一之卷・二之卷・三之卷・四之卷・五之卷・六之卷・誓之卷 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)墓參《ぼさん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|度《たび》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41] ------------------------------------------------------- [#ページの左右中央] [#5字下げ]一之卷[#「一之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   墓參  彫刻師  紅白  學校  秀  將棊 [#改ページ] [#5字下げ]墓參《ぼさん》[#「墓參」は中見出し]  十一の時《とき》母《はゝ》みまかり給《たま》ひつ。年紀《とし》十四の春《はる》のはじめ、其《そ》の命日《めいにち》に當《あた》りし日《ひ》なりき。活計《なりはひ》の忙《せは》しきに、たゞ懷《なつか》しく思《おも》ふのみ、御身《おんみ》代《かは》りてものせよといふ、父《ちゝ》の言葉《ことば》身《み》に染《し》みつゝも、予《よ》は墓參《ぼさん》にとて立出《たちい》でぬ。  蒼空《おほぞら》には凧《たこ》の聲《こゑ》、野面《のおも》に蝶《てふ》の飛交《とびか》ふにて、纔《わづか》に風《かぜ》もありと見《み》ゆ。春興《しゆんきよう》轉《うた》た酣《たけなは》なれば、人《ひと》さま/″\に浮《う》かれいでて、市《まち》をはなれ、坂《さか》を攀《よ》ぢ、日暮《ひぐらし》の丘《をか》の眺望《みはらし》あたり、扇《あふぎ》が原《はら》、題目堂《だいもくだう》、鳶《とび》が峰《みね》の此處《こゝ》彼處《かしこ》、|一群々々《ひとむれ/\》落合《おちあ》ひて、筵《むしろ》を擴《ひろ》げ、氈《せん》を敷《し》き、割籠《わりご》を開《ひら》き、吸筒《すひづつ》を傾《かたむ》けなどして、老若男女《らうにやくなんによ》の集《つど》へる上《うへ》に、鳶《とび》は颯《さつ》と翼《つばさ》をのして、靜《しづか》に打舞《うちま》ふ輪《わ》の中《なか》に、湖《みづうみ》も見《み》え、川《かは》も見《み》え、橋《はし》見《み》え、里《さと》見《み》え、城《しろ》見《み》えて、市街《まち》も眼下《めした》に見《み》え渡《わた》る、其《その》麗《うらゝ》かさに引替《ひきか》へて、ひとむら樹立松杉《こだちしようさん》の鬱蒼《うつさう》として生茂《おひしげ》れる、あゝ、墓原《はかはら》の春寒《はるさむ》さよ。  唯《と》見《み》れば母《はゝ》の墳墓《おくつき》の、誰《た》が惡戲《いたづら》にや傍《かたはら》なる松《まつ》の根《ね》に倒《たふ》されて、臺石《だいいし》ばかり殘《のこ》りたり。  こは其時《そのとき》に限《かぎ》りしならず。舊《もと》此處《このところ》に何《なん》とかいひし臨濟宗《りんざいしう》の巨刹《おほでら》ありしが、何時《いつ》の頃《ころ》か亡《ほろ》び果《は》てて、今《いま》は唯《たゞ》そのなごりの鐘撞堂《かねつきだう》に、一杵《いつしよ》の撞木《しゆもく》懸《かゝ》れるのみ。寺領《じりやう》なりける墓地《ぼち》を開《ひら》きて、染井《そめゐ》或《あるひ》は谷中《やなか》の如《ごと》く、土地《とち》の埋葬地《まいさうち》としたりしなるが、固《もと》より墓守《はかも》る※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《そう》もなく、春《はる》の山《やま》、秋《あき》の山《やま》、をり/\茶店《ちやみせ》を營《いとな》むばかり、一軒家《いつけんや》もあらざるに、町人《まちびと》が遊山《ゆさん》の場《ば》とは、別《べつ》に隔《へだ》ての垣《かき》もなく、松《まつ》杉《すぎ》の其《そ》の樹立《こだち》にて、境《さかひ》をなせるに過《す》ぎざれば、わるあがきする里《さと》の兒《こ》、醉漢《よひどれ》などの侵《をか》し入《い》りて、墓石《はかいし》をおしこかし、印《しるし》の小松《こまつ》の枝《えだ》をなぎ、卒堵婆《そとば》を拔《ぬ》き棄《す》てなどするが、墓《はか》あらしとて數々《しば/\》あり。  然《さ》らぬだに、手向《たむけ》の水《みづ》も涸《か》れがちや、去《い》にし月《つき》捧《さゝ》げたる、花《はな》の枯《か》れしも果敢《はか》なきに、恁《か》う荒《あ》れ果《は》てし草葉《くさば》の蔭《かげ》の、母《はゝ》の亡骸《むくろ》も年經《としふ》れば、あとも留《とゞ》めずならむかと、はやくも※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》さしぐみぬ。  庭《には》の隅《すみ》なる茶《ちや》の木《き》の蔭《かげ》に、蛙《かへる》の墓《はか》を築《つ》きし手《て》に、其《そ》の墓石《はかいし》を※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]抱《かいいだ》き、舊《もと》の處《ところ》に直《なほ》し据《す》ゑむと、幼心《をさなごころ》に力《ちから》も料《はか》らず、押《お》せばとて、曳《ひ》けばとて、如何《いかに》して動《うご》くべき。  むねのせまりて切《せつ》なきに、といきして打仰《うちあふ》ぐ、樹間《このま》の天《てん》は藍《あゐ》の如《ごと》く、ひらり/\と凧《たこ》の影《かげ》、日脚《ひあし》傾《かたむ》く塔婆《たふば》にうつりて、哄《どつ》とさゞめく笑聲《わらひごゑ》、遠近《をちこち》に聞《きこ》ゆるにぞ、心《こゝろ》なき人《ひと》たちよ、と覺《おぼ》えず眉《まゆ》の動《うご》きしが、詮《せん》術《すべ》もなく首垂《うなだ》れつゝ、然《さ》るにても打棄《うちす》て去《い》なむが口惜《くちをし》く、効《かひ》あらじと知《し》りながら、再《ふたゝ》び犇《ひし》と取縋《とりすが》り、傍目《わきめ》も觸《ふ》らで力《ちから》を籠《こ》めたる、肩《かた》に手《て》を置《お》き背後《うしろ》より、 「あなた、お待《ま》ち遊《あそ》ばせ。あの……」  と聲《こゑ》優《やさ》しく、ふと呼《よ》びかくる※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》あるにぞ、振仰《ふりあふ》ぎ、見返《みかへ》れば、襲着《かさねぎ》したる妙《たへ》なる姿《すがた》、すらりとしたるが立《た》ちたりき。其《その》美《うつく》しさ氣高《けだか》さに、まおもてより見《み》るを得《え》ず、唯《たゞ》眞白《ましろ》なる耳朶《みゝたぶ》より、襟脚《えりあし》にかけ、※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》にかけ、二筋《ふたすぢ》、三筋《みすぢ》、はら/\と、後毛《おくれげ》の亂《みだ》れかゝりたる顏《よこがほ》を、密《そ》と見《み》たるのみ、はなじろみぬ。  渠《かれ》は片※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《かたほ》に微笑《ほゝゑ》みながら、 「今《いま》ね、誰《だれ》かに然《さ》ういつて、お墓《はか》を直《なほ》さしてあげますからね、……お可哀相《かはいさう》に、」  といひかけつゝ、其《その》瞬間《しゆんかん》一點《いつてん》の、一事《いちじ》の胸《むね》にあることなく、無心《むしん》なりし予《よ》が面《おもて》を、ぢつと※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《なが》めて、面《おもて》を背向《そむ》け、 「それではね、待《ま》つておいでなさいましよ。」  と行《ゆ》きかけて、また見返《みかへ》りぬ。 [#5字下げ]彫刻師《てうこくし》[#「彫刻師」は中見出し]  貧《まづ》しきを心《こゝろ》に留《と》めず、氣《き》まゝに註文《ちうもん》を打棄《うちす》て置《お》くを、名人《めいじん》上手《じやうず》と謂《い》ふべくば、彫刻師《ほりし》なりし予《よ》が父《ちゝ》も、名工《めいこう》の一《いつ》として世《よ》に數《かぞ》へられ給《たま》ひなむ。 「長常《ながつね》さんはこちらですか。」  と細工場《さいくば》の格子《かうし》に訪《おと》なふ人《ひと》あり。跪《ひざまづ》きて迎《むか》ふるとて、予《よ》は其顏《そのかほ》を見《み》て驚《おどろ》きぬ。來客《らいきやく》は調子高《てうしだか》に、 「おや此家《ここ》のか。」  とまづいへり。  をさなきわれは、ものをもいはず、慌《あわたゞ》しく引返《ひきかへ》し、細工盤《さいくばん》に打向《うちむか》へる、父《ちゝ》の許《もと》に駈《か》け行《ゆ》きて、 「父上《おとつさん》、あの、過日來《いつかぢう》話《はな》した、あの、母上《おつかさん》の。あの、あの、」  と口早《くちばや》に急込《せきこ》むにぞ、父《ちゝ》は皺《しわ》みたる額《ひたひ》をあげ、 「あの、何《なん》だ。」 「えゝ、母上《おつかさん》のお墓《はか》を直《なほ》して、あの、直《なほ》してくれましたね、其人《そのひと》が來《き》ましたよ。」  父《ちゝ》は聞《き》くより色《いろ》動《うご》けり。 「や、何《なに》、それは/\。早《はや》く、これ、何《なん》だな。汝《おまへ》、早《はや》く此方《こつち》へといはんかい。」  奧《おく》深《ふか》からぬ住居《すまひ》なれば、早《はや》くも彼方《かなた》にて、聞着《きゝつ》けけむ。 「御免《ごめん》なさいよ。」  と打笑《うちゑ》みながら、客《きやく》は此方《こなた》に入來《いりきた》れり。無愛想《ぶあいさう》なる父《ちゝ》の珍《めづら》しくも歡《よろこ》び迎《むか》へて、 「これは、これは。」 「はい、はじめまして。」 「いや、よくおいでなさいました。えゝ、何《なに》かはや忰《せがれ》がそゝつかしうございますので、まことに失禮《しつれい》。先達《せんだつ》ては、また何《ど》うも難有《ありがた》いお志《こゝろざし》で、佛《ほとけ》も嘸《さぞ》喜《よろこ》びましたことであらうと、……はい。何《なに》が貴方《あなた》、左樣《さやう》なお情《なさけ》を蒙《かうむ》りながら、何故《なぜ》お姓名《なまへ》を承《うけたま》はらないと、散々《さん/″\》叱言《こゞと》をいひました。根《ね》つから世間知《せけんし》らずで、とつともう役《やく》たゝず、まことに不念《ぶねん》な、行屆《ゆきとゞ》きませぬ、お住所《ところ》も分《わか》りませねば、御禮《おれい》にも出《で》られませず、殘念《ざんねん》に存《ぞん》じましたに、まあ、よくおいで下《くだ》されました。忰《せがれ》や、おわびを申《まを》さぬか。」  と懇《ねんごろ》に謝《しや》したるを、迷惑《めいわく》げに打消《うちけ》したり。 「然《さ》う御丁寧《ごていねい》では痛《いた》み入《い》ります。別《べつ》に私《わたし》が心《こゝろ》あつていたしたといふでもなし、家《うち》のお孃樣《ぢやうさん》が何《なん》です、あたりが酷《ひど》く亂暴《らんばう》だつたので、何處《どこ》かあの墓原《はかはら》の方《はう》へ一人《ひとり》で氣《き》を拔《ぬ》きに去《い》らつしやつたんださうです。すると御子樣《おこさま》ですか。お墓《はか》につかまつて、泣《な》きさうにしておいでなすつたのを見《み》て、お可哀相《かはいさう》でならないから、汝《おまへ》行《い》つて直《なほ》して上《あ》げて、とおつしやるので。え、友的《ともす》てえ男《をとこ》と私《わたし》と二人《ふたり》でね、舁《かつ》いでのせましたばかりなんで、深切《しんせつ》な御當人《ごたうにん》はお孃《ぢやう》さまなんです。何《なに》ね、飛《と》んだ其氣《そのき》の優《やさ》しいお孃《こ》だもんですから、歸《かへ》つてからも何《ど》うも母上樣《おつかさん》がおありでないやうだ、そりやもうお召物《めしもの》のやうすでも能《よ》く知《し》れる、お可哀相《かはいさう》に何處《どこ》の方《かた》だらうつて噂《うはさ》をして居《を》りました。何《なん》ですかい、矢張《やつぱり》そのおつかさんがおいでなさいませんのですかね。」  父《ちゝ》はもろくも打濕《うちしめ》りぬ。 「はい、これが十一になります時《とき》、二十九で亡《な》くなりました。誠《まこと》にはや、不心得《ふこゝろえ》な奴《やつ》でな、はゝはゝ、腹《はら》が立《た》つてなりません。お孃樣《ぢやうさま》とおつしやれば、お若《わか》からうに、御奇特《ごきとく》な。何《なん》とも、お禮《れい》の申《まを》しやうもございません。」  と再《ふたゝ》び頭《かうべ》を下《さ》げたるに、壯佼《わかもの》は手《て》をあげて、 「それでは、私《わたし》が御挨拶《ごあいさつ》をうけるやうで、却《かへ》つて何《なん》です、もうこれだけにいたしませう。時《とき》に今日《けふ》あがりましたのは、實《じつ》は其《その》お孃樣《ぢやうさま》の御使《おつかひ》なんですが、何《ど》うも、恁《か》うなつて見《み》ると、恩《おん》に被《き》せますやうで、些《ち》と申《まを》しにくくなつたやうですが、何《なん》ですか、先々月《せん/\げつ》からおョ《たの》み申《まを》して置《お》きました、あの指輪《ゆびわ》とやらですが、まだお出來《でき》にはなりますまいかね。時計屋《とけいや》の深水《ふかみ》です。」  父《ちゝ》は驚《おどろ》き、 「え、それぢや貴方《あなた》は。」 「はい、店《みせ》のもので。何時《いつ》も小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》を寄越《よこ》しますが、今日《けふ》は一寸《ちよつと》次手《ついで》がございまして、私《わたし》に參《まゐ》つて、よくお願《ねが》ひ申《まを》してくれと、こんなことで。えゝ、決《けつ》して御催促《ごさいそく》はいたしませんが、お間《ひま》にはどうぞお心《こゝろ》がけなすつて下《くだ》さい。