かげ》、井戸《ゐど》の裏《うら》、堂《だう》の奧《おく》、※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]※[#「广+(螂−虫)」、第3水準1-84-14]《くわいらう》の下《した》よりして、五《いつ》ツより八《や》ツまでなる兒《こ》の五六|人《にん》前後《あとさき》に走《はし》り出《い》でたり、こはかくれ遊《あそ》びの一人《いちにん》が見《み》いだされたるものぞとよ。二人《ふたり》三人《みたり》走《はし》り來《き》て、わが其處《そこ》に立《た》てるを見《み》つ。皆《みな》瞳《ひとみ》を集《あつ》めしが、 「お遊《あそ》びな、一所《いつしよ》にお遊《あそ》びな。」とせまりて勸《すゝ》めぬ。小家《こいへ》あちこち、このあたりに住《す》むは、かたゐといふものなりとぞ。風俗《ふうぞく》少《すこ》しく異《こと》なれり。兒《こ》どもが親達《おやたち》の家《いへ》富《と》みたるも好《よ》き衣《きぬ》着《き》たるはあらず、大抵《たいてい》跣足《はだし》なり。三味線《さみせん》彈《ひ》きて折々《をり/\》わが門《かど》に來《きた》るもの、溝川《みぞかは》に鰌《どぢやう》を捕《とら》ふるもの、附木《つけぎ》、草履《ざうり》など鬻《ひさ》ぎに來《く》るものだちは、皆《みな》この兒《こ》どもが母《はゝ》なり、父《ちゝ》なり、※[#「示+且」、第3水準1-89-25]母《そぼ》などなり。さるものとはともに遊《あそ》ぶな、とわが友《とも》は常《つね》に戒《いまし》めつ。然《さ》るに町方《まちかた》の※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》としいへば、かたゐなる兒《こ》ども尊《たふと》[#底本では「尊」は「墫のつくり」]び敬《うやま》ひて、頃刻《しばらく》もともに遊《あそ》ばんことを希《こひねが》ふや、親《した》しく、優《やさ》しく勉《つと》めてすなれど、不斷《ふだん》は此方《こなた》より遠《とほ》ざかりしが、其時《そのとき》は先《さき》にあまり淋《さび》しくて、友《とも》欲《ほ》しき念《ねん》の堪《た》へがたかりし其心《そのこゝろ》のまだ失《う》せざると、恐《おそろ》しかりしあとの樂《たの》しきとに、われは拒《こば》まずして頷《うなづ》きぬ。  兒《こ》どもはさゞめき喜《よろこ》びたりき。さてまたかくれあそびを繰返《くりかへ》すとて、拳《けん》してさがすものを定《さだ》めしに、われ其任《そのにん》にあたりたり。面《おもて》を蔽《おほ》へといふまゝにしつ。ひツそとなりて、堂《だう》の裏《うら》崖《がけ》をさかさに落《お》つる瀧《たき》の音《おと》どう/\と松杉《まつすぎ》の梢《こずゑ》ゆふ風《かぜ》に鳴《な》り渡《わた》る。かすかに、 「もう可《い》いよ、もう可《い》いよ。」  と呼《よ》ぶ聲《こゑ》、谺《こだま》に響《ひゞ》けり。眼《め》をあくればあたり靜《しづ》まり返《かへ》りて、たそがれの色《いろ》また一際《ひときは》襲《おそ》ひ來《きた》れり。大《おほい》なる樹《き》のすく/\とならべるが朦朧《もうろう》としてうすぐらきなかに隱《かく》れむとす。  聲《こゑ》したる方《かた》をと思《おも》ふ處《ところ》には誰《たれ》も居《を》らず。こゝかしこさがしたれど人《ひと》らしきものあらざりき。  また舊《もと》の境内《けいだい》の中央《ちうあう》に立《た》ちて、もの淋《さび》しく瞶《みまは》しぬ。山《やま》の奧《おく》にも響《ひび》くべく凄《すさま》じき音《おと》して堂《だう》の扉《とびら》[#底本では「扉」は「戸」に代えて「戸の旧字」]を鎖《とざ》[#底本では「鎖」は「金+瑣のつくり」]す音《おと》しつ、闃《げき》としてものも聞《きこ》えずなりぬ。  親《した》しき友《とも》にはあらず。常《つね》にうとましき兒《こ》どもなれば、かゝる機會《をり》を得《え》てわれをば苦《くるし》めむとや企《たく》みけむ。身《み》を隱《かく》したるまゝ密《ひそか》に遁《に》げ去《さ》りたらむには、探《さが》せばとて獲《え》らるべき。益《やく》[#底本では「益」は「縊のつくり」]もなきことをと不圖《ふと》思《おも》ひうかぶに、うちすてて踵《くびす》をかへしつ。さるにても萬一《もし》わがみいだすを待《ま》ちてあらばいつまでも出《い》でくることを得《え》ざるべし、それもまたはかり難《がた》しと、心《こゝろ》迷《まよ》ひて、とつ、おいつ、徒《いたづら》に立《た》ちて困《こう》ずる折《をり》しも、何處《いづく》より來《きた》りしとも見《み》えず、暗《くら》うなりたる境内《けいだい》の、うつくしく掃《は》[#底本では「掃」は「てへん+帚」]いたる土《つち》のひろ/″\と|灰[#底本では「灰」は「恢−りっしんべん」]色《はひいろ》なせるに際立《きはだ》ちて、顏《かほ》の色《いろ》白《しろ》く、うつくしき人《ひと》、いつかわが傍《かたはら》に居《ゐ》て、うつむきざまにわれをば見《み》き。  極《きは》めて丈《たけ》高《たか》き女《をんな》なりし、其手《そのて》を懷《ふところ》にして肩《かた》を垂《た》れたり。優《やさ》しきこゑにて、 「此方《こちら》へおいで。此方《こちら》。」  といひて前《さき》に立《た》ちて導《みちび》きたり。見知《みし》りたる女《ひと》にあらねど、うつくしき顏《かほ》の笑《ゑみ》をば含《ふく》みたる、よき人《ひと》と思《おも》ひたれば、怪《あや》しまで、隱《かく》れたる兒《こ》のありかをヘ《をし》ふるとさとりたれば、いそ/\と從《したが》ひぬ。 [#5字下げ]あふ魔《ま》が時《とき》[#「あふ魔が時」は中見出し]  わが思《おも》ふ處《ところ》に違《たが》はず、堂《だう》の前《まへ》を左《ひだり》にめぐりて少《すこ》しゆきたる※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]《つき》あたりに小《ちひ》さき稻荷《いなり》の※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》あり。青《あを》き旗《はた》、白《しろ》き旗《はた》、二三|本《ぼん》其前《そのまへ》に立《た》ちて、うしろはたゞちに山《やま》の裾《すそ》なる雜樹《ざふき》斜《なゝ》めに生《お》ひて、※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の上《うへ》を蔽《おほ》ひたる、其下《そのした》のをぐらき處《ところ》、孔《あな》の如《ごと》き空地《くうち》なるをソとめくばせしき。瞳《ひとみ》は水《みづ》のしたゝるばかり斜《なゝめ》にわが顏《かほ》を見《み》て動《うご》けるほどに、あきらかに其心《そのこゝろ》ぞ讀《よ》まれたる。  さればいさゝかもためらはで、つか/\と※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の裏《うら》をのぞき込《こ》む、鼻《はな》うつばかり冷《つめ》たき風《かぜ》あり。落葉《おちば》、朽葉《くちば》堆《うづたか》く水《みづ》くさき土《つち》のにほひしたるのみ、人《ひと》の氣勢《けはひ》もせで、頸《えり》もとの冷《ひやゝ》かなるに、と胸《むね》をつきて見返《みかへ》りたる、またゝくまと思《おも》ふ彼《か》の女《ひと》はハヤ見《み》えざりき。何方《いづかた》にか去《さ》りけむ、暗《くら》くなりたり。  身《み》の毛《け》よだちて、思《おも》はず※[#「口+阿」、第4水準2-4-5]呀《あなや》と叫《さけ》びぬ。  人顏《ひとがほ》のさだかならぬ時《とき》、暗《くら》き隅《すみ》に行《ゆ》くべからず、たそがれの片隅《かたすみ》には、怪《あや》しきもの居《ゐ》て人《ひと》を惑《まど》はすと、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、11-12]上《あねうへ》のヘ《をし》へしことあり。  われは茫然《ばうぜん》として眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りぬ。