はい、不思議《ふしぎ》な御※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《ごえん》です決《けつ》して恩《おん》にや被《き》せませんが、何《なん》ですな、一番《ひとつ》恩《おん》に被《き》て、はやく拵《こしら》へて下《くだ》さると、なほ結構《けつこう》ですな、はゝゝ。」  と笑《わら》うて歸《かへ》りける。 [#5字下げ]紅白《こうはく》[#「紅白」は中見出し]  指環《ゆびわ》は日《ひ》を經《へ》て出來《でき》あがりぬ。父《ちゝ》は傍《かたはら》にわれを招《まね》きて、 「新次《しんじ》、お待兼《まちかね》の指環《ゆびわ》が出來《でき》たぜ。お前《まへ》を可哀《かはい》さうだといつてくれる、深水《ふかみ》の娘《むすめ》の註文《ちうもん》だ。念入《ねんい》りでやらかしたが。」  と打傾《うちかたむ》き/\、細工《さいく》ぶりを、とみかうみて、 「うまいな、こりや、近來《きんらい》の大出來《おほでき》。我《われ》ながらよくしたものだ。新次《しんじ》、お前《まへ》なんざ、其年紀《そのとし》で、其《その》明《あかる》い目《め》を持《も》つて居《ゐ》ても、こりやとても見《み》えめえな。手放《てばな》して人《ひと》に與《や》るなあ、何《なん》だか惜《を》しくつてならないが、あつらへものだ、持《も》つて行《ゆ》け。そしてな、長常《ながつね》銘《めい》を鑿《ほ》りました、と大威張《おほゐばり》で渡《わた》して來《こ》い。」  予《よ》はいそ/\して出《い》で行《ゆ》きぬ。  學校《がくかう》より一《ひと》ツ此方《こなた》なる辻《つじ》の角《かど》に、唐物店《たうぶつてん》とむかひあひて、間口《まぐち》こそは劣《おと》りたれ、奧行《おくゆき》深《ふか》き、時計屋《とけいや》の、行歸《ゆきかへり》に見《み》る店《みせ》ながら、取分《とりわ》け其日《そのひ》はもの珍《めづら》しく、また懷《なつか》しく、たふとく覺《おぼ》えて、直《す》ぐには店《みせ》に入《い》りかねたり。  小路《こうぢ》へそれて電信《でんしん》の柱《はしら》に凭《よ》りて、硝子越《がらすごし》に、其方《そなた》を透《すか》してためらひしが、折《をり》よく前《さき》の日《ひ》の使《つかひ》の人《ひと》、奧《おく》の方《かた》より出《い》で來《き》しにぞ、衝《つ》と進《すゝ》み近《ちか》づきて、 「お誂《あつら》への指環《ゆびわ》が。あの……」 「あゝ然《さ》うですか、」  と輕《かる》く受《う》けて、土間《どま》なる椅子《いす》を指《ゆび》さしつゝ、 「おかけなさい。一寸《ちよつと》、これ何《なに》や、奧《おく》へ行《い》つて、金《きん》や、お孃樣《ぢやうさま》に申《まを》して來《き》な。」  小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》は良《やゝ》ありて引返《ひつかへ》し、 「ぢや、直《す》ぐこつちからお※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《まは》りなすつて、ずつとお通《とほ》りなさいまし。」  と中戸《なかど》をあけて導《みちび》きぬ。通庭《とほりには》の※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]當《つきあたり》に、二戸《ふたと》前《まへ》の藏《くら》ならびたり。壁《かべ》暗《くら》く、柱《はしら》明《あか》るく、高《たか》き破風口《はふぐち》より日影《ひかげ》さして、譬《たと》へむ方《かた》なき奧床《おくゆか》しさ。  勝手《かつて》を働《はたら》く一人《ひとり》の下婢《かひ》の珍《めづら》しげに瞻《みまも》るに、顏《かほ》見《み》らるゝ心地《こゝち》して、予《よ》は足早《あしばや》にぞ通《とほ》り過《す》ぎたる。一室《ひとま》なる火鉢《ひばち》の傍《わき》に、其人《そのひと》ぞ居《ゐ》たりける。煩《わづら》ひやしたまひし、着※[#「やまいだれ+溲のつくり」、第3水準1-94-93]《きやせ》の肩《かた》薄寒《うすらさむ》げに、襟《えり》懸《か》けたる半纒《はんてん》着《き》て、今日《けふ》は後毛《おくれげ》のうるさきまで、咽喉《のんど》を掠《かす》めてこぼれかゝり、重《おも》き頭《かうべ》を結《ゆは》へたる、顱卷《はちまき》の切《きれ》眞蒼《まさを》なれば、顏《かほ》少《すこ》しく蒼《あを》みて見《み》えぬ。  座蒲團《ざぶとん》を此方《こなた》に進《すゝ》むるさへ、たゆげに手首《てくび》の細《ほそ》りたるが、笑顏《ゑがほ》を向《む》けてものやさしく、 「お使柄《つかひがら》恐《おそ》れ入《い》りますこと。」 「あの、大變《たいへん》おそくなつて、と然《さ》う申《まを》しました。」 「いえ、ついねえ、待遠《まちどほ》いので、おせかし申《まを》して、お忙《いそが》しうござんせうのに。」  いひつゝ渠《かれ》は掌《たなそこ》に、吉野紙《よしのがみ》の包《つゝみ》をひらきて、※[#「廣−广」、第3水準1-94-81]金《きん》の無垢《むく》の指環《ゆびわ》を据《す》ゑ、そと打返《うちかへ》して※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《なが》めしが、 「綺麗《きれい》だこと。まあ勿體《もつたい》ないやうですねえ。母樣《おつかさん》、」 「どれ。」  と人柄《ひとがら》のよき母樣《はゝおや》も、火鉢《ひばち》ごしに瞳《ひとみ》を寄《よ》せ、 「何《ど》うもねえ。これぢやなるほど一寸《ちよいと》やそつとぢや出來《でき》ない道理《わけ》だよ。そして何《なに》かい、此《この》お兒《こ》かい。」  女《むすめ》は默《もく》して頷《うなづ》きぬ。 「學校《がくかう》へおいでと見《み》えます。まあ/\折角《せつかく》御勉強《ごべんきやう》なさいましよ。ちつと遊《あそ》びにおいでだといゝね。おあひては無《な》いけれど、庭《には》も廣《ひろ》しさ、花《はな》がるたでもしませう。母樣《おつかさん》がおいでなさらなくつて、まあ何《ど》んなにお寂《さび》しからう。」  と溢《あふ》るゝばかりの情《なさけ》の言葉《ことば》、胸《むね》せまるほど嬉《うれ》しくて、はき/\ものも得《え》いはざりき。やがて歸《かへ》らむとしたりし時《とき》、白《しろ》と紅《くれなゐ》と牡丹《ぼたん》の形《かた》の打物《うちもの》を、C《きよ》らかなる紙《かみ》に捻《ひね》りて、予《や》がふところに推《お》し入《い》れながら、 「父上《おとつさん》によくお禮《れい》をおつしやつて下《くだ》さいましよ。まことに結構《けつこう》に出來《でき》ました。そしてね、あなた。」  と背後《うしろ》より裳《もすそ》を輕《かろ》く捌《さば》きつゝ、する/\と送《おく》り出《い》でしが、(宜《よろ》しく)とばかりいひすてて、彼方《あつち》向《む》きたまひし後姿《うしろつき》、丈《たけ》は予《よ》よりも高《たか》かりき。 [#5字下げ]學校《がくかう》[#「學校」は中見出し]  學校《がくかう》なる會話《くわいわ》の時間《じかん》は、ミリヤアド受持《うけも》てり。  ミリヤアドは、年紀《とし》少《わか》き米國《べいこく》の美人《たをやめ》なりし。ものいひ活々《いき/\》と、風采《とりなり》雄々《をゝ》しく、然《しか》も心《こゝろ》の優《やさ》しきが、四五|年《ねん》我國《わがくに》に住《す》み馴《な》れたれば、(お早《はや》う)(左樣《さやう》なら)なども、差支《さしつか》へず云《い》ひならへり。二三|外國《ぐわいこく》の宣ヘ師《せんけうし》と、郷里《きやうり》の有志※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いうししや》と相《あひ》料《はか》りて、布ヘ《ふけう》の一種《いつしゆ》の手段《しゆだん》として、英文《えいぶん》と漢文《かんぶん》を兼《か》ねヘ《をし》ふる、英和學校《えいわがくかう》といふを私立《しりつ》したるに、日々《ひゞ》渠《かれ》は出《い》で來《く》るなり。  學生《がくせい》はわがクラスにては、十|名《めい》に過《す》ぎざりき。全校《ぜんかう》を算《かぞ》ふるとも、百《ひやく》よりは多《おほ》からざるべし。然《さ》は今《いま》こそあれ、其頃《そのころ》は外國人《ぐわいこくじん》を見《み》れば直《たゞ》ちにこれを異人《いじん》と稱《とな》へつゝ、人《ひと》か、あらぬかの如《ごと》く、忌《い》み、且《か》つ卑《いやし》みたる折《をり》なるに、殊《こと》に地方《ちはう》のことなれば、多少《たせう》其道《そのみち》に心懸《こゝろがけ》あるものも、憚《はゞか》りて、校《かう》に登《のぼ》るもの少《すく》なかりしを、予《よ》は予《よ》が父《ちゝ》を信任《しんにん》したる、なにがしの勸誘《すゝめ》に因《よ》りて、去年《こぞ》よりヘ場《けうぢやう》に列《つらな》りたるなり。  學生《がくせい》の中《うち》に年紀《とし》の長《た》けたるは、三十四五なるも少《すく》なからず、最《もつと》も少《わか》きも十八九、二十《はたち》を越《こ》さぬが稀《まれ》なれば、予《よ》のをさなきが珍《めづら》しとか。  ミリヤアドは愛《め》で親《したし》み、時《とき》としては予《よ》を遇《ぐう》するに、殆《ほとん》ど幼稚園《えうちゑん》の生徒《せいと》をもてすることありき。  課業《くわげふ》果《は》てて後《のち》ミリヤアドは、白※[#「壥−土へん−厂」、第3水準1-15-62]《はくぼく》持《も》ちし手《て》の指《ゆび》を、手巾《ハンケチ》もて拭《ぬぐ》ひつゝ、衝《つ》と予《よ》が卓子《テエブル》のうしろに來《き》ぬ。友《とも》はみなどや/\と控所《ひかへじよ》に立去《たちさ》りて、居殘《ゐのこ》りたるは、予《よ》と、いま一人《いちにん》、富《とみ》の市《いち》といふ盲目《めしひ》なり。  渠《かれ》は唯《たゞ》會話《くわいわ》の時間《じかん》にのみ列《つらな》るなり。固《もと》より眼《まなこ》の盲《し》ひたるものの、書《しよ》を以《も》て學《まな》ぶこと能《あた》はざれども、會話《くわいわ》は其《その》記憶《きおく》によりて、多少《たせう》得《う》ることのあるべければ、いかなる目的《もくてき》のありてにや、切《せつ》に入校《にふかう》を望《のぞ》みしを、校長《かうちやう》には異議《いぎ》のありたれど、宣ヘ師等《せんけうしら》はもと布ヘ《ふけう》のために設《まう》けたる學校《がくかう》なればとて、遂《つひ》に渠《かれ》を許《ゆる》せしよし。雨《あめ》の日《ひ》も、風《かぜ》の日《ひ》も、渠《かれ》は缺席《けつせき》したりしことなく、目《め》の見《み》えぬに心《こゝろ》他《た》に觸《ふ》れざれば、會話《くわいわ》は組《クラス》に伍《ご》して人《ひと》に劣《おと》らず、予《よ》と成績《せいせき》を爭《あらそ》ひ居《を》るなり。  渠《かれ》は年紀《とし》のころ二十八九、身《み》の丈《たけ》小《ちひ》さく肩《かた》※[#「やまいだれ+溲のつくり」、第3水準1-94-93]《や》せたり。額《ひたひ》少《すこ》しく生《は》えあがりて、五分刈《ごぶがり》の頭髮《とうはつ》柔《やはら》かに、眉《まゆ》薄《うす》く、鼻《はな》高《たか》く、唇《くちびる》白《しろ》く、頤《おとがひ》こけて、細長《ほそなが》き顏《かほ》の身體《からだ》とはふさはしからず大《おほい》なるに、白痘痕《しろあばた》みち/\たり。  親《した》しく語《かた》りたることもあらねど、予《よ》ははじめより渠《かれ》に對《たい》して、嫌惡《けんを》の念《ねん》を抱《いだ》くことを、いかんともすること能《あた》はず。いはゆる蟲《むし》のすかぬにや、顏《かほ》を見《み》るだに疎《うと》ましかりき。  二人《ふたり》のみ殘《のこ》れるに、ミリヤアドは靴《くつ》の音《おと》、裳《も》の音《おと》輕《かろ》く背後《うしろ》に來《き》つ。恰《あたか》も其前《そのさき》の一時間《いちじかん》は、漢籍《かんせき》の講讀《かうどく》にて、文章軌範《ぶんしやうきはん》卷之五《まきのご》の、送王秀才序《わうしうさいをおくるじよ》……韓文公《かんぶんこう》とある處《ところ》、開《ひら》きたるまゝにして、テエブルの上《うへ》にありたるを、予《よ》が肩越《かたごし》に瞻《みまも》りけるが、ふと私[#(ニ)]怪[#(ム)]隱居[#(スル)]※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]、とある、私《し》の字《じ》をば、美《うつく》しく白《しろ》き人指《ひとさし》もて指《ゆび》さしつゝ、 「上杉樣《うへすぎさん》、私《わたくし》?」  予《よ》は微笑《ほゝゑ》みて頷《うなづ》きたり。ミリヤアドはまた、乃知[#(ル)]の處《ところ》をさして、 「これ、乃《の》の字《じ》……でせう。」  予《よ》はまた頷《うなづ》きぬ。ミリヤアドは得意《とくい》になりて、建中[#(ノ)]初、天子《てんし》といふをば、 「それから天《てん》、子《ね》、旨《うま》いでせう。クラスの方《かた》、皆《みん》な覺《おぼ》えがわるい。私《わたくし》、じやうずに覺《おぼ》えました。」  と渠《かれ》は嬉《うれ》しげに微笑《ほゝゑ》みたり。予《よ》は其《その》得意《とくい》を殺《そ》ぎやらむと、頭《かうべ》を掉《ふ》りて、 「いけません。」 「まあ、いけません?」  と打顰《うちひそ》みぬ。 [#5字下げ]秀《ひで》[#「秀」は中見出し]  富《とみ》の市《いち》は盲《し》ひたる目《め》に此方《こなた》を見向《みむ》きて、たゞにや/\と笑《わら》ひ居《を》れり。 「天《てん》、子《ね》、と讀《よ》んぢやいけません。天子《てんし》、天子樣《てんしさま》。」  ミリヤアドは打傾《うちかたむ》き、 「天子樣《てんしさま》、……天子樣《てんしさま》、あゝ、みかど[#「みかど」に傍点]のこと?」 「然《さ》うですとも。だから、天子《てんね》てツちや違《ちが》ひます。」 「はい、はい、お師匠樣《ししやうさま》、何卒《どうぞ》叱《しか》らないでヘ《をし》へて下《くだ》さいまし。」  と手《て》の甲《かふ》以《も》て※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》を擦《こす》る眞似《まね》をしながら、ミリヤアドの醉興《すゐきよう》さよ。予《よ》が坐《すわ》りたる同《おな》じ椅子《いす》に、窮屈《きうくつ》らしく腰掛《こしか》くる。袴《はかま》のひださら/\と、右《みぎ》の袂《たもと》に觸《ふ》るゝ時《とき》、妙《たへ》なる栫sかをり》※[#「さんずい+發」、第3水準1-87-9]《は》と散《ち》りたり。  近々《ちか/″\》と予《よ》が面《かほ》をのぞくやうに瞻《みまも》りながら、 「お師匠樣《ししやうさま》。」  また呼《よ》びかけて、傍《かたへ》にありたるノートの表紙《へうし》に、其手《そのて》にしたる鉛筆《えんぴつ》もて、何《なに》か落書《らくがき》をはじむるにぞ、睨《にら》むまねして、 「いけませんてば。」 「あら、叱《しか》らないで下《くだ》さいまし。恐《こは》いお師匠樣《ししやうさま》ねえ。」 「お師匠樣《ししやうさま》もないもんです。」 「いゝえ、お師匠樣《ししやうさま》、お師匠樣《ししやうさま》、可愛《かはい》らしいお師匠樣《ししやうさま》、これは(力《か》)の字?」  と鉛筆《えんぴつ》もて遂《つひ》に(?)の字《じ》を書《か》きつけぬ。 「違《ちが》ひます。こゝは、力《ちから》、と讀《よ》むの。」 「あゝ、ちから、力《ちから》――※[#「示+申」、第3水準1-89-28]樣《かみさま》の――」  頷《うなづ》くを見《み》また頷《うなづ》ける、ミリヤアドなほ飽《あ》かで、あちこち漢字《かんじ》をあさりつゝ、王秀才《わうしうさい》の秀《しう》といふ字《じ》を、とかくしてさがしあてたり。 「この字《じ》?」 「秀《ひで》。」 「秀《ひで》?」 「秀《ひいづ》るとも讀《よ》むんです。」 「ひいづる?」 「まさること、勝《か》つこと。」 「人《ひと》に?」 「然《さ》うです。」  と答《こた》ふる顏《かほ》を、屹《き》と見《み》たる、ミリヤアドは衝《つ》と立《た》ちあがり、聲《こゑ》の調子《てうし》も凛《りん》として、 「あなた、何故《なぜ》それを忘れました。わるい人《ひと》、此頃《このごろ》は下稽古《したげいこ》をして來《き》ません。あなた一番《いちばん》年紀《とし》が若《わか》い、そして一番《いちばん》よく出來《でき》ます。けれども、いまに負《ま》けてしまひませう、人《ひと》にまけてはなりません。秀《ひで》、秀《ひいづる》。」  と肅《しゆく》として、師《し》の威《ゐ》のそなはる立姿《たちすがた》、思《おも》はず頭《かうべ》を垂《た》るゝ時《とき》、ミリヤアドは足早《あしばや》に外《と》の方《かた》にこそ出行《いでゆ》きたれ。  戒《いましめ》ひしと胸《むね》に中《あた》りて、さは人目《ひとめ》にも見《み》ゆるや。此頃《このごろ》はさてわれながら、いかで恁《か》くまでもの思《おも》ふ。  指環《ゆびわ》をとゞけに行《ゆ》きしより、十日《とをか》あまり早《は》や過《す》ぎぬ。其時《そのとき》渠《かれ》にあひながら、胸《むね》に餘《あま》れる感謝《かんしや》の情《じやう》の、よしいひつくすべくはあらずとも、一言《ひとこと》の挨拶《あいさつ》は言《い》はでかなはぬ儀《ぎ》なりしを、怪《あや》しきまで口《くち》澁《しぶ》りて、彼方《かなた》よりものを言《い》はるゝにさへ、捗々《はか/″\》しくは答《いらへ》もせざりし。さげしまれずや、卑《いやし》まれずや、と益《やく》もなきことをのみ、思《おも》ひ續《つゞ》けて、寢《ね》つ、覺《さ》めつ。  堪《た》へ難《がた》きまで懷《なつか》しく、見《み》たく、遊《あそ》びに行《ゆ》きたきを、いはれしことの誠《まこと》ならば、機《をり》よし遊《あそ》びに來《きた》れよと、など使《つかひ》して給《たま》はざる。要《えう》もなき身《み》を何《なに》託《かこ》つけに推《お》して此方《こなた》より行《ゆ》かるべき。忘《わす》れられしか、棄《す》てられしかと、終夜終日《よすがらひねもす》なやめばぞ。  悄然《せうぜん》として掌《たなそこ》に面《おもて》を蔽《おほ》ひて俯向《うつむ》きたる、耳許《みゝもと》に口《くち》を寄《よ》せて、 「君《きみ》、やられたね。」  と冷《ひやゝ》かに笑《わら》ふが如《ごと》きは盲人《まうじん》なりき。  打僵《うちたふ》したくも思《おも》ひしが、さする元氣《げんき》もおとろへき。ものをもいはで歸途《きと》に就《つ》き、學校《がくかう》の門《もん》を出《い》でむとする時《とき》、外《と》に彳《たゝず》みたる婦人《をんな》あり。數《かず》多《おほ》き生徒《せいと》の中《なか》に、人《ひと》をもとむる※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》なりしが、予《よ》が姿《すがた》を一目《ひとめ》見《み》るより、つか/\と近《ちか》づきて、 「貴下《あなた》だ、貴下《あなた》だ。もし、あのお秀樣《ひでさま》がおつしやいました、花《はな》を折《を》つてあげますから、すぐお歸途《かへり》に入《い》らつしやいツて。」  こは嘗《かつ》て見《み》しことある、深水《ふかみ》の家《いへ》の下婢《かひ》なりき。 [#5字下げ]花《はな》[#「花」は中見出し]  去《い》にし年《とし》、母上《はゝうへ》病《やまひ》あらたまりて、ものを見《み》ることをも得《え》したまはざりしほどのことなりき。  寒《さむ》さ烈《はげ》しき頃《ころ》なりしかば、奧《おく》の間《ま》なる三疊《さんでふ》に、南枕《みなみまくら》に臥《ふ》し給《たま》ひ、※[#「示+且」、第3水準1-89-25]母《そぼ》あり、父《ちゝ》あり、醫師《くすし》あり、予《よ》といとけなき弟《おとうと》と、居坐《ゐずま》ひ正《たゞ》しくかしこまりて、互《たがひ》に面《おもて》を見《み》つるほど、寂《せき》として身動《みうごき》もしたまはざりし母上《はゝうへ》の、靜《しづか》に雙《さう》の目《め》を眠《ねむ》りしまゝ、兩手《りやうて》を空《そら》にさしのべつ。また枕頭《まくらもと》なる疊《たゝみ》の上《うへ》を、ものを取《と》るさまをして、※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《かい》さすり※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《かい》さすりしたまひしを、父《ちゝ》の見《み》て差寄《さしよ》りて、いかにせし、欲《ほつ》し求《もと》むるものありやと、耳《みゝ》近《ちか》ういはれしに、空《そら》にも、地《ち》にも美《うつく》しく妙《たへ》なる花《はな》の香《かぐ》はしき、紅《くれなゐ》なるが、紫《むらさき》なるが、白《しろ》きがいろ/\咲滿《さきみ》ちたり、二人《ふたり》の兒等《こら》に手折《たを》りて取《と》らせむ。見《み》たまへ此處《こゝ》にも、あれ、かしこにも、と紅※[#「木+誨のつくり」、第3水準1-85-69]《こうばい》の莟《つぼみ》綻《ほころ》ぶ※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》に、結《むす》ぼりたる唇《くちびる》とけて、うつとりと、かすかに微笑《ほゝゑ》みたまひしかば、あはれ、いまはのうつゝにも、さまでに兒等《こら》のいとしきかと、予《よ》と弟《おとうと》とを引寄《ひきよ》せつゝ、※[#「示+且」、第3水準1-89-25]母《そぼ》のひたと泣《な》きたまひしを、日《ひ》を經《へ》、月《つき》を經《へ》、年《とし》經《ふ》れども、なほまのあたり見《み》る如《ごと》く肝《きも》に銘《めい》じて覺《おぼ》えたり。  嬉《うれ》しきかな。花折《はなを》りくれし秀《ひで》の心《こゝろ》の、母《はゝ》の情《なさけ》に劣《おと》らじを。一枝《ひとえだ》は母《はゝ》に參《まゐ》らせて、兒《こ》の幸《さち》あるを見《み》せまつらむ。一枝《ひとえだ》は父《ちゝ》に、他《た》は※[#「示+且」、第3水準1-89-25]母《そぼ》に、殘《のこ》れる花《はな》は弟《おとうと》に半《なか》ば分《わか》ちて與《あた》へむと、深水《ふかみ》の奧《おく》を辭《じ》して出《い》で、心《こゝろ》せはしく中戸《なかど》をあけて、戸外《おもて》に出《い》でむとしたる時《とき》、 「C《きよ》や、母樣《おつかさま》がね、お前《まへ》御苦勞《ごくらう》だが、一寸《ちよいと》、八百屋《やほや》まで。」  用《よう》を命《めい》ずる聲《こゑ》のする。この後《のち》數々《しば/\》來給《きたま》はむに、心《こゝろ》やすだてなるこそよけれ。貴少《あなた》も遠慮《ゑんりよ》したまふまじ、此方《こなた》にも行儀《ぎやうぎ》見《み》せて、送迎《おくりむかひ》はなさじものをと、母親《はゝおや》のいひたれば、秀《ひで》も送《おく》りては出《いで》ざりし。予《よ》も其《その》まゝに去《さ》らむとせしが、聲《こゑ》のするより思《おも》はずも戸《と》に手《て》をかけたる身《み》を捻向《ねぢむ》け、唯《と》見《み》れば今日《けふ》も例《れい》の如《ごと》く鬢《びん》の後毛《おくれげ》數《かぞ》ふるばかり、顏《よこがほ》白《しろ》くこぼれたり。  風《かぜ》にも堪《た》へじといとほしかりし、前《さき》の日《ひ》のさまには似《に》で、病《やまひ》に勝《か》ちたる姿《すがた》雄々《をゝ》しく、全幅《ぜんぷく》の風采《ふうさい》の優《やさ》しう見《み》えて凜々《りゝ》しげなる、恐《おそろ》しき敵《てき》にであはむ時《とき》、其袂《そのたもと》にて庇《かば》はれなば、救《すく》はれ得《う》べし、とョ母《たのも》しく、うつかりと立《た》ちたるを、ふと見返《みかへ》られて、耳許《みゝもと》ぞ熱《あつ》くなりぬる。 「またね、」  といふ聲《こゑ》聞流《きゝなが》して、勢《いきほひ》よく戸外《おもて》に出《い》で、店《みせ》なる人《ひと》に默禮《もくれい》して、通《とほり》を家路《いへぢ》へ五※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《いつあし》ばかり、足《あし》ばやに行《ゆ》きかゝる、とむかひより、杖《つえ》を持《も》てさぐりながら、※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ある》きつきの、然《さ》までには覺束《おぼつか》なき※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》も見《み》えで、彼《か》の富《とみ》の市《いち》來懸《きかゝ》りたり。  擦違《すれちが》ふを遣《や》りすごし、立《たち》どまりて見送《みおく》れば、富《とみ》の市《いち》はつか/\と深水《ふかみ》の店《みせ》に入《い》り行《ゆ》きしが、 「は。」  とばかり茶《ちや》の山高《やまたか》の帽《ばう》の※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《ふち》に手《て》をかけたるのみ、脱《ぬ》ぎて挨拶《あいさつ》なさむともせで、其《その》まゝ今《いま》予《よ》が出來《いできた》れる、中戸《なかど》をあけて入《い》り行《ゆ》きぬ。  買物《かひもの》ならば店《みせ》にてせむ、奧《おく》に入《い》りしは知己《ちかづき》よ。固《もと》より渠《かれ》は盲人《めしひ》といへども、置《お》く霜《しも》に足駄《あしだ》を印《いん》して、夜寒《よさむ》の景《けい》に敍《じよ》せらるべき、さる境遇《きやうぐう》のものにあらず。資産《しさん》ある家《いへ》の長子《ちやうし》にして、親《おや》もなほ世《よ》にあるが、十六の時《とき》激烈《げきれつ》なる、天然痘《てんねんとう》にかゝりしため、目《め》の盲《し》ひたるもののよし、予《よ》は人傳《ひとづて》に聞《き》きて知《し》れり。  よしそれはともかくも、渠《かれ》は何《なん》の要《えう》ありて。深水《ふかみ》の家《いへ》に出入《いでい》るや、店《みせ》のものに對《たい》したる其擧動《そのふるまひ》を見《み》ても知《し》る、懇《ねんごろ》なるなかにあらではと、こゝろよからず感《かん》じてき。  渠《かれ》には聊《いさゝ》かかゝはりなく、何等《なんら》の恨《うらみ》あるにあらず。先刻《さき》に學校《がくかう》にてミリヤアドに戒《いまし》められて悄《しを》れし時《とき》、一言《ひとこと》いひたる言《ことば》とて、機《をり》が機《をり》なり、わが耳《みゝ》の僻《ひが》みと思《おも》へばそれまでなる、其《そ》を取《と》りいでていふことかは。嘲《あざけ》る如《ごと》く聞《き》きたりしも、實《まこと》は慰《なぐさ》めくれむとて、いひかけたらむも知《し》れざるを、何《なに》とてさまでに富《とみ》の市《いち》の御身《おんみ》にこゝろよからざると、もし人《ひと》の問《と》はむには、予《よ》は其答《そのこたへ》に窮《きう》せしならむ。因果《いんぐわ》は※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》のみ知《し》るものなり。 [#5字下げ]將棊《しやうぎ》[#「將棊」は中見出し]  がばり、がばり、がばり、がばり、白山氷《はくさんこほり》がばりがばりの、聲《こゑ》にまじりてなまぬるく、帽子燒《しやつぽうやき》ぢや、帽子燒《しやつぽうやき》ぢや、お腹《なか》の藥《くすり》の帽子燒《しやつぽうやき》ぢや、子供衆《こどもしう》買《か》ひな、と呼《よ》びかはす、白山氷《はくさんこほり》や、帽子燒《しやつぽうやき》や、夜商人《よあきんど》の口々《くち/″\》に、往《ゆ》きかふ納涼《すゞみ》の客《きやく》を呼《よ》ぶ。