足《あし》ふるひたれば動《うご》きもならず、固《かた》くなりて立《た》ちすくみたる、左手《ゆんで》に坂《さか》あり。穴《あな》の如《ごと》く、其底《そのそこ》よりは風《かぜ》の吹《ふ》き出《い》づると思《おも》ふK《こく》闇々《あん/\》たる坂下《さかした》より、ものののぼるやうなれば、こゝにあらば捕《とら》へられむと恐《おそろ》しく、とかうの思慮《しりよ》もなさで※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の裏《うら》の狹《せま》きなかににげ入《い》りつ。眼《め》を塞《ふさ》ぎ、呼吸《いき》をころしてひそみたるに、四足《よつあし》のものの※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《あゆ》むけはひして、※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の前《まへ》を《よこ》ぎりたり。  われは人心地《ひとごこち》もあらで見《み》られじとのみひたすら手足《てあし》を縮《ちゞ》めつ。さるにてもさきの女《ひと》のうつくしかりし顏《かほ》、優《やさし》かりし眼《め》を忘《わす》れず。こゝをわれにヘ《をし》へしを、今《いま》にして思《おも》へばかくれたる兒《こ》どものありかにあらで、何等《なんら》か恐《おそろ》しきもののわれを捕《とら》へむとするを、こゝに潛《ひそ》め、助《たす》かるべしとて、導《みちび》きしにはあらずやなど、はかなきことを考《かんが》へぬ。しばらくして小提灯《こぢやうちん》の火影《ほかげ》あかきが坂下《さかした》より急《いそ》ぎのぼりて彼方《かなた》に走《はし》るを見《み》つ。ほどなく引返《ひつかへ》してわがひそみたる※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の前《まへ》に近《ちか》づきし時《とき》は、一人《ひとり》ならず二人《ふたり》三人《みたり》連立《つれだ》ちて來《きた》りし感《かん》あり。  恰《あたか》も其《その》立留《たちどま》りし折《をり》から、別《べつ》なる跫音《あしおと》、また坂《さか》をのぼりてさきのものと落合《おちあ》ひたり。 「おい/\分《わか》らないか。」 「ふしぎだな、なんでも此邊《このへん》で見《み》たといふものがあるんだが。」 とあとよりいひたるはわが家《いへ》につかひたる下男《げなん》の聲《こゑ》に似《に》たるに、あはや出《い》でむとせしが、恐《おそろ》しきものの然《さ》はたばかりて、おびき出《いだ》すにやあらむと恐《おそろ》しさは一《ひと》しほ掾sま》しぬ。 「もう一度《いちど》念《ねん》のためだ、田圃《たんぼ》の方《はう》でも※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《まは》つて見《み》よう、お前《まへ》もョ《たの》む。」 「それでは。」といひて上下《うへした》にばら/\と分《わか》れて行《ゆ》く。  再《ふたゝ》び寂《せき》としたれば、ソと身《み》うごきして、足《あし》をのべ、板《いた》めに手《て》をかけて眼《め》ばかりと思《おも》ふ顏《かほ》少《すこ》し差出《さしい》だして、外《と》の方《かた》をうかゞふに、何《なに》ごともあらざりければ、やゝ落着《おちつ》きたり。怪《あや》しきものども、何《なに》とてやはわれをみいだし得《え》む、愚《おろか》なる、と冷《ひやゝ》かに笑《わら》ひしに、思《おも》ひがけず、誰《たれ》ならむたまぎる聲《こゑ》して、あわてふためき遁《に》ぐるがありき。驚《おどろ》きてまたひそみぬ。 「ちさとや、ちさとや。」と坂下《さかした》あたり、かなしげにわれを呼《よ》ぶは、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、13-7]上《あねうへ》の聲《こゑ》なりき。 [#5字下げ]大沼《おほぬま》[#「大沼」は中見出し] 「居《ゐ》ないツて私《わたし》あ何《ど》うしよう、爺《ぢい》や。」 「根《ね》ツから居《ゐ》さつしやらぬことはござりますまいが、日《ひ》は暮《く》れまする。何《なに》せい、御心配《ごしんぱい》なこんでござります。お前樣《まへさま》遊《あそ》びに出《だ》します時《とき》、帶《おび》の結《むすび》めを丁《とん》とたゝいてやらつしやれば好《よ》いに。」 「あゝ、いつもはさうして出《だ》してやるのだけれど、けふはお前《まへ》私《わたし》にかくれてそツと出《で》て行《い》つたらうではないかねえ。」 「それはハヤ不念《ぶねん》なこんだ。帶《おび》の結《むすび》めさへ叩《たゝ》いときや、何《なに》がそれで※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、14-1]樣《あねさま》なり、母樣《おふくろさま》なりの魂《たましひ》が入《はひ》るもんだで魔《エテ》めは何《ど》うすることもしえないでごす。」 「さうねえ。」とものかなしげに語《かた》らひつゝ、※[#「示+土」、第3水準1-89-19]《やしろ》の前《まへ》をよこぎりたまへり。  走《はし》りいでしが、あまりおそかりき。  いかなればわれ※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、14-5]上《あねうへ》をまで怪《あやし》みたる。  ※[#「りっしんべん+誨のつくり」、第3水準1-84-48]《く》ゆれど及《およ》ばず、かなたなる境内《けいだい》の鳥居《とりゐ》のあたりまで追《お》ひかけたれど、早《は》や其姿《そのすがた》は見《み》えざりき。  ※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ぐみて彳《たゝず》む時《とき》、ふと見《み》る銀杏《いてふ》の木《き》のくらき夜《よる》の空《そら》に、大《おほい》なる圓《まる》き影《かげ》して茂《しげ》れる下《した》に、女《をんな》の後姿《うしろすがた》ありてわが眼《まなこ》を遮《さへぎ》りたり。  あまりよく似《に》たれば、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、14-9]上《あねうへ》と呼《よ》ばむとせしが、よしなきものに聲《こゑ》かけて、なまじひにわが此處《こゝ》にあるを知《し》られむは、拙《つたな》きわざなればと思《おも》ひてやみぬ。  とばかりありて、其姿《そのすがた》またかくれ去《さ》りつ。見《み》えずなればなほなつかしく、たとへ恐《おそろ》しきものなればとて、かりにもわが優《やさ》しき※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、14-12]上《あねうへ》の姿《すがた》に化《け》したる上《うへ》は、われを捕《とら》へてむごからむや。さきなるは然《さ》もなくて、いま幻《まぼろし》に見《み》えたるがまこと其人《そのひと》なりけむもわかざるを、何《なに》とて言《ことば》はかけざりしと、打泣《うちな》きしが、かひもあらず。  あはれさま/″\のものの怪《あや》しきは、すべてわが眼《まなこ》のいかにかせし作用《さよう》なるべし、さらずば※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》にくもりしや、術《すべ》こそありけれ、かなたなる御手洗《みたらし》にてC《きよ》めてみばやと寄《よ》りぬ。  煤《すゝ》けたる行燈《あんどう》の《よこ》長《なが》きが一《ひと》つ上《うへ》にかゝりて、ほとゝぎすの畫《ゑ》と句《く》など書《か》いたり。灯《ひ》をともしたるに、水《みづ》はよく澄《す》みて、青《あを》き苔《こけ》むしたる石鉢《いしばち》の底《そこ》もあきらかなり。手《て》に掬《むす》ばむとしてうつむく時《とき》、思《おも》ひかけず見《み》たるわが顏《かほ》はそも/\いかなるものぞ。