通《とほ》りの夜店《よみせ》の賑《にぎは》ひも、十|時《じ》を過《す》ぐれば人《ひと》まばらに、其夜《そのよ》は一天《いつてん》|※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]曇《かきくも》り、まだ一滴《ひとしづく》も落《お》ちざれど、乾《いぬゐ》の方《かた》なる遠山《とほやま》には、はや一驟雨《ひとゆふだち》かゝりけむ、涼風《すゞかぜ》さつとおろし來《き》て、露店《ろてん》のはだか火《び》漸次《しだい》に消《き》え、四角《よつかど》あたりの眞《ま》くらきに、瓦斯燈《がすとう》の火影《ほかげ》長《なが》くさして、絞《しぼ》りの浴衣《ゆかた》一人《ひとり》行《ゆ》き、二人《ふたり》行《ゆ》き、一人《ひとり》行《ゆ》き、一人《ひとり》行《ゆ》き、一人《ひとり》行《ゆ》きつゝ、ひつそとなりぬ。  秀《ひで》は此時《このとき》、金《きん》と銀《ぎん》と數十個《すうじつこ》の懷中時計《くわいちうどけい》を納《をさ》めたる、硝子蓋《がらすぶた》の函《はこ》の後《うしろ》に出《い》で來《きた》りて、肩《かた》少《すこ》しく見《み》ゆるまで、函越《はこごし》に顏《かほ》をさしいだし、椅子《いす》にかゝりて店《みせ》のものと、さきよりもの打語《うちかた》りたる、予《よ》を手眞似《てまね》して招《まね》きよせぬ。 「新《しん》ちやん、まかしてあげませう。」  其處《そこ》に置《お》きたる將棊盤《しやうぎばん》と秀《ひで》の顏《かほ》とを見《み》くらべながら、 「またね。」 「またツて、お厭《いや》なの。」 「厭《いや》ぢやないけれど……だつて弱《よわ》いんだもの。僕《ぼく》に勝《か》てつこはありやしない。降參《かうさん》をしてしまふが可《い》いや。」 「おほゝ、何《なに》かいつて在《い》らつしやるのね。昨夜《ゆうべ》も二度《にど》までお負《ま》けだつたぢやありませんか。」 「そりや、※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ふ》三枚《さんまい》では負《ま》けることもなくつてさ。何《なん》だつて、ずつと段《だん》が違《ちが》ふんだもの。勝《か》つたつて、負《ま》けたつて、張合《はりあひ》も何《なに》もありやしない、ほんのおあひてをして居《ゐ》るんだ。」 「あら、あんな事《こと》をいつて、※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》らしいよ。まあ、何《なん》でもようござんすからさ。よう、新《しん》ちやん。」  と早《は》や駒《こま》をぞ整《とゝの》へたる。  店《みせ》より若《わか》い※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》口《くち》を出《だ》し、 「大※[#「尸+曾」、第3水準1-47-65]《たいそう》凝《こ》つてますね、お秀《ひで》さん。はさみ將棊《しやうぎ》のうちは新《しん》ちやんの方《はう》から御催促《ごさいそく》のやうだつたけが、此頃《このごろ》ぢやあなたの方《はう》で、せツついて在《い》らつしやる。大分《だいぶ》あぶらがのつて來《き》たと見《み》えますね。」  と打笑《うちわら》ふ。 「あゝ眞個《ほんとう》だよ。何故《なぜ》だか、ひどくおもしろいの。」 「まあ、結構《けつこう》でございます。折角《せつかく》御修業《ごしゆげふ》なさいまし。はゝゝ、」  とて新聞《しんぶん》を讀《よ》むなりけり。 「さあ、新《しん》ちやん、金《きん》ですか、※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ふ》ですか。」 「や、いよ/\はじめるの。まるであかんぼのあしらひだ。何《なん》だか先生《せんせい》になつてヘ《をし》へるやうな氣《き》がするからね、こんなことは眞劍《しんけん》でなけりやおもしろくないものを。」  とこのごろはやなつかしみて、殊更《ことさら》に渠《かれ》を婦人《をんな》といふ遠慮《ゑんりよ》も少《すこ》しく薄《うす》らぎたるなり。秀《ひで》はわざとらしく怨《うら》めしげに、 「ようございます。澤山《たんと》そんなことを、おつしやるが可《い》い。私《わたし》や意地《いぢ》になつて、何《ど》うしてもにがしませんよ。而《さう》して、そんなに、強《つよ》いことをおつしやるなら、斯《か》うしませうね。新《しん》ちやんがお負《まけ》だつたらば、お手《て》をついて三《みツ》つおじぎをするの。可《よ》うござんすか。」 「それだと、勝《か》つたら何《ど》うするの。」 「さうするとね、私《わたし》が天狗樣《てんぐさま》の羽團扇《はうちは》といふ、傳授《でんじゆ》ごとをヘ《をし》へますよ。」 「天狗《てんぐ》の羽團扇《はうちは》ツて?」 「それはね、かうやつて、かういふ工合《ぐあひ》に、ね、駒《こま》をならべるの。而《さう》して新《しん》ちやんが、左《ひだり》からでも、右《みぎ》からでも、ちう/\たこかいなと、かう算《かぞ》へてね、御自分《ごじぶん》の好《すき》な駒《こま》を一《ひと》つ覺《おぼ》えて置《お》くの。さうするとね、私《わたし》がちやんとあてて、此《これ》でせうといふのが、不思議《ふしぎ》に當《あた》るんです。」 「そんなことをいつて、あたるか不知《しら》、」 「まあ、ちよいと覺《おぼ》えててごらん遊《あそ》ばせ。え、え、可《よ》うござんすか。それではと……これ、ね、そら、御覽《ごらん》なさい。不思議《ふしぎ》でせう。ですから天狗樣《てんぐさま》の羽團扇《はうちは》ツていふの。」  七《なゝ》ツ八《や》ツの幼兒《をさなご》を、あやすが如《ごと》き言《ことば》の調子《てうし》に、予《よ》もまきこまれて、たわいなく、 「妙《めう》だねえ。もう一度《いちど》やつてごらんなさい。可《い》いかい。よし覺《おぼ》えた。」 「幾度《いくたび》してもおんなじことよ。左《ひだり》の上《うへ》の方《はう》から三《みツ》ツめ。香車《きやうしや》でせう。もう外《はづ》れつこはございません、ねえ、友《とも》さん。」  戸外《おもて》より見《み》えざるやう、彼《か》の函《はこ》を小楯《こだて》に取《と》りて、店《みせ》とは別《べつ》に隔《へだた》りたる、奧《おく》の通路《とほりみち》になりをれる、疊《たゝみ》二疊《にでふ》敷《し》きたる處《ところ》に、彼方《かなた》の洋燈《ランプ》の光《ひかり》をうけて、照返《てりかへ》す一面《いちめん》の大姿見《おほすがたみ》かゝりたるため、あかるければ灯《ひ》も置《お》かで、秀《ひで》と二人《ふたり》坐《すわ》りたるなり。 「ねえ、友《とも》さん。」  と秀《ひで》の呼《よ》ぶに、店《みせ》のものは函《はこ》の彼方《かなた》より、 「あい/\、然《さ》やうでござい。」  と大《おほ》きく答《こた》ふ。秀《ひで》は打笑《うちゑ》み、 「これにはね、ちやんとたねがあるんですよ。友《とも》さんも知《し》つてるわねえ。」 「えゝ、そりやもうたねのないことは御法度《ごはつと》ですから、あるにやありますが、まことに輕少《けいせう》なもので。」 「でも不思議《ふしぎ》ぢやありませんか。」 「然《さ》やう、天下《てんか》恐《おそ》らく此位《このくらゐ》不思議《ふしぎ》なことはございません。」 「可《い》いよ。まあ新聞《しんぶん》を御折角《ごせつかく》。さ、新《しん》ちやん、お負《ま》けなさいますと三《みつ》ツおじぎ。ようござんすか。お勝《か》ちだつたら、をしへてあげます。」 「さきへ、たねをあかしてかゝつたつて可《い》いくらゐなものだ。おや、お世話樣《せわさま》、僕《ぼく》の分《ぶん》までおならべだが、兩駒《りやうこま》をはづしただけか。何《なに》、これでかゝらうなんて、氣《き》が強《つよ》いなあ。」 「いまぢや、もう※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ふ》三枚《さんまい》なんてわけに、ゆくものですか。」  と※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ふ》をつく。 「來《き》たな。」 「まづこれをね。」 「さあ。」 「かうやつてト新《しん》ちやんですよ。」  二手《ふたて》三手《みて》差合《さしあ》ふ折《をり》から、店頭《みせさき》に跫音《あしおと》して、 「今晩《こんばん》は。」  といふ聲《こゑ》の、抉《ゑぐ》るが如《ごと》く胸《むね》に響《ひゞ》き、汗《あせ》出《い》づるまで身《み》に感《かん》ず。富《とみ》の市《いち》ハヤあがり込《こ》みて、二《ふた》つ三《み》つ店《みせ》のものに、ものいひかはすが聞《きこ》ゆるなり。  一夜《ひとよ》おき、二夜《ふたよ》おき、三日《みつか》とは缺《か》かすことなく、予《よ》の此處《このところ》に來《く》る※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《ごと》に、此方《こなた》おくるゝか、渠《かれ》早《はや》きか、前後《ぜんご》して、富《とみ》の市《いち》と、秀《ひで》の前《まへ》に、かく落合《おちあ》はざること、いまに到《いた》るまで一《ひと》たびもあらざるなく、ために二人《ふたり》してすることの、何時《いつ》も其《それ》に妨《さまた》げられて、予《よ》は遺憾《ゐかん》なきことを得《え》ざりしなり。  さらでも不快《ふくわい》なる盲人《まうじん》なるをや。予《よ》は其聲《そのこゑ》を聞《き》くと齊《ひと》しく、むら/\と癇癪《かんしやく》起《おこ》りて、胸《むね》のうづくと思《おも》はれき。 「新《しん》ちやん、何《なに》をうつかりするの。」  秀《ひで》のいふに心着《こゝろづ》きて、あらぬ駒《こま》を進《すゝ》むる處《ところ》へ、富《とみ》の市《いち》は入來《いりきた》りて、かれとわれとの間《あひだ》をへだて、盤《ばん》の一方《いつぱう》に座《ざ》を取《と》りしが、直《す》ぐに口《くち》をさしはさみて、 「何《ど》うしました/\。あゝ、なるほど中飛車《なかびしや》で、むかうの手《て》からは桂馬《けいま》があがつて、ふむ。」  と一々《いち/\》問糺《とひたゞ》し、おのが記憶《きおく》に將棊《しやうぎ》を描《ゑが》きて明《あきら》かに盤面《ばんめん》を知《し》り得《う》るなり。  かくのごときこと例《れい》なるに、予《よ》はうるささにものいはねど、秀《ひで》は一々《いち/\》深切《しんせつ》に、兩方《りやうはう》の駒《こま》の進退《かけひき》を、落《おち》もなくいひ知《し》らしつ。  俄《にはか》に嬉《うれ》しげに叫《さけ》び出《いだ》せり。 「おゝ、嬉《うれ》しい。飛車手《ひしやて》、王手《わうて》、ね、ね、新《しん》ちやん。」  とあふるゝ如《ごと》き笑《ゑみ》を含《ふく》みて手《て》を拍《う》ちぬ。  予《よ》は大業《おほげふ》に驚《おどろ》きたり。 「え!こりや弱《よわ》つたな。かうするんぢやなかつたツけ、かうするんぢやなかつたツけ。一寸《ちよつと》一手《ひとて》待《ま》つて下《くだ》さい。」 「不可《いけ》ません。かけつこですもの。三《みつ》ツお辭儀《じぎ》を遊《あそ》ばすんだわ。」 「つい傍見《わきみ》をしたんだからさ、」 「そりや新《しん》ちやんがお惡《わる》いんだもの、待《ま》つたなんか卑怯《ひけふ》ですよ。」 「困《こま》るなあ/\。お辭儀《じぎ》をさせられちや大變《たいへん》だ。女《をんな》にお辭儀《じぎ》なんて僕《ぼく》は、……不可《いけな》いなあ。」 「ですから然《さ》ういつたではありませんか。あまりお威張《ゐばり》なすつて※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》らしいんだもの。嬉《うれ》しいねえ、」 「ちよつ口惜《くやし》い!」  先刻《さき》より苦笑《にがわらひ》したる富《とみ》の市《いち》は、予《よ》を卑《いやし》みたる語氣《ごき》をもて、 「ヘヽヽ、飛車《ひしや》で勝負《しようぶ》をしやしまいし。何《なに》を然《さ》う弱《よわ》るんだ。そして何《なに》、※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ふ》を一個《ひとつ》あひ[#「あひ」に傍点]とうてば、理窟《りくつ》もなにもありやせん。其《それ》を知《し》らんやうな將棊《しやうぎ》でもないに。」 「え。」 「君《きみ》はへつらふね。はゝゝゝ、何時《いつ》でも然《さ》うだ。まるで段《だん》の違《ちが》ふ將棊《しやうぎ》なくせに、秀《ひで》さんがつまりさうになると、わざと駒《こま》をあけてにがしたり、わかり切《き》つて居《ゐ》るものを、それ今《いま》のやうに好《この》んで手落《ておち》をして弱《よわ》つて見《み》せたり、はゝゝ、負《ま》けておもしろがるとは妙《めう》な人《ひと》だ。年紀《とし》もゆかないに。はゝゝ、何《なん》でも秀《ひで》さんの喜《よろこ》ぶのが嬉《うれ》しいと見《み》えるね。はゝゝゝ、お殿樣《とのさま》のおあひて將棊《しやうぎ》だ。君《きみ》は秀樣《ひでさん》におべつかをして居《ゐ》るのだ、如才《じよさい》のない。」  全身《ぜんしん》の血《ち》は頭《かうべ》にのぼりて、耳《みゝ》ぐわつと鳴《な》るとぞ覺《おぼ》えし。  十分時《じつぷんじ》の後《のち》は家《いへ》に歸《かへ》りて、あふぎ倒《たふ》れて、わつと泣《な》きぬ。盲目《めしひ》の言《ことば》皆《みな》中《あた》れり。亡《な》き母上《ははうへ》よ、許《ゆる》させ給《たま》へ。さる兒《こ》は産《う》ませたまはじを。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]二之卷[#「二之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   莓  ※[#「示+申」、第3水準1-89-28]婢  はなれ駒  留針  影法師  山鳩 [#改ページ] [#5字下げ]莓《いちご》[#「莓」は中見出し]  ネッキスト、ネッキスト、ネッキストと、ミリヤアドがやゝ口早《くちばや》に、順々《じゆん/\》質問《しつもん》を言《いひ》送《おく》る、C《すゞし》き聲《こゑ》を聞《き》きながら、夢地《ゆめぢ》を辿《たど》る心地《こゝち》也《なり》。時々《とき/″\》隣席《りんせき》の學友《がくいう》より、不意《ふい》に注意《ちうい》を請《う》くるにぞ、其都度《そのつど》はツと我《われ》に返《かへ》りて、さて慌《あわたゞ》しく其問《そのとひ》に應《おう》ぜむとするに、質問《しつもん》の何《なに》なりしかを、うか/\聞漏《きゝもら》し居《を》るなれば、更《さら》に答《こた》ふる術《すべ》を知《し》らず。心《こゝろ》臆《おく》して問《と》ひも返《かへ》さで、唯《たゞ》面《おもて》のみ赤《あか》うなり、默《もく》して俯向《うつむ》くこと頻《しきり》なりし。  其日《そのひ》は學期《がくき》の試驗《しけん》なるに、殊《こと》にこの一致ヘ會《いつちけうくわい》に屬《ぞく》したる、東京《とうきやう》の中央《ちうあう》會堂《くわいだう》より、宣ヘ師《せんけうし》一名《いちめい》、牧師《ぼくし》一名《いちめい》、並《ならび》に隨行員《ずゐかうゐん》兩三名《りやうさんめい》、折《をり》から巡ヘ《じゆんけう》の途次《とじ》わが校《かう》に立寄《たちよ》りて、生徒《せいと》の成績《せいせき》を見《み》むがため、此時《このとき》ヘ場《けうぢやう》に臨《のぞ》みたるなり。  豫《あらかじ》め其通牒《そのつうてふ》ありたることなれば、ミリヤアドは師《し》の情《じやう》として、生徒《せいと》に晴《はれ》を取《と》らせたく、且《か》つみづからもヘ師《けうし》等《ら》に、おのが生徒《をしへご》の出來榮《できばえ》を、誇《ほこ》らむずる意《い》もありたるより、二《に》週間《しうかん》ばかり以前《いぜん》より、あはれ成績《せいせき》の好《よ》かれかしと、組《クラス》の※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》一統《いつとう》に、繰返《くりかへ》し/\其旨《そのむね》をぞ含《ふく》ませたる。  特別《とくべつ》に予《よ》を其家《そのいへ》に招《まね》きつゝ、好《よ》き兒《こ》ぞ、かまへて仕損《しそん》ずな、いと年《とし》少《わか》き御身《おんみ》の榮《はえ》は、珍客《まらうど》に對《たい》するわが派手《はで》なり。あしき事《こと》にあらざれば、聊《いさゝか》の私《わたくし》は、※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》も許《ゆる》したまふべしとて、今日《けふ》われに試《こゝろ》むべき、幾條《いくでう》の問題《もんだい》を、あらかじめ打明《うちあ》かしぬ。  記憶力《きおくりよく》は人《ひと》に讓《ゆづ》らじを、殊《こと》に一册《いつさつ》の會話篇《くわいわへん》より、難易《なんい》取交《とりま》ぜ拔《ぬ》き出《いだ》してヘ《をし》へられたることなれば、心易《こゝろやす》くそらんじて、ものの數《かず》ともせざりしに、富《とみ》の市《いち》に罵《のゝし》られて、口惜《くちをし》さ、恥《はづ》かしさの苦悶《くもん》の枕《まくら》に眠《ねむ》らざりし、昨夜《ゆうべ》の今日《けふ》のことなるより、我《われ》にもあらで茫然《ばうぜん》と、あらぬことのみ思《おも》ひ續《つゞ》け、今《いま》おのが身《み》のいかなる場所《ばしよ》、何《なん》の時《とき》にあるかさへ、打忘《うちわす》れたるほどなれば、然《さ》は見苦《みぐる》しくも失敗《しつぱい》して、はじめより一《ひと》ツとして答《こた》へ得《え》たるはなかりしなり。  頭《かしら》重《おも》く、耳《みゝ》鳴《な》りて、胸《むね》苦《くる》しき身《み》を持《も》て餘《あま》し、氣《き》を取直《とりなほ》す力《ちから》も失《う》せて、再《ふたゝ》び眠《ねむ》らぬ夢《ゆめ》をぞ※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《み》たる。卓子《テエブル》の上《うへ》を、こと/\と、三《み》ツ四《よ》ツ忙《せは》しくたゝく音《おと》して、妙《たへ》なる栫sかをり》の腦《なう》を刺《さ》すに、ふと心着《こゝろづ》きて、面《おもて》を上《あ》ぐれば、ミリヤアド立《た》ち居《ゐ》たり。名《な》を呼《よ》ぶに應《おう》ぜざることの、度《たび》重《かさな》りしに、渠《かれ》は堪《こら》へで、予《よ》が前《まへ》に來《き》たりしならむ。手《て》にせる鉛筆《えんぴつ》の軸《ぢく》を返《かへ》して、卓子《テエブル》を打《う》ちて、驚《おどろ》かせしなり。  予《よ》を見《み》たる目《め》に怨《うらみ》を帶《お》び、激《げき》せる顏《かほ》を颯《さつ》とあかめ、 「何《なに》をして、何《なに》をして!」  と低聲《こごゑ》に強《つよ》く戒《いまし》めぬ。客《きやく》の臨《のぞ》める席《せき》なれば、仂《はした》なくは得《え》も叱《しか》らず、少《すこ》しく聲《こゑ》をふるはせつも、一句《いつく》の英語《えいご》を予《よ》に語《かた》りぬ。蓋《けだ》し國語《こくご》に譯《やく》すべきなり。  予《よ》は其《その》激《げき》したるを見《み》てあわてたれば、さまで難解《むづかし》き語《ご》にもあらざりしを、行詰《ゆきつま》りて、(我《われ》に與《あた》へよ、)といふまでは解《かい》せしが、語《ことば》の題《だい》なる物品《もの》の名《な》を、いかにもして譯《やく》する能《あた》はず。恐怖《きようふ》と、慚愧《ざんき》の眼《まなこ》を以《も》て、ミリヤアドの顏《かほ》を瞻《みまも》りしに、女ヘ師《ぢよけうし》は聲《こゑ》をひそめて、 「赤《あか》いもの、小《ちひ》さい、小《ちひ》さい。」  と口早《くちばや》にヘ《をし》へてき。うたてき予《よ》をば憐《あはれ》みたる、渠《かれ》が心《こゝろ》を汲《く》み知《し》りぬ。  あせるに耳《みゝ》の熱《あつ》くなるのみ、なほ答《こた》へかねて默《もく》するにぞ、いひ効《がひ》なしとやミリヤアドの、もろともに急《せ》き込《こ》みつゝ、 「小《ちひ》さい、美《うつく》しい、赤《あか》いもの、赤《あか》いもの。」 (これほどの、)と其形《そのかたち》を示《しめ》して、胸《むね》なるぼたんをつまさぐれり。人《ひと》知《し》れじとてしたらむが、來客《らいかく》も學生《がくせい》も齊《ひと》しく此方《こなた》に瞳《ひとみ》を灌《そゝ》ぎて、なかには笑《ゑみ》を含《ふく》むもあるに、ミリヤアドはおもはゆげに、密《そ》とあたりをぞ※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまは》したる。  予《よ》はおぼえずも聲《こゑ》を放《はな》ちて、 「根《ね》がけの珠《たま》。」  と我《われ》ながら調子《てうし》はづれに答《こた》へたり。同時《どうじ》に、哄《どつ》と笑聲《せうせい》起《おこ》りぬ。 「ネッキスト!」  と一聲《ひとこえ》鋭《するど》く、ミリヤアドは問《とひ》を送《おく》りて、屹《きつ》と予《よ》を見《み》たる目《め》の中《うち》に一滴《いつてき》の※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》を湛《たゝ》へたり。予《よ》はふたゝび仰《あふ》ぎ得《え》ざりき。  隣席《ネツキスト》なる富《とみ》の市《いち》は、すましかへりて、 「莓《いちご》を下《くだ》さい!」  とそを譯《やく》しつ。(すとろべりい)の語《ご》なりしよ。 [#5字下げ]※[#「示+申」、第3水準1-89-28]婢《しんひ》[#「※[#「示+申」、第3水準1-89-28]婢」は中見出し] 「こら、新次《しんじ》、起《お》きんか、お前《まへ》の處《ところ》へお客樣《きやくさま》だ。」 「誰《だれ》です、父上《おとつさん》、遊《あそ》びに來《き》たのなら斷《ことわ》りませう。」 「むゝ、起《お》きるのが大儀《たいぎ》かの。いや、其《その》まんまで逢《あ》つたら可《よ》からう。油斷《ゆだん》のならねえ、おい、新姐《しんぞ》が一人《ひとり》尋《たづ》ねて來《き》たんだ。はゝゝ、乃公《おとつさん》はまたおれの處《ところ》へ來《き》たのかと思《おも》つたら、大當《おほあて》はづれよ。はゝゝゝ。」  と元氣《げんき》よき高笑《たかわらひ》、兒《こ》の病《やまひ》をば慰《なぐさ》めむとて、然《さ》は氣《き》あつかひしたまふなるべし。  予《よ》は半《なか》ば起返《おきかへ》りぬ。 「え、女《をんな》ツて誰《だれ》でせう。」 「むゝ、何《なに》よ、の、あの何《なん》の人《ひと》さ。お前《めえ》が學校《がくかう》へ行《ゆ》くはじめに、朋達《ともだち》がそれ耶蘇《ヤソ》へ入《はひ》つたが分《わか》らねえとかいつて、※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]日《まいにち》道《みち》に待伏《まちぶせ》をして、苛《いぢ》めるつて、弱《よわ》つて居《ゐ》たつけの。其時分《そのじぶん》から袖《そで》の下《した》へ庇《かば》つちや、家《うち》まで送《おく》つて來《き》てくれた、それあの束髮《そくはつ》に結《ゆ》つた別嬪《べつぴん》だ。な、白襟《しろえり》で。武家方《ぶけがた》の女中《ぢよちう》が御維新《ごゐしん》になつたといふ身《み》の、凛《りん》とした、嫌味《いやみ》の無《な》い。」 「あゝ、父上《おとつさん》、それぢやミリヤアドの家《うち》に居《ゐ》る操《みさを》さんといふ女《ひと》でせう。」 「さうかな、まあそんな※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》だらう。何《なん》でも構《かま》ふことは無《な》い、寢《ね》たまゝお目《め》に懸《かゝ》るとするさ。」  良《やゝ》ありて枕頭《まくらもと》に來《きた》りたるは、果《はた》して其人《そのひと》、操《みさを》なりき。日曜學校《サンデースクウル》のヘ師《けうし》なれば、人《ひと》あつかひはよく馴《な》れたり。見《み》るよりなつかしう笑《わら》ひかけて、はやわが額《ひたひ》に手《て》を加《くは》え、忽《たちま》ち眉《まゆ》を打顰《うちひそ》めぬ。 「新《しん》さん、熱《ねつ》がございますね。お頭痛《づつう》が?不可《いけ》ませんねえ。學校《がくかう》へもおいでぢや無《な》いさうだし、ミリヤアドがね、大變《たいへん》案《あん》じて居《ゐ》るのよ。御病氣《ごびやうき》は?」 「風邪《かぜ》だつて、」  操《みさを》は頷《うなづ》き、 「ぢあ、まあ、ね。ですが夏《なつ》の風邪《かぜ》はしつツこうございますつさ。お醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]樣《いしやさま》は?」 「大《たい》したことはないツて言《い》ひます。」 「でも、折角《せつかく》お大事《だいじ》になさらなくツちや不可《いけ》ませんよ。學校《がくかう》もおくれますわ。」 「僕《ぼく》は最《も》う學校《がくかう》には行《ゆ》きません。」  操《みさを》は豫《かね》て期《ご》したる如《ごと》く、 「さあ、其事《そのこと》でね。實《じつ》はミリヤアドの代《かはり》に、私《わたし》がお怨《うら》みに來《き》たんだけれど、御病氣《ごびやうき》だから堪忍《かんにん》してあげませう。」  といひかけて微笑《ほゝゑ》みながら、 「ミリヤアドもね、新《しん》さん、學校《がくかう》をひいたのよ。何故《なぜ》ツて、何故《なぜ》ツて、新《しん》さん、あなたが餘《あんま》りだからですわ。ミリヤアドが如彼《あゝ》見《み》えても、宛然《まるで》子《こ》どもなんですからね。こんど來《き》た宣ヘ師《せんけうし》に、ひどく新《しん》さんのことを御自慢《ごじまん》でね、ま、さんざ、お弟子《でし》の惚氣《のろけ》をいつたの。而《さう》して御目《おめ》に懸《か》けませう、御覽《ごらん》なさいでもつて、試驗場《しけんぢやう》へ連出《つれだ》して、こゝでといふ處《ところ》で新《しん》さん、ま、貴下《あなた》あの日《ひ》は何《ど》うしたといふんですね、私《わたし》が聞《き》いててさへ口惜《くやし》かつたわ。何《なに》をうつかりして在《い》らつしやつたんだか知《し》らないけれど、ちつとも身《み》に染《し》みて下《くだ》さらないでさ、ものをいつても聞《き》きつけもしないでせう。  堪《たま》らなくなつたと見《み》えて、傍《そば》へ行《ゆ》くと、貴下《あなた》がまたひどくとちつてさ。どぎまぎなさるんだものを、見《み》て居《ゐ》ても、可哀相《かはいさう》で私《わたし》もはあ/\思《おも》つて居《ゐ》たわ。ミリヤアドがまた夢中《むちう》になつて、そつと遠※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《とほまはし》にヘ《をし》へたでせう。御自分《ごじぶん》は氣《き》が上《うは》ずツてるから人《ひと》に聞《きこ》えないつもりでも、皆《みん》な聞《き》いて居《ゐ》ますわね。それでなくツてさへ自分《じぶん》より年上《としうへ》の生徒《せいと》にものをいはれると、いつでも恥《はづ》かしがつて、紅《あか》くなる方《かた》ですもの。依怙贔屓《えこひいき》で、しかもねえ、試驗《しけん》といふのにヘ師《けうし》の方《はう》からヘ《をし》へたんぢや、あとで顏《かほ》があはされますものですか。あの日《ひ》歸《かへ》つてから、新《しん》さん、貴下《あなた》が折角《せつかく》の志《こゝろざし》を汲《く》んで勉強《べんきやう》をして下《くだ》さらないツて一日《いちにち》泣《な》いて居《ゐ》ましたつけがね、でも、何《ど》うぞ、あの日《ひ》は貴下《あなた》が病氣《びやうき》だつたのであつてくれればいゝ、ほんとにあんなにものがお出來《でき》なさらなくなつたんなら何《ど》うしようツて、さういつちや案《あん》じて居《ゐ》ますよ。」  操《みさを》の手《て》は※[#「二点しんにょう+兔」、第3水準1-92-57]早《いちはや》く予《よ》が口《くち》を蔽《おほ》ひたれば、折《をり》から茶《ちや》を汲《く》みて來合《きあは》せたまひし、父《ちゝ》はさりとも心着《こゝろづ》かで、 「新次《しんじ》、吸子《きびしよ》ごと置《お》いとくぞ。えゝ、お愛想《あいそ》もございません。澁茶《しぶちや》でもおあがんなさい。」  と無頓着《むとんぢやく》に言《い》ひすてて、はや座《ざ》を立《た》たんとしたりしに、操《みさを》は開《ひら》きて、席《せき》を正《たゞ》して、 「貴下《あなた》が新樣《しんさん》の父上《おとうさま》でございますか。