覺《おぼ》えず叫《さけ》びしが心《こゝろ》を籠《こ》めて、氣《き》を鎭《しづ》めて、兩《りやう》の眼《まなこ》を拭《ぬぐ》ひ/\、水《みづ》に臨《のぞ》む。  われにもあらでまたとは見《み》るに忍《しの》びぬを、いかでわれかゝるべき、必《かなら》ず心《こゝろ》の迷《まよ》へるならむ、今《いま》こそ、今《いま》こそとわなゝきながら見直《みなほ》したる、肩《かた》をとらへて聲《こゑ》ふるはし、 「お、お、千里《ちさと》。えゝも、お前《まへ》は。」と※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、15-8]上《あねうへ》ののたまふに、縋《すが》りつかまくみかへりたる、わが顏《かほ》を見《み》たまひしが、 「あれ!」  といひて一足《ひとあし》すさりて、 「違《ちが》つてたよ、坊や。」とのみいひずてに衝《つ》と馳《は》せ去《さ》りたまへり。  怪《あや》しき※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》のさま/″\のことしてなぶるわと、あまりのことに腹立《はらだ》たしく、あしずりして泣《な》きに泣《な》きつゝ、ひたばしりに追《お》ひかけぬ。捕《とら》へて何《なに》をかなさむとせし、そはわれ知《し》らず。ひたすらものの口惜《くちを》しければ、とにかくもならばとてなむ。  坂《さか》もおりたり、のぼりたり、大路《おほみち》と覺《おぼ》しき町《まち》にも出《い》でたり、暗《くら》き徑《こみち》も辿《たど》りたり、野《の》もよこぎりぬ。畦《あぜ》も越《こ》えぬ。あとをも見《み》ずて駈《か》けたりし。  道《みち》いかばかりなりけむ、漫々《まん/\》たる水面《すゐめん》やみのなかに銀河《ぎんが》の如《ごと》く《よこた》はりて、K《くろ》き、恐《おそろ》しき森《もり》四方《しはう》をかこめる、大沼《おおぬま》とも覺《おぼ》しきが、前途《ゆくて》を塞《ふさ》ぐと覺《おぼ》ゆる蘆《あし》の葉《は》の繁《しげ》きがなかにわが身體《からだ》倒《たふ》れたる、あとは知《し》らず。 [#5字下げ]五《ご》位《ゐ》鷺《さぎ》[#「五位鷺」は中見出し]  眼《め》のふちC々《すが/\》しく、涼《すゞ》しき栫sかをり》つよく栫sかを》ると心着《こゝろづ》く、身《み》は柔《やはら》かき蒲團《ふとん》の上《うへ》に臥《ふ》したり。やゝ枕《まくら》をもたげて見《み》る、竹※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《ちくえん》の障子《しやうじ》あけ放《はな》して、庭《には》つゞきに向《むか》ひなる山懷《やまふところ》に、※[#「糸+碌のつくり」、第3水準1-90-8]《みどり》の草《くさ》の、ぬれ色《いろ》青《あを》く生茂《おひしげ》りつ。其半腹《そのはんぷく》にかゝりある巖角《いはかど》の苔《こけ》のなめらかなるに、一挺《いつちやう》はだか※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》に灯《ひ》ともしたる灯影《ほかげ》すゞしく、筧《かけひ》の水《みづ》むく/\と湧《わ》きて玉《たま》ちるあたりに盥《たらひ》を据《す》ゑて、うつくしく髪《かみ》結《ゆ》うたる女《ひと》の、身《み》に一絲《いつし》もかけで、むかうざまにひたりて居《ゐ》たり。  筧《かけひ》の水《みづ》は其《その》たらひに落《お》ちて、溢《あふ》れにあふれて、地《ち》の窪《くぼ》みに流《なが》るゝ音《おと》しつ。  ※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》の灯《ひ》は吹《ふ》くとなき山《やま》おろしにあかくなり、くらうなりて、ちら/\と眼《め》に映《えい》ずる雪《ゆき》なす膚《はだへ》白《しろ》かりき。  わが寢返《ねがへ》る音《おと》に、ふと此方《こなた》を見返《みかへ》り、それと頷《うなづ》く※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》にて、片手《かたて》をふちにかけつゝ片足《かたあし》を立《た》てて盥《たらひ》のそとにいだせる時《とき》、颯《さ》と音《おと》して、烏《からす》よりは小《ちひ》さき鳥《とり》の眞白《ましろ》きがひら/\と舞《ま》ひおりて、うつくしき人《ひと》の脛《はぎ》のあたりをかすめつ。其《その》まゝおそれげもなう翼《つばさ》を休《やす》めたるに、ざぶりと水《みづ》をあびせざま莞爾《につこ》とあでやかに笑《わら》うてたちぬ。手早《てばや》く衣《きぬ》もて其胸《そのむね》をば蔽《おほ》へり。鳥《とり》はおどろきてはた/\と飛去《とびさ》りぬ。  夜《よる》の色《いろ》は極《きは》めてくらし、※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》を取《と》りたるうつくしき人《ひと》の姿《すがた》さやかに、庭下駄《にはげた》重《おも》く引《ひ》く音《おと》しつ。ゆるやかに※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《えん》の端《はし》に腰《こし》[#底本では「腰」は「月+(襾/女)」]をおろすとともに、手《て》をつきそらして|捩[#底本では「捩」は「てへん+(戸の旧字+犬)」]向《ねぢむ》きざま、わがかほをば見《み》つ。 「氣分《きぶん》は|癒[#底本では「癒」の「愉のつくり」に代えて「兪」]《なほ》つたかい、坊《ばう》や。」  といひて頭《かうべ》を傾《かたむ》けぬ。ちかまさりせる面《おもて》けだかく、眉《まゆ》あざやかに、瞳《ひとみ》すゞしく、鼻《はな》やゝ高《たか》く、唇《くちびる》の紅《くれなゐ》なる、額《ひたひ》つき※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》のあたり掾sらふ》たけたり。こは豫《かね》てわがよしと思《おも》ひ詰《つめ》たる雛《ひな》のおもかげによく似《に》たれば貴《たふと》き人《ひと》ぞと見《み》き。年《とし》は※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、17-12]上《あねうへ》よりたけたまへり。知人《しりびと》にはあらざれど、はじめて逢《あ》ひし方《かた》とは思《おも》はず、さりや、誰《たれ》にかあるらむとつく/″\みまもりぬ。  またほゝゑみたまひて、 「お前《まへ》あれは斑猫《はんめう》といつて大變《たいへん》な毒蟲《どくむし》なの。もう可《い》いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、18-1]樣《ねえさん》が見違《みちが》へるのも無理《むり》はないのだもの。」  われも然《さ》あらむと思《おも》はざりしにもあらざりき。いまはたしかにそれよと疑《うたが》はずなりて、のたまふまゝに頷《うなづ》きつ。あたりのめづらしければ起《お》きむとする夜着《よぎ》の肩《かた》、ながく柔《やはら》かにおさへたまへり。 「ぢつとしておいで、あんばいがわるいのだから、落着《おちつ》いて、ね、氣《き》をしづめるのだよ、可《い》いかい。」  われはさからはで、たゞ眼《め》をもて答《こた》へぬ。 「どれ。」といひて立《た》つたる折《をり》、のし/\と道芝《みちしば》を踏《ふ》む音《おと》して、つゞれをまとうたる老夫《おやぢ》の、顏《かほ》の色《いろ》いと赤《あか》きが※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《えん》近《ちか》う入《はひ》り來《き》つ。 「はい、これはお兒《こ》さまがござらつせえたの、可愛《かはい》いお兒《こ》ぢや、お前《まへ》樣《さま》も嬉《うれ》しかろ。はゝゝ、どりや、またいつものを頂《いたゞ》きましよか。」  腰《こし》をなゝめにうつむきて、ひつたりとかの筧《かけひ》に顏《かほ》をあて、口《くち》をおしつけてごつ/\/\とたてつゞけにのみたるが、ふツといきを吹《ふ》きて空《そら》を仰《あふ》ぎぬ。 「やれ/\甘《うま》いことかな。はい、參《まゐ》ります。」  と踵《くびす》を返《かへ》すを、此方《こなた》より呼《よ》びたまひぬ。 「ぢいや、御苦勞《ごくらう》だが。また來《き》ておくれ、この兒《こ》を返《かへ》さねばならぬから。」 「あい/\。」  と答《こた》へて去《さ》る。山風《やまかぜ》颯《さつ》とおろして、彼《か》の白《しろ》き鳥《とり》また翔《た》ちおりつ。K《くろ》き盥《たらひ》のふちに乘《の》りて羽《は》づくろひして靜《しづ》まりぬ。 「もう、風邪《かぜ》を引《ひ》かないやうに寢《ね》させてあげよう、どれそんなら私《わたし》も。」とて靜《しづか》に雨戸《あまど》[#底本では「戸」は「戸の旧字」]をひきたまひき。 [#5字下げ]九《こゝの》ツ谺《こだま》[#「九ツ谺」は中見出し]  やがて添臥《そひぶし》したまひし、さきに水《みづ》を浴《あ》びたまひし故《ゆゑ》にや、わが膚《はだ》をり/\慄然《りつぜん》たりしが何《なん》の心《こゝろ》もなうひしと取縋《とりすが》りまゐらせぬ。あとを/\といふに、をさな物語《ものがたり》二《ふた》ツ三《み》ツ聞《き》かせ給《たま》ひつ。やがて、 「一《ひと》ツ谺《こだま》、坊《ばう》や、二《ふた》ツ谺《こだま》といへるかい。」 「二《ふた》ツ谺《こだま》。」 「三《み》ツ谺《こだま》、四《よ》ツ谺《こだま》といつて御覽《ごらん》。」 「四《よ》ツ谺《こだま》。」 「五《いつ》ツ谺《こだま》。そのあとは。」 「六《む》ツ谺《こだま》。」 「さう/\七《なゝ》ツ谺《こだま》。」 「八《や》ツ谺《こだま》。」 「九《こゝの》ツ谺《こだま》――こゝはね、九《こゝの》ツ谺《こだま》といふ處《ところ》なの。さあもうおとなにして寢《ね》るんです。」  背《せ》に手《て》をかけ引寄《ひきよ》せて、玉《たま》の如《ごと》き|其乳[#底本では「乳」は「郛のへん+礼のつくり」]房《そのちぶさ》をふくませたまひぬ。露《あらは》に白《しろ》き襟《えり》、肩《かた》のあたり鬢《びん》のおくれ毛《げ》はら/\とぞみだれたる、かゝるさまは、わが※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、20-7]上《あねうへ》とは太《いた》く違《ちが》へり。乳《ちゝ》をのまむといふを※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、20-8]上《あねうへ》は許《ゆる》したまはず。  ふところをかいさぐれば常《つね》に叱《しか》りたまふなり。母上《ははうへ》みまかりたまひてよりこのかた三年《みとせ》を經《へ》つ。乳《ち》の味《あぢ》は忘《わす》れざりしかど、いまふくめられたるはそれには似《に》ざりき。垂玉《すゐぎよく》の乳房《ちぶさ》たゞ淡雪《あはゆき》の如《ごと》く含《ふく》むと舌《した》にきえて觸《ふ》るゝものなく、すゞしき唾《つば》のみぞあふれいでたる。  輕《かる》く背《せな》をさすられて、われ現《うつゝ》になる時《とき》、屋《や》の棟《むね》、天井《てんじやう》の上《うへ》と覺《おぼ》し、凄《すさ》まじき音《おと》してしばらくは鳴《な》りも止《や》まず。こゝにつむじ風《かぜ》吹《ふ》くと柱《はしら》動《うご》く恐《おそろ》しさに、わなゝき取《とり》つくを抱《だ》[#底本では「抱」は「てへん+鉋のつくり」]きしめつゝ、 「あれ、お客《きやく》があるんだから、もう今夜《こんや》は堪忍《かんにん》しておくれよ、いけません。」  とキとのたまへば、やがてぞ靜《しづ》まりける。 「恐《こは》くはないよ。鼠《ねずみ》だもの。」  とある、さりげなきも、われはなほ其響《そのひゞき》のうちにものの叫《さけ》びたる聲《こゑ》せしが耳《みゝ》に殘《のこ》りてふるへたり。  うつくしき人《ひと》はなかばのりいでたまひて、とある蒔繪《まきゑ》ものの手箱《てばこ》のなかより、一口《ひとふり》の守刀《まもりがたな》を取出《とりだ》しつゝ鞘《さや》ながら引《ひき》そばめ、雄々《をゝ》しき聲《こゑ》にて、 「何《なに》が來《き》てももう恐《こは》くはない、安心《あんしん》してお寢《ね》よ。」とのたまふ、たのもしき※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》よと思《おも》ひてひたと其胸《そのむね》にわが顏《かほ》をつけたるが、ふと眼《め》をさましぬ。殘燈《ありあけ》暗《くら》く床柱《とこばしら》のK《くろ》うつやゝかにひかるあたり薄《うす》[#底本では「薄」の「縛のつくり」に代えて「溥のつくり」]き紫《むらさき》の色《いろ》籠《こ》めて、香《かう》の栫sかをり》殘《のこ》りたり。枕《まくら》をはづして顏《かほ》をあげつ。顏《かほ》に顏《かほ》をもたせてゆるく閉《とぢ》たまひたる眼《め》の睫毛《まつげ》かぞふるばかり、すや/\と寢入《ねい》りて居《ゐ》たまひぬ。ものいはむとおもふ心《こゝろ》おくれて、しばし瞻《みまも》りしが、淋《さび》しさにたへねばひそかに其唇《そのくちびる》に指《ゆび》さきをふれて見《み》ぬ。指《ゆび》はそれて唇《くちびる》には屆《とゞ》かでなむ、あまりよくねむりたまへり。鼻《はな》をやつままむ眼《め》をやおさむとまたつく/″\と打《うち》まもりぬ。ふと其鼻頭《そのはなさき》をねらひて手《て》をふれしに空《くう》を捻《ひね》りて、うつくしき人《ひと》は雛《ひな》の如《ごと》く顏《かほ》の筋《すぢ》ひとつゆるみもせざりき。またその眼《め》のふちをおしたれど水晶《すゐしやう》のなかなるものの形《かたち》を取《と》らむとするやう、わが顏《かほ》は其《その》おくれげのはしに※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》をなでらるゝまで近々《ちか/″\》とありながら、いかにしても指《ゆび》さきは其顏《そのかほ》に屆《とゞ》かざるに、はては心《こゝろ》いれて、乳《ち》の下《した》に面《おもて》をふせて、強《つよ》く額《ひたひ》もて壓《お》したるに、顏《かほ》にはたゞあたゝかき霞《かすみ》のまとふばかり、のどかにふは/\とさはりしが、薄葉《うすえふ》一重《ひとへ》の支《さゝ》ふるなく着《つ》けたる額《ひたひ》はつと下《した》に落《お》ち沈《しづ》むを、心着《こゝろづ》けば、うつくしき人《ひと》の胸《むね》は、もとの如《ごと》く傍《かたはら》にあをむき居《ゐ》て、わが鼻《はな》は、いたづらにおのが膚《はだ》にぬくまりたる、柔《やはらか》き蒲團《ふとん》に埋《うも》れて、をかし。 [#5字下げ]渡《わたし》船《ぶね》[#「渡船」は中見出し]  夢幻《ゆめまぼろし》ともわかぬに、心《こゝろ》をしづめ、眼《め》をさだめて見《み》たる、片手《かたて》はわれに枕《まくら》させたまひし元《もと》のまゝ柔《やはら》かに力《ちから》なげに蒲團《ふとん》のうへに垂《た》れたまへり。  片手《かたて》をば胸《むね》にあてて、いと白《しろ》くたをやかなる五指《ごし》をひらきて※[#「廣−广」、第3水準1-94-81]金《わうごん》の目貫《めぬき》キラ/\とうつくしき鞘《さや》の塗《ぬり》の輝《かゞや》きたる小《ちひ》さき守刀《まもりがたな》をしかと持《も》つともなく乳《ち》のあたりに落《おと》して据《す》ゑたる、鼻《はな》たかき顏《かほ》のあをむきたる、唇《くちびる》のものいふ如《ごと》き、閉《と》ぢたる眼《め》のほゝ笑《ゑ》む如《ごと》き、髪《かみ》のさら/\したる、枕《まくら》にみだれかゝりたる、それも違《たが》はぬに、胸《むね》に劍《つるぎ》をさへのせたまひたれば、亡《な》き母上《はゝうへ》の爾時《そのとき》のさまに紛《まが》ふべくも見《み》えずなむ、コハこの君《きみ》もみまかりしよとおもふいまはしさに、はや取除《とりの》けなむと、胸《むね》なる其守刀《そのまもりがたな》に手《て》をかけて、つと引《ひ》く、せつぱゆるみて、青《あを》き光《ひかり》眼《まなこ》を射《い》たるほどこそあれ、いかなるはずみにか血汐《ちしほ》さとほとばしりぬ。