染々《しみ/″\》御挨拶《ごあいさつ》もいたしません。あの、大※[#「尸+曾」、第3水準1-47-65]《たいそう》なお細工《さいく》のお上手《じやうず》だつて、豫々《かね/″\》人《ひと》から承《うけたまは》ります。早速《さつそく》でございますが、簪《かんざし》を一本《いつぽん》打《う》つて頂《いたゞ》くわけには參《まゐ》りますまいか。」  まめだちていひたるに、父《ちゝ》はいぶかしきおもゝちなりしが、極《きは》めてまじめに、 「へい、耶蘇《ヤソ》も簪《かんざし》をさしますか。」 「まあ。」 「また、御贔屓《ごひいき》に。」  と父《ちゝ》は立《た》ちぬ。操《みさを》はといきつきて羞《は》ぢたる色《いろ》あり。 「まあ、新《しん》さん飛《と》んだことをいつて、貴下《あなた》をお泣《な》かせ申《まを》してさ。間《ま》の惡《わる》い處《ところ》へ父上《おとつさん》がお出《いで》遊《あそ》ばしたもんだから、つい場合《ばあひ》を繕《つくろ》はうと思《おも》つて、心《こゝろ》にも無《な》いお世辭《せじ》をいつて、あゝ、私《わたし》、極《きまり》が惡《わる》いわ。可《よ》うござんす、屹《きつ》と打《う》つて頂《いたゞき》ますから。で、ね、ミリヤアドが自分《じぶん》で見舞《みまひ》に來《き》たいんだけれど、どつちかといへば叱《しか》つてあげる筈《はず》なのを、此方《こつち》から出《で》かけて行《ゆ》く譯《わけ》にはゆかないから、おまへ行《い》つて見舞《みま》つて來《き》て、而《さう》して新《しん》さんには、私《わたし》が大※[#「尸+曾」、第3水準1-47-65]《たいそう》怒《おこ》つて居《ゐ》るから、あやまつてまた遊《あそ》びにおいでなさいと、然《さ》ういつて來《き》て呉《く》れろツて、ミリヤアドの言葉《ことば》なの。そんなに貴下《あなた》のことを思《おも》つて居《ゐ》るのですからね、學校《がくかう》のことはともかくも、會堂《くわいだう》へはあひかはらず入《い》らつしやいよ、よ、可《よ》うござんすか。あれ男《をとこ》の癖《くせ》に。」  枕《まくら》の上《うへ》にうつぶしたる、予《よ》が背《せ》を優《やさ》しく※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《か》いなでつゝ、 「新《しん》さん、御覽《ごらん》なさい、ね、ね、これを、貴下《あなた》にあげますツさ。」  早《は》や※[#「廣−广」、第3水準1-94-81]昏《たそがれ》の一室《ひとま》の内《うち》に、赤《あか》く、小《ちひ》さく、美《うつく》しき、人《ひと》の情《なさけ》のほの見《み》ゆる、莓《いちご》を裝《も》りたる一個《いつこ》の籠《かご》、添《そ》へたるミリヤアドの手紙《てがみ》にいふ――愛《あい》らしき學生《がくせい》よ、心《こゝろ》して、再《ふたゝ》び此名《このな》を忘《わす》れなせそ―― [#5字下げ]はなれ駒《ごま》[#「はなれ駒」は中見出し]  橋《はし》の袂《たもと》に屯《たむろ》したる一群《いちぐん》の少年《せうねん》は、十六七を頭《かしら》として六歳《むつ》七歳《なゝつ》八歳《やつ》ばかりなるまで、棒《ぼう》を取《と》り、礫《つぶて》を握《にぎ》り、或《あるひ》は砂利《じやり》を※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]《つか》みなどして、何《なに》をか口々《くち/″\》に罵《のゝし》りつゝ、予《よ》が近寄《ちかよ》るを待構《まちかま》ふ。  渠等《かれら》は例《れい》の如《ごと》く會堂《くわいだう》より予《よ》が歸途《きと》に就《つ》くを要《えう》せるなり。  近隣《きんりん》なる竹馬《ちくば》の朋《とも》の、嘗《かつ》て小學《せうがく》にありし時《とき》、席《せき》を同《おな》じうしたるやから、皆《みな》予《よ》が外人《ぐわいじん》のヘ《をしへ》を受《う》け基督ヘ《キリストけう》の會堂《くわいだう》に通《かよ》ふをば、忌《い》み、且《か》つ※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》むこと一方《ひとかた》ならず、面《おもて》に唾《つば》せむ勢《いきほひ》もて、影《かげ》を望《のぞ》めば後《あと》を追《お》ひ、姿《すがた》を※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《み》れば路《みち》を塞《ふさ》ぎ、嘲罵《てうば》の果《はて》は棒《ぼう》ちぎりの害《がい》を加《くは》ふること常《つね》なるより、予《よ》も深《ふか》く注意《ちうい》せしが、一月《ひとつき》ばかり引籠《ひきこも》りて、久《ひさ》しく外《おもて》に出《い》でざりしかば、忘《わす》るゝともなく油斷《ゆだん》して、料《はか》らず渠等《かれら》に出《で》あひしなり。  予《よ》は進《すゝ》みかねてためらひき。  其《それ》と見《み》るより口々《くち/″\》に、 「腰拔《こしぬけ》やい、腰拔《こしぬけ》やい、新次《しんじ》の、新次《しんじ》の磔《はツつけ》やい、此處《こゝ》まで來《き》て見《み》ろ上杉《うへすぎ》やい、耶蘇《ヤソ》の新次《しんじ》の、馬鹿《ばか》の、間拔《まぬけ》の、弱蟲《よわむし》やい。」  言馴《いひな》れたれば、唱歌《しやうか》の如《ごと》く、いつもの文句《もんく》を一同《いちどう》に節《ふし》を付《つ》けてぞ囃《はや》しける。耳馴《みゝな》れては居《ゐ》たれども、さりとては口惜《くちをし》く、腕力《ちから》あらばと思《おも》ふのみ。橋《はし》のこなたに立《たち》すくみて睨《にらま》へ詰《つ》めたる合《よこあひ》の油屋小路《あぶらやこうぢ》といへるより、わつとばかりに吶喊《とき》を擧《あ》げて、ばら/\と七八|人《にん》、驚破《すは》と見《み》る間《ま》に※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]《つき》あたりて、どんと無體《むたい》に※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]飛《つきとば》しぬ。  予《よ》はたじ/\とよろめきつゝ、こは後《うしろ》よりまはりしぞ、前《まへ》なる敵《てき》と引挾《ひきはさ》みていかなる憂目《うきめ》を見《み》せむも知《し》れじと、はつと思《おも》へる眼《まなこ》を遮《さへぎ》り、危《あや》ふくも鼻頭《びとう》を掠《かす》めて、木《き》もて造《つく》れる持遊《もてあそ》びの薙刀《なぎなた》の刃《は》の閃《ひらめ》きしを、纔《わづか》にはづして身《み》を交《かは》し、右手《めて》に※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]《つか》みて力《ちから》まかせに八《や》ツばかりの兒《こ》の持《も》ちたりける、其《その》薙刀《なぎなた》をひつたくれば、聲《こゑ》を揚《あ》げて泣出《なきいだ》せり。 「やあ、三《さん》ちやんを、泣《な》かした/\。」 「なぐツちまへ磔《はツつけ》め。」 「畜生《ちくしやう》。」  と聲《こゑ》鋭《するど》く、誰《たれ》にかありけむ、いと長《なが》き竹棹《たけざを》以《も》て、滅多《めつた》なぐりに打《うち》おろすを、目《め》も眩《く》れながら思《おも》はず、眉間《みけん》のあたりに受留《うけと》めたる獲物《えもの》はもろくもホツキと折《を》れたり。  吻《ほ》と氣落《きおち》せる前後《ぜんご》よりひた/\と寄《よ》せ合《あ》うて、左右《さいう》を圍《かこ》みて取卷《とりま》きつゝ、じり/\と詰寄《つめよ》るにぞ、手《て》も足《あし》もぐる/\と呪詛《のろひ》の繩《なは》に縛《しば》られて、しめつけらるゝ心地《こゝち》して身動《みうごき》もせで※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]立《つゝた》つたる、舌《した》硬《こは》ばり、唾《つば》かわき、拳《こぶし》を握《にぎ》りてわなゝきつも、助《たすけ》欲《ほ》しくて見返《みかへ》りたる、元《もと》來《き》し方《かた》に鰭爪《ひづめ》の音《おと》、人《ひと》こそありけれ、ミリヤアドが、三歳駒《さんさいごま》の逞《たくま》しきに、鞍《よこくら》にぞ乘《の》つたりける。裳《も》の裾《すそ》長《なが》く踵《かゝと》を埋《うづ》めて、垂《た》れて地摺《ちずれ》になるばかり、薄色《うすいろ》の日曜服《にちえうふく》、川風《かはかぜ》に颯《さつ》と靡《なび》き、たをやかなる身《み》の輕《かろ》く、雲《くも》に乘《の》るかと轡《くつわ》の響《ひゞき》、もの靜《しづか》にぞ打《う》つたりける。 「やあ、女唐《めたう》めだ、女唐《めたう》が來《き》た、來《き》やがつた/\。」  少年等《せうねんら》の聲々《こゑ/″\》や、予《よ》は忽《たちま》ちにあびせられぬ、拳《こぶし》のあられ、砂《いさご》の雨《あめ》。剩《あまつ》さへ丸太《まるた》に足《あし》をすくはれて、《よこ》だふれになつたる身《み》は、冷《つめた》き衣《きぬ》に包《つゝ》まれて、※[#「さんずい+慍のつくり」、第3水準1-86-92]《あたゝか》き手《て》に抱《いだ》かれぬ。ミリヤアドの汗《あせ》を絞《しぼ》りて、さも悲《かなし》げに呼《よ》ぶ聲《こゑ》せしが、俄《にはか》に凄《すさま》じきものおとして、やゝありてひツそとなりぬ。  眼《まなこ》をひらけば蝙蝠《かうもり》一羽《いちは》、橋《はし》の欄干《らんかん》より衝《つ》とあらはれて、ひら/\と柳《やなぎ》にかくれ、P《せ》の色《いろ》白《しろ》く、蛇籠《じやかご》暗《くら》き、此方《こなた》の岸《きし》を五|人《にん》七|人《にん》、をめき叫《さけ》んで疾走《しつそう》する、むかひの岸《きし》なる放《はな》れ駒《ごま》の砂烟《すなけぶり》を立《た》ててかけゆくを、川《かは》を隔《へだ》てて追懸《おつか》け行《ゆ》く、川上《かはかみ》なる山《やま》の端《は》に、薄月《うすづき》出《い》でて暗《くら》かりき。 [#5字下げ]留針《とめばり》[#「留針」は中見出し]  ミリヤアドの送別《そうべつ》は、其住居《そのすまひ》にて、いと内端《うちわ》に、世《よ》を憚《はゞか》りて開《ひら》かれき。先《さき》の日《ひ》、予《よ》が少年等《せうねんら》に苦《くるし》しめられしを救《すく》はんとて、當時《そのとき》乘《の》りすてたる渠《かれ》の乘馬《じようめ》の、雨《あめ》の如《ごと》くなりし礫《つぶて》に驚《おどろ》かされしを、取鎭《とりしづ》むべきミリヤアドの手《て》は、予《よ》を庇《かば》ふため塞《ふさが》りたれば、したゝか狂《くる》ひて離《はな》れ去《さ》る時《とき》、端《はし》なくも一人《ひとり》の小兒《せうに》の、遁後《にげおく》れたるを蹴放《けはな》して、憂《うれ》ふべき怪我《けが》を被《かうむ》らせぬ。  被害※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《ひがいしや》の親《おや》は善《よ》き人《ひと》にて、さまで苦情《くじやう》を言《い》はざりしかど、外ヘ《ぐわいけう》を※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》む※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》の、然《しか》るべき制裁《せいさい》を加《くは》へむなど、團體《だんたい》を造《つく》りて騷《さわ》ぎたれば、然《さ》らぬだに心《こゝろ》弱《よわ》きミリヤアドの、おのが不注意《ふちうい》を※[#「りっしんべん+誨のつくり」、第3水準1-84-48]《く》い恨《うら》み、人《ひと》の不幸《ふかう》を哀傷《あいしやう》して、一室《いつしつ》に閉籠《とぢこも》りて、掌《たなそこ》に面《おもて》を蔽《おほ》ひては卓子《テエブル》にうつむきて、※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》に※[#「示+斤」、第3水準1-89-23]《いのり》を捧《さゝ》ぐるのみ。食《しよく》の細《ほそ》るまでわびたるにぞ、恁《かく》て久《ひさ》しからむには、其健康《そのけんかう》もいかなるべき。且《かつ》や、心《こゝろ》なき怨《うらみ》を受《う》けて非難《ひなん》の衝《しよう》にあたつた、身《み》の上《うへ》も憂慮《きづか》はしく、郷黨《きやうたう》の怒《いかり》解《と》けざれば、布ヘ《ふけう》の上《うへ》にも害《がい》あらむ。かた/″\身《み》を退《ひ》くこそ萬全《ばんぜん》の策《さく》なるべけれと、人《ひと》のすゝめにミリヤアドの、さはとて旅裝《りよさう》を整《とゝの》へて、前日來《ぜんじつらい》逗留《とうりう》したる、宣ヘ師《せんけうし》の一行《いつかう》が、東都《とうと》に引返《ひきかへ》すに連立《つれだ》ちて、上京《じやうきやう》すべく定《さだ》めしなれば、世《よ》の聞《きこ》えを憚《はゞか》りて、愼《つゝ》ましげにたたむとせしなり。  客《きやく》はいと多《おほ》かりし。  年來《ねんらい》布ヘ《ふけう》に盡瘁《じんすゐ》せし其《それ》には何《なん》の効《かひ》もなきに、せめては名殘《なごり》を惜《をし》まれむを、胸《むね》狹《せま》き人々《ひと/″\》のために、幾分《いくぶん》か、否《いな》、豈《あに》幾分《いくぶん》のみならむや、市民《しみん》に對《たい》するヘ會《けうくわい》のコ望《とくばう》は殆《ほとん》ど地《ち》におつるばかりなりなど、座《ざ》の一方《いつぱう》に囁《さゝや》くありて、憐《あはれ》むべきミリヤアドを難《なん》ずる※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》少《すく》なからず。  