眼《め》もくれたり。した/\とながれにじむをあなやと兩《りやう》の拳《こぶし》[#底本では「拳」は「劵」の「力」に代えて「手」]もてしかとおさへたれど、留《とゞ》まらで、たふ/\と音《おと》するばかりぞ淋漓《りんり》としてながれつたへる、血汐《ちしほ》のくれなゐ衣《きぬ》をそめつ。うつくしき人《ひと》は寂《せき》として石像《せきざう》の如《ごと》く靜《しづか》なる鳩尾《みづをち》のしたよりしてやがて半身《はんしん》をひたし盡《つく》しぬ。おさへたるわが手《て》には血《ち》の色《いろ》つかぬに、燈《ともしび》にすかす指《ゆび》のなかの紅《くれなゐ》なるは、人《ひと》の血《ち》の染《そ》みたる色《いろ》にはあらず、訝《いぶか》しく撫《な》で試《こゝろ》むる掌《たなそこ》の其血汐《そのちしほ》にはぬれもこそせね、こゝろづきて見定《みさだ》むれば、かいやりし夜《よる》のものあらはになりて、すゞしの絹《きぬ》をすきて見《み》ゆる其膚《そのはだ》にまとひたまひし紅《くれなゐ》の色《いろ》なりける。いまはわれにもあらで聲高《こわだか》に、母上《ははうへ》、母上《ははうへ》と呼《よ》びたれど、叫《さけ》びたれど、ゆり動《うご》かし、おしうごかししたりしが、效《かひ》なくてなむ、ひた泣《な》きに泣《な》く/\いつのまにか寢《ね》たりと覺《おぼ》し。顏《かほ》あたゝかに胸《むね》をおさるゝ心地《こゝち》に眼覺《めざ》めぬ。空《そら》青《あを》く晴《は》れて日影《ひかげ》まばゆく、木《き》も草《くさ》もてら/\と暑《あつ》きほどなり。  われはハヤゆうべ見《み》し顏《かほ》のあかき老夫《をぢ》の背《せな》に負《お》はれて、とある山路《やまぢ》を行《ゆ》くなりけり。うしろよりは彼《か》のうつくしき人《ひと》したがひ來《き》ましぬ。  さてはあつらへたまひし如《ごと》く家《いへ》に送《おく》りたまふならむと推《おし》はかるのみ、わが胸《むね》の中《うち》はすべて見《み》すかすばかり知《し》りたまふやうなれば、わかれの惜《を》しきも、ことのいぶかしきも、取出《とりい》でていはむは益《やく》なし。ヘ《をし》ふべきことならむには、彼方《かなた》より先《さき》んじてうちいでこそしたまふべけれ。  家《いへ》に歸《かへ》るべきわが運《うん》ならば、強《し》ひて止《とゞ》まらむと乞《こ》ひたりとて何《なに》かせん、さるべきいはれあればこそ、と大人《おとな》しう、ものもいはでぞ行《ゆ》く。  斷崖《だんがい》の左右《さいう》に聳《そび》えて、點滴《てんてき》聲《こゑ》する處《ところ》ありき。雜草《ざつさう》高《たか》き徑《こみち》ありき。松柏《まつかしは》のなかを行《ゆ》く處《ところ》もありき。きゝ知《し》らぬ鳥《とり》うたへり。褐色《かつしよく》なる獸《けもの》ありて、をり/\叢《くさむら》に躍《をど》り入《い》りたり。ふみわくる道《みち》とにもあらざりしかど、去年《こぞ》の落葉《おちば》道《みち》を埋《うづ》みて、人《ひと》多《おほ》く通《かよ》ふ所《ところ》としも見《み》えざりき。  をぢは一挺《いつちやう》の斧《をの》を腰《こし》にしたり。れいによりてのし/\とあゆみながら、茨《いばら》など生《お》ひしげりて、衣《きぬ》の袖《そで》をさへぎるにあへば、すか/\と切《き》つて拂《はら》ひて、うつくしき人《ひと》を通《とほ》し參《まゐ》らす。されば山路《やまみち》のなやみなく、高《たか》き塗下駄《ぬりげた》の見《み》えがくれに長《なが》き裾《すそ》さばきながら來《き》たまひつ。  かくて大沼《おほぬま》の岸《きし》に臨《のぞ》みたり。水《みづ》は漫々《まん/\》として藍《らん》を湛《たゝ》へ、まばゆき日《ひ》のかげも此處《こゝ》の森《もり》にはさゝで、水面《すゐめん》をわたる風《かぜ》寒《さむ》く、颯々《さつ/\》として聲《こゑ》あり。をぢはこゝに來《き》てソとわれをおろしつ。はしり寄《よ》れば手《て》を取《と》りて立《た》ちながら肩《かた》を抱《いだ》きたまふ、衣《きぬ》の袖《そで》左右《さいう》より長《なが》くわが肩《かた》にかゝりぬ。  蘆間《あしま》の小舟《をぶね》の纜《ともづな》を解《と》きて、老夫《をぢ》はわれをかゝへて乘《の》せたり。一※[#「糸+睹のつくり」、第3水準1-90-12]《いつしよ》ならではと、しばしむづかりたれど、めまひのすればとて乘《の》りたまはず、さらばとのたまふはしに棹《さを》を立《た》てぬ。船《ふね》は出《い》でつ。わツと泣《な》きて立上《たちあが》りしがよろめきてしりゐに倒《たふ》れぬ。舟《ふね》といふものにははじめて乘《の》りたり。水《みづ》を切《き》るごとに眼《め》くるめくや、背後《うしろ》に居《ゐ》たまへりとおもふ人《ひと》の大《おほい》なる環《わ》にまはりて前途《ゆくて》なる汀《みぎは》に居《ゐ》たまひき。いかにして渡《わた》し越《こ》したまひつらむと思《おも》ふときハヤ左手《ゆんで》なる汀《みぎは》に見《み》えき。見《み》る/\右手《めて》なる汀《みぎは》にまはりて、やがて舊《もと》のうしろに立《た》ちたまひつ。箕《み》の形《かたち》したる大《おほい》なる沼《ぬま》は、汀《みぎは》の蘆《あし》と、松《まつ》の木《き》と、建札《たてふだ》と、其傍《そのかたはら》なるうつくしき人《ひと》ともろともに緩《ゆる》[#底本では「緩」は「糸+爰」]き環《わ》を描《ゑが》いて※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉《くわいてん》し、はじめは徐《おもむ》ろにまはりしが、あと/\急《きふ》になり、疾《はや》くなりつ、くるくる/\と次第《しだい》にこまかくまはる/\、わが顏《かほ》と一尺《いつしやく》ばかりへだたりたる、まぢかき處《ところ》に松《まつ》の木《き》にすがりて見《み》えたまへる、とばかりありて眼《め》の前《さき》にうつくしき顏《かほ》の掾sらふ》たけたるが莞爾《につこ》とあでやかに笑《ゑ》みたまひしが、そののちは見《み》えざりき。蘆《あし》は繁《しげ》く丈《たけ》よりも高《たか》き汀《みぎは》に、船《ふね》はとんとつきあたりぬ。 [#5字下げ]ふるさと[#「ふるさと」は中見出し]  をぢはわれを扶《たす》けて船《ふね》より出《い》だしつ。また其背《そのせな》を向《む》けたり。 「泣《な》くでねえ/\。もうぢきに坊《ぼ》ツさまの家《うち》ぢや。」と慰《なぐさ》めぬ。かなしさはそれにはあらねど、いふもかひなくてたゞ泣《な》きたりしが、しだいに身《み》のつかれを感《かん》じて、手《て》も足《あし》も綿《わた》の如《ごと》くうちかけらるゝやう肩《かた》に負《お》はれて、顏《かほ》を垂《た》れてぞともなはれし。見覺《みおぼ》えある板塀《いたべい》のあたりに來《き》て、日《ひ》のやゝくれかゝる時《とき》、老夫《をぢ》はわれを抱《いだ》き下《おろ》して、溝《みぞ》のふちに立《た》たせ、ほく/\打《うち》ゑみつゝ、慇懃《いんぎん》に會釋《ゑしやく》したり。 「おとなにしさつしやりませ。はい。」  といひずてに何地《いづち》ゆくらむ。別《わか》れはそれにも惜《を》しかりしが、あと追《お》ふべき力《ちから》もなくて見《み》おくり果《は》てつ。指《さ》す方《かた》もあらでありくともなく※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》をうつすに、頭《かしら》ふら/\と足《あし》の重《おも》たくて行惱《ゆきなや》む、前《まへ》に行《ゆ》くも、後《うし》ろに歸《かへ》るも皆《みな》見知越《みしりごし》のものなれど、誰《たれ》も取《と》りあはむとはせで往《ゆ》きつ來《きた》りつす。さるにてもなほものありげにわが顏《かほ》をみつゝ行《ゆ》くが、冷《ひやゝ》かに嘲《あざけ》るが如《ごと》く※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》さげなるぞ腹立《はらだた》しき。