さらぬは不運《ふうん》を弔《てう》するのみ、渠《かれ》を※[#「示+兄」、第3水準1-89-27]《しゆく》するものあらざるにぞ、ミリヤアドも悄乎《しを/\》として客《きやく》に肩身《かたみ》の狹《せま》げなりし、失意《しつい》の身《み》には誰《た》がせしぞや。  ことの起《おこり》は予《よ》なるものを、と予《よ》はものいふさへ控目《ひかへめ》に、唯《たゞ》人顏《ひとがほ》の※[#「目+句」、第4水準2-81-91]《みまは》されき。  富《とみ》の市《いち》もまた座《ざ》にありしが、一言《ひとこと》をも交《かは》さざる、予《よ》をいかにして聞着《きゝつ》けけむ。 「や、君《きみ》。」  といひながら嘯《うそぶ》く如《ごと》く空《そら》を仰《あふ》ぎ、 「近頃《ちかごろ》は何《ど》うして居《ゐ》ますね、時計屋《とけいや》へも來《こ》ないやうぢやが、はゝゝゝ、何《ど》うだね、ちと私《わし》が家《とこ》へ遊《あそ》びに來《き》なさらんか。金曜日《きんえうび》は午後《ひるすぎ》から隙《ひま》だからね。」  予《よ》はきゝもあへず席《せき》をはづしつ。ミリヤアドが化粧《けしやう》の室《ま》の冷《つめ》たき椅子《いす》にたふれかゝりて、(金曜日《きんえうび》は隙《ひま》だからね、)と繰返《くりかへ》しつゝ切齒《はがみ》をしたる、蟲齒《むしば》の急《きふ》にうづき出《い》でて、忍《しの》びがたくなやみにき。 「おや、新《しん》さん。」  外《と》の方《かた》より、操《みさを》はつか/\と入來《いりきた》れり。入《い》るより予《よ》が※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》を見《み》て取《と》りて、 「何《ど》うしたの、え、何《なに》かお氣《き》に入《い》らないことがあつたんぢやないの。ミリヤアドが尋《たづ》ねて居《ゐ》ました。彼《あ》の方《かた》も可哀相《かはいさう》ですよ。せめて新《しん》さんが機嫌《きげん》のいゝ顏《かほ》を見《み》せて、快《こゝろよ》くたたしてあげて下《くだ》さいな、ね、此方《こちら》へ入《い》らつしやい。お嫌《いや》、何故《なぜ》?え、齒《は》が疼《いた》むの、そりや不可《いけ》ませんね、あゝ、嗽《うがひ》をなさると可《い》い、水《みづ》を持《も》つて來《き》てあげませう。」  氣輕《きがる》に出《い》でて行《ゆ》く、引違《ひきちが》へてミリヤアド入《い》り來《きた》りぬ。 「齒《は》が疼《いた》むツて。さう?」  其身《そのみ》も疼《いた》むかの如《ごと》く、眉根《まゆね》を寄《よ》せて身震《みぶる》ひしながら、髮《かみ》にさしたる留針《とめばり》を拔《ぬ》き取《と》りて、予《よ》が頤《おとがひ》に手《て》をかけつゝ、むかひの壁《かべ》にかゝりたる姿見《すがたみ》を仰《あふ》がせて、 「口《くち》を、口《くち》を。」  といたはりいふ。 「あ……ゝ。」  とばかり指《ゆび》の先《さき》もて、疼痛《いたみ》を示《しめ》して齒《は》を開《ひら》きぬ。 「甘《あま》いものをたべるから、坊《ばう》や、世話《せわ》をやかすこと。」  ミリヤアドは呟《つぶや》きて、水《みづ》の如《ごと》き瞳《ひとみ》を寄《よ》せ、眉根《まゆね》を皺《しわ》めて顰《ひそ》みつゝ、針《はり》の尖《さき》もて齒《は》のうろを危《あやふ》げに穿《ほ》りくれしが、 「治《なほ》りませう、大丈夫《だいぢやうぶ》。」  と微笑《ほゝゑ》みながら、桃色《もゝいろ》の絹《きぬ》の手巾《ハンケチ》に、針《はり》の尖《さき》をつと通《とほ》して押拭《おしぬぐ》へるを、予《よ》が着《き》たる、衣《き》ものの襟《えり》に縫着《ぬひつ》けたり。 「あげませう、これ、また疼《いた》む時《とき》。」  齒《は》はいえぬ。されども胸《むね》のいたかりけり。 「さあ/\、新《しん》さん。」  時《とき》に操《みさを》は硝子杯《コツプ》を手にして、引返《ひきかへ》し、背後《うしろ》より肩越《かたごし》に、差寄《さしよ》する水《みづ》を含《ふく》む時《とき》、渠《かれ》は予《よ》が肩《かた》に兩手《りやうて》をかけて、斜《なゝめ》に彼方《かなた》に推向《おしむ》けつゝ、 「あなた。」  といひて目《め》を合《あは》せぬ。  ミリヤアドは面《おもて》をそむけて、衝《つ》とのきざまに差《さ》しのばしたる、寶石《はうせき》輝《かゞや》く右手《めて》の指《ゆび》に、予《よ》は唇《くちびる》を觸《ふ》れたりき、鴆毒《ちんどく》をあふぐ時《とき》、仙藥《せんやく》を嘗《な》むる時《とき》、いづれか其時《そのとき》のおもひに似《に》たる。 [#5字下げ]影法師《かげぼふし》[#「影法師」は中見出し]  唯《たゞ》散※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《さんぽ》とのみいひこしらへ、十一|時《じ》すぎ十二|時頃《じごろ》、もの狂《くる》はしく家《いへ》を出《い》でて、深水《ふかみ》の前《かへ》を二度《にど》三度《さんど》行返《ゆきかへ》りして來《きた》らでは、寢《ね》られぬ病《やまひ》に罹《かゝ》りたり。  去《さん》ぬる夜《よ》、富《とみ》の市《いち》に胸《むね》の祕《ひめ》ごとを發《あば》かれしより、獨《ひと》り恥《は》ぢて氣《き》の咎《とが》むれば、再《ふたゝ》び行《ゆ》かむが面伏《おもぶせ》なるに、分《わ》けて學《まな》びの道《みち》すさびて、學校《がくかう》も退《しりぞ》きたるを、富《とみ》の市《いち》の口《くち》よりして、秀《ひで》に、はた其母《そのはゝ》に、いひつけたらむと思《おも》ふにぞ、ます/\われは怯氣《おぢけ》つきぬ。  店《みせ》に人目《ひとめ》のありと思《おも》へば、宵《よひ》の内《うち》は其《その》居《ゐ》まはりにも足《あし》を運《はこ》ぶことをせず、初夜《しよや》すぎ人《ひと》の寢《い》ねてのちを、然《さ》は密《ひそか》にぞ通《かよ》ひしなる。  はじめのうちは予《よ》が父《ちゝ》も、もの好《ずき》とのみ見許《みゆる》せしが、雨《あめ》降《ふ》りても、風《かぜ》吹《ふ》きても、缺《か》かさず出《い》づるに疑《うたが》ひかゝりて、果《はて》は夜遊《やいう》を禁《きん》じたまへり。  時刻《じこく》來《く》れば胸《むね》苦《くる》しく、起居《たちゐ》に我身《わがみ》を持餘《もてあま》しつも、心《こゝろ》を悶《もだ》えて忍《しの》びしが、ミリヤアドに別《わか》れてよりは、いかにしても堪《こら》へずなりぬ。  父《ちゝ》は風邪《かぜ》ひきて早寢《はやね》をせし、寢《ね》いきをはかりて外《と》に出《い》でて、唯《と》見《み》れば月のありともなく、またあらずとも思《おも》はれざる、時雨《しぐれ》あがりの空《そら》一面《いちめん》に灰汁《あく》を流《なが》せる如《ごと》くなり。折《をり》から動物《どうぶつ》の形《かたち》したる、一團《いちだん》のK雲《くろくも》のむら/\と湧《わ》き出《い》でしが、濡《ぬ》れたる地《つち》に影《かげ》を映《うつ》して、恐《おそろ》しと思《おも》ふ間《ま》に、塵《ちり》も留《とゞ》めず消去《きえさ》りき。こは我門《わがかど》を出《い》でたる時《とき》なり。  覺束《おぼつか》なくも行《ゆ》き/\て彼《か》の大通《おほどほり》の四角《よつかど》に懸《かゝ》れる時《とき》、眞闇《まくら》なる人家《じんか》の軒下《のきした》より颯《さ》と音《おと》たてて、宙《ちう》に飛《と》びて、予《よ》が足許《あしもと》に落《お》ちたるものあり。立停《たちどま》るに、ものあらで、一足《ひとあし》二足《ふたあし》行《ゆ》くさきへ、またさら/\と、さら/\と予《よ》を導《みちび》くとする如《ごと》く、三間《さんげん》ばかりともなひしが、怪《あや》しとも怪《あや》しきに、耳《みゝ》傾《かたむ》くれば山《やま》おろしの、そよ/\と渡《わた》るにぞ、さては木《こ》の葉《は》よと心着《こゝろづ》くに、其音《そのおと》は忽《たちま》ちやみて、毛筋《けすぢ》も動《うご》かず風《かぜ》死《し》にぬ。  あまりあたりの寂《しづか》なるに、人《ひと》は咎《とが》めねど下駄《げた》の音《おと》の重《おも》たく響《ひゞ》くを憚《はゞか》りて、脱《ぬ》ぎて、手《て》に提《さ》げて、素足《すあし》となりけり。  左《ひだり》よ、右《みぎ》よ、此度《このたび》はまた左《ひだり》よ、※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]行《あゆみ》の順《じゆん》、正《たゞ》しく胸《むね》に覺《おぼ》えつゝ、兩側《りやうがは》の家《いへ》の※[#「壥−土へん−厂」、第3水準1-15-62]繪《すみゑ》に似《に》たる、町中《まちなか》を辿《たど》り/\て、やがて深水《ふかみ》の店《みせ》近《ちか》き、少《すこ》しく此方《こなた》に※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》をやすめぬ。  やゝ心《こゝろ》の落着《おちつ》くに、不圖《ふと》時間《じかん》を考《かんが》ふれば、密《ひそか》に家《いへ》を出《い》でしより、幾時《いくとき》ばかり過《す》ぎたりけむ、思《おも》へば久《ひさ》しき心地《こゝち》のするに、予《よ》は太《いた》く驚《おどろ》きぬ。  急《いそ》ぎ再《ふたゝ》び※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》を移《うつ》して、さきにもいへりし深水《ふかみ》のむかひの唐物店《たうぶつてん》の前《まへ》に着《つ》く。  時《とき》に一天《いつてん》※[#「壥−土へん−厂」、第3水準1-15-62]《すみ》を流《なが》して、いつのほどにか、我《わ》が姿《すがた》の見分《みわ》かざるまで闇《やみ》となりぬ。ト見《み》れば背後《うしろ》なる瓦斯燈《がすとう》の、近《ちか》くは一|尺《しやく》、末廣《すゑひろ》がりに十|間《けん》ばかり、彼方《かなた》にては町《まち》の幅《はゞ》一杯《いつぱい》に、遠《とほ》くなるほど蔓《はびこ》りて、軒《のき》を越《こ》し、屋根《やね》に這《は》ひ、遙《はる》か彼方《かなた》の通《とほり》のはづれの、酒屋《さかや》の藏《くら》を蔽《おほ》うたる、嫗《うば》が松《まつ》の梢《こずゑ》にて、朦朧《もうろう》として消《き》え失《う》する、一道《いちだう》の火影《ほかげ》によりて、莫大《ばくだい》なる影法師《かげぼふし》のやゝ其《その》長《なが》さに達《たつ》するまで、さやかにぞ描《ゑが》き出《いだ》されたる。※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》を進《すゝ》むるに從《したが》ひて、頭《かしら》は殆《ほとん》ど我《わが》居《ゐ》る方《かた》より半町《はんちやう》餘《あまり》も隔《へだた》りたる、其松《そのまつ》の木《き》に登《のぼ》るまで、凄《すさ》まじく、長《なが》うなるに、悚然《ぞつ》としてかほをそむけし、深水《ふかみ》の二階《にかい》の四間《よま》の障子《しやうじ》に、赤K《あかぐろ》き火影《ほかげ》※[#「火+發」、U+243CB、377-13]《ぱつ》と射《さ》す。※[#「口+阿」、第4水準2-4-5]呀《あなや》と一足《ひとあし》退《すさ》れるトタン、障子《しやうじ》の上下《うへした》一杯《いつぱい》に、大《おほい》なる人《ひと》の天窓《あたま》と、鼻《はな》と、唇《くちびる》と、《よこ》に向《む》きたる顏《かほ》の影《かげ》の、さとうつりてぞ見《み》えたりける。  富《とみ》の市《いち》よ!と思《おも》ふと同時《どうじ》に、げら/\と高笑《たかわらひ》の、左右《さいう》の耳《みゝ》へ二《ふた》ツの口《くち》もて、兩方《りやうはう》より推込《おしこ》むやうに聞《きこ》えしにぞ、あとさけびたるあとは覺《おぼ》えず。臥床《ふしど》にわれは心《こゝろ》づきぬ。外《おもて》にはどう/\と凄《すさ》まじき大雨《たいう》坤軸《こんぢく》を降《ふ》り靜《しづ》めて、恰《あたか》も瀧《たき》を落《おと》すが如《ごと》く、寢着《ねまき》は絞《しぼ》るが如《ごと》くなりき。汗《あせ》か、あらぬか、雫《しづく》や、否《いな》や。 [#5字下げ]山鳩《やまばと》[#「山鳩」は中見出し]  十二月《じふにぐわつ》十日《とをか》、ミリヤアドより手紙《てがみ》來《きた》れり。予《よ》に東京《とうきやう》に來《きた》れといふ。嘗《かつ》て別《わかれ》を惜《をし》みし時《とき》、然《さ》はわれ彼《か》の地《ち》に着《つ》きて後《のち》、身《み》の振方《ふりかた》落着《おちつ》きて、居《きよ》に安《やす》んずるものならば、直《たゞ》ちに汝《おんみ》を招《まね》くべきに、笈《きふ》を荷《にな》ひて後《あと》より來《こ》よ。成業《せいげふ》の曉《あかつき》までは、食《しよく》を別《わ》けても扶助《ふぢよ》せむなど、細々《こま/″\》言《ことば》を交《まじ》へたる、其約《そのやく》を違《たが》へずして、今《いま》かく報知《しらせ》をぞ寄《よ》せしなりける。  少年《せうねん》の血氣《けつき》盛《さかん》にて、功名心《こうみやうしん》の燃《も》ゆる頃《ころ》の、予《よ》はいかにしてかたゆたふべき、固《もと》より父《ちゝ》も許《ゆる》したり。其日《そのひ》にも發程《たた》むとせしが、心《こゝろ》引《ひ》かるゝは秀《ひで》なりき。  將棊《しやうぎ》のことありしより、心《こゝろ》ばかりは寢覺《ねざめ》にも通《かよ》ひたれど、其《その》顏《よこがほ》を見《み》ざること、三月《みつき》四月《よつき》に早《は》やなりぬ。わけて、幻《まぼろし》か夢《ゆめ》かを分《わか》たず。恐《おそろ》しかりし夜《よ》の影法師《かげぼふし》より、夜※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《よごと》にあくがれし足《あし》も留《や》みぬ。たゞ懷《なつか》しさはかはらぬを、都《みやこ》にのぼり果《は》てむには、幾年《いくとせ》を經《へ》てかまた逢《あ》はるべき。