おもしろからぬ町《まち》ぞとばかり、足《あし》はわれ知《し》らず向直《むきなほ》りて、とぼ/\とまた山《やま》ある方《かた》にあるき出《いだ》しぬ。  けたゝましき跫音《あしおと》して鷲※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]《わしづかみ》に襟《えり》を※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]《つか》むものあり。あなやと振返《ふりかへ》ればわが家《いへ》の後見《うしろみ》せる奈四※[#「螂−虫」、第3水準1-92-71]《なしろう》[#ルビの「なしろう」は底本では「なしらう」]といへる力《ちから》逞《たく》[#底本では「逞」は「二点しんにょう+酲のつくり」]ましき叔父《をぢ》の、凄《すさ》まじき氣色《けしき》して、 「つまゝれめ、何處《どこ》をほツつく。」と喚《わめ》きざま、引立《ひつた》てたり。また庭《には》に引出《ひきいだ》して水《みづ》をやあびせられむかと、泣叫《なきさけ》びてふりもぎるに、おさへたる手《て》をゆるべず、 「しつかりしろ。やい。」  とめくるめくばかり背《せ》を拍《う》ちて宙《ちう》につるしながら、走《はし》りて家《いへ》に歸《かへ》りつ。立騷《たちさわ》ぐ召《めし》つかひどもを叱《しか》りつも細引《ほそびき》を持《も》て來《こ》さして、しかと兩手《りやうて》をゆはへあへず奧《おく》まりたる三疊《さんでふ》の暗《くら》き一室《ひとま》に引立《ひつた》てゆきて其《その》まゝ柱《はしら》に縛《いまし》[#底本では「縛」は「糸+溥のつくり」]めたり。近《ちか》く寄《よ》れ、喰《くひ》さきなむと思《おも》ふのみ、齒《は》がみして睨《にら》まへたる、眼《め》の色《いろ》こそ怪《あや》しくなりたれ、逆《さか》つりたる眦《まなじり》は憑《つ》きもののわざよとて、寄《よ》りたかりて口々《くち/″\》にのゝしるぞ無念《むねん》なりける。  おもての方《かた》さゞめきて、何處《いづく》にか行《ゆ》き居《を》れる※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、27-2]上《あねうへ》歸《かへ》りましつと覺《おぼ》し、襖《ふすま》いくつかぱた/\と音《おと》してハヤこゝに來《き》たまひつ。叔父《をぢ》は室《しつ》の外《そと》にさへぎり迎《むか》へて、 「ま、やつと取返《とりかへ》したが、繩《なは》を解《と》いてはならんぞ。もう眼《め》が血走《ちばし》つて居《ゐ》て、すきがあると駈《か》け出《だ》すぢや。魔《エテ》どのがそれしよびくでの。」  と戒《いまし》めたり。いふことよくわが心《こゝろ》を得《え》たるよ、然《しか》り、隙《ひま》だにあらむにはいかでかこゝにとゞまるべき。 「あ。」とばかりにいらへて※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、27-8]上《あねうへ》はまろび入《い》りて、ひしと取着《とりつ》きたまひぬ。ものはいはでさめ/″\とぞ泣《な》きたまへる、おん情《なさけ》[#底本では「情」は「情」の「つくり」にかえて「睛のつくり」]手《て》にこもりて抱《いだ》かれたるわが胸《むね》絞《しぼ》らるゝやうなりき。  ※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、27-10]上《あねうへ》の膝《ひざ》に臥《ふ》したるあひだに、醫師《いし》來《き》たりてわが脈《みやく》をうかゞひなどしつ。叔父《をじ》は醫師《いし》とともに彼方《あなた》に去《さ》りぬ。 「ちさや、何《ど》うぞ氣《き》をたしかにもつておくれ。もう※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、27-12]樣《ねえさん》は何《ど》うしようね。お前《まへ》、私《わたし》だよ。※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、27-12]《ねえ》さんだよ。ね、わかるだらう、私《わたし》だよ。」  といきつく/″\ぢつとわが顏《かほ》をみまもりたまふ。※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]痕《るゐこん》したゝるばかりなり。  其心《そのこゝろ》の安《やす》んずるやう、強《し》ひて顏《かほ》つくりてニツコと笑《わら》うて見《み》せぬ。 「おゝ、薄氣味《うすきみ》が惡《わる》いねえ。」  と傍《かたはら》にありたる奈四※[#「螂−虫」、第3水準1-92-71]《なしろう》の妻《つま》なる人《ひと》呟《つぶや》きて身《み》ぶるひしき。  やがてまた人々《ひと/″\》われを取卷《とりま》きてありしことども責《せ》むるが如《ごと》くに問《と》ひぬ。くはしく語《かた》りて疑《うたがひ》を解《と》かむとおもふに、をさなき口《くち》の順序《じゆんじよ》正《たゞ》しく語《かた》るを得《え》むや、根問《ねど》ひ、葉問《はど》ひするに一々《いち/\》|説[#底本では「説」は「言+兌」]明《ときあ》かさむに、しかもわれあまりに疲《つか》れたり。うつゝ心《ごころ》に何《なに》をかいひたる。  やうやくいましめはゆるされたれど、なほ心《こゝろ》の狂《くる》ひたるものとしてわれをあしらひぬ。いふこと信《しん》ぜられず、すること皆《みな》人《ひと》の疑《うたがひ》を掾sま》すをいかにせむ。ひしと取籠《とりこ》めて庭《には》にも出《いだ》さで日《ひ》を過《す》ごしぬ。血色《けつしよく》わるくなりて痩《や》せもしつとて、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、28-8]上《あねうへ》のきづかひたまひ、後見《うしろみ》の叔父《をぢ》夫婦《ふうふ》にはいとせめて祕《かく》しつゝ、そとゆふぐれを忍《しの》びて、おもての景色《けしき》見《み》せたまひしに、門邊《かどべ》にありたる多《おほ》くの兒《こ》ども我《わ》が姿《すがた》を見《み》ると、一齊《いつせい》に、アレさらはれものの、氣狂《きちがひ》の、狐《きつね》つきを見《み》よやといふ/\、砂利《じやり》、小砂利《こじやり》をつかみて投《な》げつくるは不斷《ふだん》親《した》しかりし朋達《ともだち》なり。  ※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、28-12]上《あねうへ》は袖《そで》もてわれを庇《かば》ひながら顏《かほ》を赤《あか》うして遁《に》げ入《い》りたまひつ。人目《ひとめ》なき處《ところ》にわれを引据《ひきす》ゑつと見《み》るまに取《と》つて伏《ふ》せて、打《う》ちたまひぬ。  悲《かな》しくなりて泣出《なきだ》せしに、あわたゞしく背《せな》をばさすりて、 「堪忍《かんにん》しておくれよ、よ、こんなかはいさうなものを。」  といひかけて、 「私《わたし》あもう氣《き》でも違《ちが》ひたいよ。」としみ/″\と※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]口説《かきくど》きたまひたり。いつのわれにはかはらじを、何《なに》とてさはあやまるや、世《よ》にたゞ一人《ひとり》なつかしき※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、29-3]上《あねうへ》までわが顏《かほ》を見《み》るごとに、氣《き》を確《たしか》に、心《こゝろ》を鎭《しづ》めよ、と※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ながらいはるゝにぞ、さてはいかにしてか、心《こゝろ》の狂《くる》ひしにはあらずやとわれとわが身《み》を危《あや》ぶむやう其※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《そのたび》になりまさりて、果《はて》はまことにものくるはしくもなりもてゆくなる。  たとへば怪《あや》しき絲《いと》の十重《とへ》二十重《はたへ》にわが身《み》をまとふ心地《こゝち》しつ。しだい/\に暗《くら》きなかに奧《おく》深《ふか》くおちいりてゆく思《おもひ》あり。それをば刈拂《かりはら》ひ、遁出《のがれい》でむとするに其術《そのすべ》なく、すること、なすこと、人《ひと》見《み》て必《かなら》ず、眉《まゆ》を顰《ひそ》め、嘲《あざけ》り、笑《わら》ひ、卑《いやし》め、罵《のゝし》り、はた悲《かなし》み憂《うれ》ひなどするにぞ、氣《き》あがり、心《こゝろ》激《げき》し、たゞじれにじれて、すべてのもの皆《みな》われをはらだたしむ。  口惜《くちを》しく腹立《はらだ》たしきまゝ身《み》の|周[#底本では「周」は「蜩のつくり」]圍《まはり》はこと/″\く敵《かたき》ぞと思《おも》はるゝ。町《まち》も、家《いへ》も、樹《き》も、鳥籠《とりかご》も、はたそれ何等《なんら》のものぞ、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、29-11]《あね》とてまことの※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、29-11]《あね》なりや、さきには一《ひと》たびわれを見《み》て其弟《そのおとうと》を忘《わす》れしことあり。塵《ちり》一《ひと》つとしてわが眼《め》に入《い》るは、すべてものの化《け》したるにて、恐《おそろ》しきあやしき※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》のわれを惱《なや》まさむとて現《げん》じたるものならむ。さればぞ※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、29-13]《あね》がわが快復《くわいふく》を※[#「示+斤」、第3水準1-89-23]《いの》る言《ことば》もわれに心《こゝろ》を狂《くる》はすやう、わざと然《さ》はいふならむと、一《ひと》たびおもひては堪《た》ふべからず、力《ちから》あらば恣《ほしいまゝ》にともかくもせばやせよかし、近《ちか》づかば喰《く》ひさきくれむ、蹴飛《けと》ばしやらむ、※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《か》きむしらむ、透《すき》あらばとびいでて、九《こゝの》ツ谺《こだま》とをしへたる、たふときうつくしきかのひとの許《もと》に遁《に》げ去《さ》らむと、胸《むね》の湧《わ》きたつほどこそあれ、ふたゝび暗室《あんしつ》にいましめられぬ。 [#5字下げ]千《せん》呪《じゆ》陀《だ》羅《ら》尼《に》[#「千呪陀羅尼」は中見出し]  毒《どく》ありと疑《うたが》へばものも食《く》はず、藥《くすり》もいかでか飮《の》まむ、うつくしき顏《かほ》したりとて、優《やさ》しきことをいひたりとて、いつはりの※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、30-3]《あね》にはわれことばもかけじ。眼《め》にふれて見《み》ゆるものとしいへば、たけりくるひ、罵《のゝし》り叫《さけ》びてあれたりしが、つひには聲《こゑ》も出《い》でず、身《み》も動《うご》かず、われ人《ひと》をわきまへず心地《こゝち》死《し》ぬべくなれりしを、うつら/\舁《か》きあげられて高《たか》き石壇《いしだん》をのぼり、大《おほい》なる門《もん》を入《い》りて、赤土《あかつち》の色《いろ》きれいに掃《は》きたる一條《ひとすぢ》の道《みち》長《なが》き、右左《みぎひだり》、石燈籠《いしどうろう》と柘榴《ざくろ》の樹《き》の小《ちひ》さきと、おなじほどの距離《きより》にかはる/″\續《つゞ》きたるを行《ゆ》きて、香《かう》の栫sかをり》しみつきたる太《ふと》き圓柱《まるばしら》の際《きは》に寺《てら》の本堂《ほんだう》に据《す》ゑられつ、ト思《おも》ふ耳《みゝ》のはたに竹《たけ》を破《わ》る響《ひゞき》きこえて、※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《そう》ども五三人《ごさんにん》一齊《いつせい》に聲《こゑ》を揃《そろ》へ、高《たか》らかに誦《じゆ》する聲《こゑ》耳《みゝ》を聾《ろう》するばかり喧《かし》ましさ堪《た》ふべからず、禿顱《とくろ》ならび居《ゐ》る木《き》のはしの法師《ほふし》ばら、何《なに》をかすると、拳《こぶし》をあげて一|人《にん》の天窓《あたま》をうたむとせしに、一幅《ひとはゞ》の青《あを》き光《ひかり》颯《さつ》と窓《まど》を射《い》て、水晶《すゐしやう》の念珠《ねんじゆ》瞳《ひとみ》をかすめ、ハツシと胸《むね》をうちたるに、ひるみて踞《うづく》まる時《とき》、若※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《じやくそう》圓柱《ゑんちう》をいざり出《い》でつゝ、つい居《ゐ》て、サラ/\と金襴《きんらん》の帳《とばり》を絞《しぼ》る、燦爛《さんらん》たる御廚子《みづし》のなかに尊《たふと》[#底本では「尊」は「墫のつくり」]き像《すがた》こそ拜《をが》まれたれ。一段《いちだん》高《たか》まる經《きやう》の聲《こゑ》、トタンにはたゝがみ[#入力者註 はたたがみ(霹靂神)とは雷の神様]天地《てんち》に鳴《な》りぬ。  端嚴微妙《たんげんみめう》のおんかほばせ、雲《くも》の袖《そで》、霞《かすみ》の袴《はかま》ちら/\と瓔珞《えうらく》をかけたまひたる、玉《たま》なす胸《むね》に纖手《せんしゆ》を添《そ》へて、ひたと、をさなごを抱《いだ》きたまへるが、仰《あふ》ぐ/\瞳《ひとみ》うごきて、ほゝゑみたまふと、見《み》たる時《とき》、やさしき手《て》のさき肩《かた》にかゝりて、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、31-5]上《あねうへ》は念《ねん》じたまへり。  瀧《たき》や此堂《このだう》にかゝるかと、折《をり》しも雨《あめ》の降《ふ》りしきりつ。渦《うづま》いて寄《よ》する風《かぜ》の音《おと》、遠《とほ》き方《かた》より呻《うな》り來《き》て、どつと滿山《まんざん》に打《う》ちあたる。  本堂《ほんだう》青光《あをびかり》して、はたゝがみ堂《だう》の空《そら》をまろびゆくに、たまぎりつゝ、今《いま》は※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、31-8]上《あねうへ》をョ《たの》までやは、あなやと膝《ひざ》にはひあがりて、ひしと其胸《そのむね》を抱《いだ》きたれば、かゝるものをふりすてむとはしたまはで、あたゝかき腕《かひな》はわが背《せな》にて組合《くみあ》はされたり。さるにや氣《き》も心《こゝろ》もよわ/\となりもてゆく、ものを見《み》る明《あきら》かに、耳《みゝ》の鳴《な》るがやみて、恐《おそろ》しき吹降《ふきぶ》りのなかに陀羅尼《だらに》を呪《じゆ》する聖《ひじり》[#底本では「聖」は「王」に代えて「壬」]の聲々《こゑ/″\》さわやかに聞《き》きとられつ。あはれに心細《こゝろぼそ》くもの凄《すご》きに、身《み》の置處《おきどころ》あらずなりぬ。からだひとつ消《き》えよかしと兩手《りやうて》を肩《かた》に縋《すが》りながら顏《かほ》もて其胸《そのむね》を押《お》しわけたれば、襟《えり》をば※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《か》きひらきたまひつゝ、乳《ち》の下《した》にわがつむり押入《おしい》れて、兩袖《りやうそで》を打《うち》かさねて深《ふか》くわが背《せな》を蔽《おほ》ひ給《たま》へり。御佛《みほとけ》の其《その》をさなごを抱《いだ》きたまへるも斯《か》くこそと嬉《うれ》しきに、おちゐて、心地《こゝち》すが/\しく胸《むね》のうち安《やす》く平《たひ》らになりぬ。やがてぞ呪《じゆ》もはてたる。雷《らい》の音《おと》も遠《とほ》ざかる。わが背《せ》をしかと抱《いだ》きたまへる※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、32-1]上《あねうへ》の腕《かひな》もゆるみたれば、ソと其懷《そのふところ》より顏《かほ》をいだしてこは/″\其顏《そのかほ》をば見上《みあ》げつ。うつくしさはそれにもかはらでなむ、いたくもやつれたまへりけり。雨風《あめかぜ》のなほはげしく外《おもて》をうかゞふことだにならざる、靜《しづ》まるを待《ま》てば夜《よ》もすがら暴通《あれとほ》しつ。家《いへ》に歸《かへ》るべくもあらねば※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、32-4]上《あねうへ》は通夜《つや》したまひぬ。其一夜《そのいちや》の風雨《ふうう》にて、くるま山《やま》の山中《さんちう》、俗《ぞく》に九《こゝの》ツ谺《こだま》といひたる谷《たに》、あけがたに杣《そま》のみいだしたるが、忽《たちま》ち淵《ふち》になりぬといふ。  里《さと》の※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》、町《まち》の人《ひと》皆《みな》擧《こぞ》りて見《み》にゆく。日《ひ》を經《へ》てわれも※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、32-6]上《あねうへ》とともに來《きた》り見《み》き。其日《そのひ》一天《いつてん》うらゝかに空《そら》の色《いろ》も水《みづ》の色《いろ》も青《あを》く澄《す》みて、軟風《なんぷう》おもむろに小波《さゝなみ》わたる淵《ふち》の上《うへ》には、塵《ちり》一葉《ひとは》浮《うか》[#底本では「浮」は「さんずい+孚」]べるあらで、白《しろ》き鳥《とり》の翼《つばさ》廣《ひろ》きがゆたかに藍碧《らんぺき》なる水面《すゐめん》を《よこ》ぎりて舞《ま》へり。  すさまじき暴風雨《あらし》なりしかな。此谷《このたに》もと藥※[#「石+幵」、第3水準1-89-3]《やげん》の如《ごと》き形《かたち》したりきとぞ。  幾株《いくかぶ》となき松柏《まつかしは》の根《ね》こそぎになりて谷間《たにま》に吹倒《ふきたふ》されしに山腹《さんぷく》の土《つち》落《お》ちたまりて、底《そこ》をながるゝ谷川《たにがは》をせきとめたる、おのづからなる堤防《ていばう》をなして、凄《すさ》まじき水《みづ》をば湛《たゝ》へつ。一《ひと》たびこのところ決潰《けつくわい》せむか、城《じやう》の端《はな》の町《まち》は水底《みなそこ》の都《みやこ》となるべしと、人々《ひと/″\》の恐《おそ》れまどひて、怠《おこた》らず土《つち》を裝《も》り石《いし》を伏《ふ》せて堅《かた》き堤防《ていばう》を築《きづ》きしが、恰《あたか》も今《いま》の關屋《せきや》少將《せうしやう》の夫人《ふじん》※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、32-13]上《あねうへ》十七の時《とき》なれば、年《とし》つもりて、嫩《ふたば》なりし常磐木《ときはぎ》もハヤ丈《たけ》のびつ。草《くさ》生《お》ひ、苔《こけ》むして、いにしへよりかゝりけむと思《おも》ひ紛《まが》ふばかりなり。  あはれ礫《つぶて》を投《とう》ずる事《こと》なかれ、うつくしき人《ひと》の夢《ゆめ》や驚《おどろ》かさむと、血氣《けつき》なる友《とも》のいたづらを叱《しか》り留《とゞ》めつ。年《とし》若《わか》く面《おもて》C《きよ》き※[#「さんずい+誨のつくり」、第3水準1-86-73]軍《かいぐん》の少尉《せうゐ》候補生《こうほせい》は、薄暮《はくぼ》暗碧《あんぺき》を湛《たゝ》へたる淵《ふち》に臨《のぞ》みて肅然《しゆくぜん》とせり。 底本:「鏡花全集 卷三」岩波書店    1941(昭和16)年12月25日第1刷発行    1974(昭和49)年1月7日第2刷発行 初出:「文藝倶樂部 第二巻第十三編小説六佳選号」博文館    1896年(明治29年)11月 単行本初出:「銀鈴集」隆文館    1911年(明治44年)10月発行 入力:山崎正之 校正: 2024年10月26日作成 2024年11月6日改訂 ※この作品には、「かたゐ」という表現が出て来ますが、主人公の少年はその子どもたちと一緒に遊ぶことを選択していますし、彼自身が狂人として差別される様子が描かれます。差別される人たちへの鏡花の共感は強いと思います。「照葉狂言」や「一之卷」〜「誓之卷」でも、女性に対する差別、芸人に対する差別、外国人に対する差別、キリスト教徒に対する差別が描かれています。鏡花の作品は今でも読み続けられるべきものだと信じます。 ※底本では、旧字の漢字が用いられています。表示できない漢字については出来るかぎり註をつけました(初出時のみ)。「しんにょう」はすべて「二点しんにょう」ですが、それらについてはいちいち註をつけておりません。以下にまとめておきます。 「魔」は「麾」の「毛」に代えて「鬼」 「船」は「搬−てへん」 「菜」は「くさかんむり/綵のつくり」 「晴」は「晴のつくり」にかえて「睛のつくり」 「婦」は「女+帚」 「肩」は「戸」に代えて「戸の旧字」 「羽」は「栩のつくり」 「隔」は「儿」に代えて「希−布」 「彩」は「綵のつくり+彡」 「青」は「睛のつくり」 「毒」は「毋」にかえて「母」 「咲」は「つくり」の上半分が「八」 「社」は「示+土」 「急」は「(危−厄)/(帚−冖−巾)/心」 「忍」は「仞のつくり/心」 「肩」は「戸」に代えて「戸の旧字」 「寒」の「冬−夂」に代えて「冫」 「雪」は「膤のつくり」 「響」は「郷」の「即のへん」に代えて「皀」 「認」の「刃」に代えて「仞のつくり」 「所」の「戸」に代えて「戸の旧字」 「弱」は「嫋のつくり」 「尊」は「墫のつくり」 「扉」は「戸」に代えて「戸の旧字」 「鎖」は「金+瑣のつくり」 「益」は「縊のつくり」 「掃」は「てへん+帚」 「灰」は「恢−りっしんべん」 「腰」は「月+(襾/女)」 「捩」は「てへん+(戸の旧字+犬)」 「癒」の「愉のつくり」に代えて「兪」 「戸」は「戸の旧字」 「乳」は「郛のへん+礼のつくり」 「抱」は「てへん+鉋のつくり」 「薄」の「縛のつくり」に代えて「溥のつくり」 「拳」は「劵」の「力」に代えて「手」 「緩」は「糸+爰」 「逞」は「二点しんにょう+酲のつくり」 「縛」は「糸+溥のつくり」 「情」は「情」の「つくり」にかえて「睛のつくり」 「説」は「言+兌」 「周」は「蜩のつくり」 「尊」は「墫のつくり」 「聖」は「王」に代えて「壬」 「浮」は「さんずい+孚」 ※この作品の著作権は切れております。このファイルの取り扱いについては青空文庫の下記の要領に準拠するものといたします。適宜、読み替えて下さい。 [#ここから2字下げ]  あなたは、ファイルをダウンロードし、開いて読むことができます。  ファイルは、有償・無償であるかを問わず、自由に複製・再配布・共有することができます。  また、ファイルを元に、実演・口述・翻案など自由に活用することもできます。  利用や複製・再配布・共有に先立って、ファイル形式を変換したり、ルビや外字・傍点などの注記形式を変更することも可能です。  著作権法第二十条第二項四に適合する範囲で、異なる底本に合わせて字句をあらためたり、旧かな・旧漢字を現代表記にあらためるといった、用字用語の書き換え、注記の削除などもできます。 [#ここから罫囲み] 【著作権法第二十条第二項四】:前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変 [#ここで罫囲み終わり]  これらのいずれを行うにあたっても、あなたは青空文庫側に対価を支払ったり、了解を求めたりする必要はありません。  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