あはれ叱《しか》らるればそれまでよ、一《ひと》たび名殘《なごり》を惜《をし》までやはと、思《おも》ふ心《こゝろ》の切《せつ》なるより、きまりの惡《わる》さも打忘《うちわす》れ、東都《とうと》へ遊學《いうがく》すといふをかこつけに、疎《うと》かりし足《あし》を激《はげ》ましつゝ、消入《きえい》るばかりの思《おも》ひにて、行《ゆ》くことは行《ゆ》きたれど、なほたやすくは入《い》りかねて、半時《はんとき》餘《あまり》もためらひしが、一足《ひとあし》づゝ小蔭《こかげ》を出《い》でて、次第《しだい》に深水《ふかみ》の前《まへ》に近《ちか》づき、店《みせ》なる洋燈《ランプ》の光《ひかり》のうちに、わが顏《かほ》見《み》えつと、ぎよツとして、衝《つ》と行《ゆ》きすぎて立※[#「戸の旧字+犬」、第3水準1-84-67]《たちもど》れる、身《み》は宙《ちう》にある何《なに》かの手《て》以《も》て、引立《ひつた》てらるゝやうに覺《おぼ》えて、※[#「口+阿」、第4水準2-4-5]呀《あなや》、心着《こゝろづ》けば予《よ》は既《すで》に椅子《いす》に腰《こし》かけて俯向《うつむ》き居《ゐ》たり。  親《した》しさは變《かは》らざりき。  友吉《ともきち》は見《み》るよりも、仰山《ぎやうさん》なる聲《こゑ》を擧《あ》げぬ。 「よう……これは妙《めう》?不思議《ふしぎ》、奇的烈《きてれつ》といふお入來《いで》だ。新《しん》ちやん、恐《おそろ》しいお見限《みかぎり》でございましたね。何《ど》うしてお見《み》えなさらないだらう、御病氣《ごびやうき》か不知《しら》、それとも學校《がくかう》がおいそがしいか不知《しら》、とまづはじめの内《うち》はおうはさで、なかごろはお案《あん》じで、此頃《このごろ》ぢやあお奧《おく》でもつて怨《うら》んで居《ゐ》ますぜ。可《い》い所《ところ》へいらつしやいましたよ。今《いま》ね、ちやうど秀《ひで》さんも母《おつか》さんも、お女中連《ぢよちうれん》不殘《のこらず》湯《ゆ》に行《ゆ》きました。いまにお歸《かへり》だからお待《ま》ちなさい。ほんとうに留守《るす》の内《うち》だから可《よ》うございました。  何《なん》でも今度《こんど》いらツしやつたら、さん/″\怨《うら》みをいふ、と秀《ひで》さんが大意氣込《おほいきごみ》でお出《いで》ですからね、※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]然《いきなり》ぶつからうもんなら面《めん》くらつておしまひなさる處《ところ》、友吉《ともきち》が一番《いちばん》御贔屓《ごひいき》効《がひ》といふので裏切《うらぎ》つてしやべります。まあ落着《おちつ》いて何《なん》でも其《その》うまく言譯《いひわけ》の出來《でき》るやうに今《いま》の内《うち》考《かんが》へてお置《お》きなさいまし。可《よ》うございますか。  お待《ま》ちなさい、それとも先《さき》んずれば人《ひと》を制《せい》すで、かうやつてト函《はこ》のうらへ隱《かく》れて居《ゐ》て、友《とも》さん唯今《たゞいま》と來《く》る處《ところ》を、ばあゝ、といつて驚《おどろ》かしは何《ど》うでせう。え、新《しん》ちやん、しばらく逢《あ》はないで居《ゐ》て、久《ひさ》しぶりで顏《かほ》を合《あは》すのに、たゞぢや榮《は》えますまい。  何《なに》か一趣向《ひとしゆかう》ありさうなもんですね。お待《ま》ちなさい。ばあも馬鹿《ばか》げてはおもしろからず、ト仰向《あをむけ》に寢《ね》て居《ゐ》るも變《へん》なものだし、入《い》らつしやい!と此方《こちら》からいつて見《み》るか。それも道化《だうけ》て居《ゐ》て、新《しん》ちやんでははまりが惡《わる》いな、お待《ま》ちなさい、いや、かうこじれちや思案《しあん》にあたはず、さすがの友的《ともてき》大弱《おほよわり》。何《なん》ぞおもしろいこともありませんか。」と新聞《しんぶん》を取《と》り上《あ》げて、三《さん》の面《めん》を覗《のぞ》きながら、 「はゝゝゝ、ゐざりが駈《か》け出《だ》すといふ標題《みだし》がある。ちと御覽《ごらん》なさいまし。」  とん/\と二《ふた》つ三《み》つ下駄《げた》の齒《は》の雪《ゆき》を打《うち》あてて、入口《いりくち》に落《おと》す音《おと》、中戸《なかど》を開《あ》くる響《ひゞき》するに、予《よ》は新聞《しんぶん》もてわが顏《かほ》の隱《かく》るゝやうにぞ讀《よ》み居《ゐ》たる。  時計函《とけいばこ》の背後《うしろ》より、 「唯今《たゞいま》。」  と懸《か》けたる聲《こゑ》、引緊《ひきし》むる如《ごと》く身《み》に沁《し》みぬ。 「そりやこそ。」  友吉《ともきち》は仰山《ぎやうさん》に、 「秀《ひで》さん、新《しん》ちやんが。」 「さう!」  堪《たま》らずあげたる熱《あつ》き顏《かほ》を、秀《ひで》は見《み》るより莞爾《につこ》と笑《ゑ》みしが、輕《かる》く會釋《ゑしやく》して奧《おく》に入《ゐ》りぬ。 「あれだ。」  友吉《ともきち》は首《くび》をすくめ、 「ね、新《しん》ちやん、だから私《わたし》がさういつたんでさ。おい、金《きん》どん、一寸《ちよつと》奧《おく》へ行《い》つて斥候《ものみ》といふのを一番《ひとつ》、是非《ぜひ》こりや敵《てき》を知《し》つた上《うへ》でないと、謀計《はかりごと》のめぐらしやうがない。おい/\……金《きん》どん/\……これ!」 「おつとしよ。」  小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》は居睡《ゐねむ》りたるが、しやちこばつて、背《せ》のびをして、裾《すそ》は膝《ひざ》までまくしあがり、諸脛《もろすね》長《なが》く踏揃《ふみそろ》へて藪《やぶ》から棒《ぼう》に※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]立《つゝた》ちけり。  友吉《ともきち》は呆《あき》れ顏《がほ》、 「何《なん》だ、そりや、おい、金《きん》。」  と背《せな》をひとつくらはせば、ぐしやりと坐《すわ》りて、 「へいゝ。」  といふ。氣《き》のなき返事《へんじ》に欠伸《あくび》をまぜて目《め》やにを※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]《か》いたるをかしさに、思《おも》はず笑《わらひ》を催《もよほ》す時《とき》、 「友《とも》さん。」  とまた呼《よ》びかけながら、秀《ひで》は奧《おく》より立出《たちい》づる。 「店《みせ》のね、皆《みんな》が湯《ゆ》に行《い》つておいでなさいツて、母上樣《おつかさん》が。寒《さむ》いから、ゆつくりね。」  友吉《ともきち》は頭《かしら》をさげ、 「それでは、おョ《たの》み申《まを》しませうか。」 「あゝ、店《みせ》には私《わたし》が居《ゐ》てあげようから。而《さう》してもう片付《かたづ》けてね。」 「はい、では、然《さ》ういたしませう、金《きん》どん。」 「お孃樣《しやうさま》、え、何《なん》ですか。はい、お歸《かへ》んなさい。」 「何《なん》だ、これ、寢惚《ねぼ》けなさんな。」  二人《ふたり》は店《みせ》の洋燈《あかり》を消《け》し、臺洋燈《だいランプ》のみ一《ひと》つ殘《のこ》して、椅子《いす》をひき込《こ》め、火鉢《ひばち》をいけ、硝子戸《がらすど》をはたとさして、手《て》つ取《と》りばやに片付《かたづ》けつゝ、 「ぢや、行《い》つて參《まゐ》ります。」 「さあ/\。」  と出《い》だし遣《や》りつ。  頭《つむり》を斜《なゝめ》に火鉢《ひばち》に凭《よ》りて、指《ゆび》以《も》て※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《ふち》を叩《たゝ》き居《ゐ》たる、予《よ》の前《まへ》に、中腰《ちうごし》になりたる秀《ひで》の、火箸《ひばし》に兩手《りやうて》をかざしつゝ、微笑《ほゝゑ》む顏《かほ》を※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《なが》めしが、やゝ含《ふく》みたる音調《おんてう》もて、 「新《しん》ちやん、しばらくね。」  といひたるが、懷《なつか》しかりしといふ心《こゝろ》の籠《こ》もりしやうにぞ聞《きこ》えたる。秀《ひで》はまた、 「もしかもすると御病氣《ごびやうき》で、こんどお目《め》に懸《かゝ》る時《とき》は※[#「やまいだれ+溲のつくり」、第3水準1-94-93]《や》せてでもおいでぢやないかと、皆《みんな》でお案《あん》じ申《まを》してね。今《いま》も、道々《みち/\》母樣《おつかさん》とさういつて來《き》たの。美津《みつ》もねえ。」 「おや、新《しん》ちやん。入《い》らつしやいまし。御機嫌《ごきげん》よう、お孃樣《ぢやうさま》。」 「美津《みつ》かい、かまはないで、さあ/\、暖《あつた》かにして寢《ね》ないと惡《わる》いよ。」 「いえ、もうたいしたことではございません。」 「でもさ。」 「ありがたう存《ぞん》じます。あの、おゆつくり。」 「お大事《だいじ》に。」 「はい。」  と立《た》つ。 「風邪《かぜ》なの。」 「急《きふ》にお寒《さむ》い故《せゐ》なのでせう。あゝ、新《しん》ちやん、お寒《さむ》くはございませんか。」 「いゝえ。」 「まあ、おあたり遊《あそ》ばせよ。父上樣《おとうさま》は?」 「息災《そくさい》です。」  顏《かほ》と顏《かほ》との其《そ》のあはひの、あまり近《ちか》きにいきぐるしく、おもきものにてわが頭《かうべ》をおさるゝやうに心《こゝろ》に感《かん》じ、ふと《よこ》むきて片隅《かたすみ》の冷《つめ》たき板戸《いたど》を望《のぞ》むとて、一羽《いちは》山鳩《やまばと》の翼《つばさ》をひろげて、嘴《くちばし》を開《ひら》きたるを飾《かざ》りつけたる、一個《いつこ》大形《おほがた》の柱時計《はしらどけい》を、今《いま》目新《めあた》らしくみいだしぬ。こは先《さき》の日《ひ》にはなかりしものなり。 「おもしろい時計《とけい》があるのね。」 「さう/\、新《しん》ちやんはまだ知《し》らなかつたのね。來《い》らつしやつたらお見《み》せ申《まを》さうと思《おも》つて待《ま》つてたの。あの鳩《はと》がね、時間《じかん》の前《まへ》になると、ひとりでに鳴《な》きますからおもしろうござんすよ。」 「鳴《な》きますつて、あの鳩《はと》が。」 「えゝと、まだ時間《じかん》にならないのかねえ。二十|分《ぷん》、まだ十一|時《じ》にまがあるのね。それでは、」  と秀《ひで》は起《た》ちて、むかうむきに時計《とけい》に對《たい》し、 「聞《き》いておいでなさいましよ、ようござんすか。」  手《て》をふるれば、文字盤《もじばん》の長劍《ちやうけん》動《うご》きて、 「あら!」  鳩《はと》は鳴《な》けり。  予《よ》は衝《つ》と秀《ひで》に立寄《たちよ》りたり。 「不思議《ふしぎ》だ。其《その》木《き》で拵《こさ》へたのが鳴《な》くのか不知《しら》。」  頻《しきり》に頭《かうべ》を傾《かたむ》けて、予《よ》は其《そ》の聲《こゑ》を異《い》なりとせり。 「ほかに何《ど》んな鳥《とり》も居《ゐ》やしませんよ。」 「だつて可笑《をかし》いな。」 「そりや器械《きかい》ですもの、ぜんまいで、ちやんと、かう鳴《な》くやうに、しかけをしてあるんですツて。」 「ぢや、もう一度《いちど》鳴《な》かして。……」 「それではね、あなた背後《うしろ》むいて、目《め》をつぶつておいでなさいよ。」 「何故《なぜ》ね。」  秀《ひで》は然《さ》も、ものありげに、 「さうでないと二度《にど》めには鳴《な》きません。」 「變《へん》だな。かう……」 「さうやつて、さうやつて、可《よ》うござんすか、目《め》をおつぶりなすつて?」  いひつゝ忍音《しのびね》に笑《わら》ひしが、鳩《はと》はまたしばなきぬ。 「はてな。」 「新《しん》ちやん、おもしろうござんせう。妙《めう》ね。」 「妙《めう》ぢやないや、分《わか》つた。口《くち》でいふんだ、鳩《はと》の眞似《まね》をするんぢやないか。」 「私《わたし》ですツて?」 「少《すこ》し含聲《ふくみごゑ》で……似《に》てるものを。」 「酷《ひど》いねえ。私《わたし》が何《ど》うしてあんなに旨《うま》く眞似《まね》られますものですか。」 「それだつても、はじめの時《とき》はあつちを向《む》いて居《ゐ》てお鳴《な》かせだし、こんだは目《め》を塞《ふさ》がせて鳴《な》かしたんだもの。」 「それは何《なに》も私《わたし》の方《はう》で眞似《まね》をするんぢやありませんけれど、鳩《はと》がね、然《さ》うしないと、鳴《な》くのがいやだつて、いふんですもの。」 「なに、あんな木《き》でこさへたものが。」 「でも聲《こゑ》を出《だ》すくらゐですから。」 「そんなら鳩《はと》に、然《さ》う貴女《あなた》から、目《め》を塞《ふさ》がないで鳴《な》けとおつしやい。さうすりや、ほんとなのか、※[#「口+墟のつくり」、第3水準1-84-7]《うそ》なのか、確《たしか》な處《ところ》が分《わか》るんだ。」  秀《ひで》は頷《うなづ》きて時計《とけい》に向《むか》ひ、 「鳩《はと》や、新《しん》ちやんがね、お前《まへ》をおうたぐり遊《あそ》ばすから、可《い》いかい、其《その》まんまで鳴《な》いておくれ、よ、後生《ごしやう》だから。」  鳩《はと》はまた鳴《な》きぬ。鳴《な》く時《とき》、秀《ひで》はうつむきて故《ことさら》に其《その》口許《くちもと》をば兩袖《りやうそで》をもて打蔽《うちおほ》ひぬ。 「あら!またあんな怪《あや》しいことを。僕《ぼく》はいやだ。」 「ほゝゝゝ、何故《なぜ》え?鳴《な》いたではありませんか。」 「だつて口《くち》を隱《かく》したから怪《あや》しい、やつぱり自分《じぶん》で眞似《まね》たんだ。」  眞顏《まがほ》になれば、ゑみ傾《かたむ》け、 「これはね、口《くち》のうちで呪文《じゆもん》をいふの。何《どう》して術《じゆつ》でもつかはなけりや木《き》の鳩《はと》が鳴《な》きますものか。」 「そりや呪文《じゆもん》なら可《い》いけれど、自分《じぶん》でいふんだから仕《し》やうがない。何《なん》てツても、もういけない、誰《だれ》がほんとにするものか。」 「あれ疑《うたぐ》り深《ぶか》い、まあ。ぢや、ちやうど一分《いつぷん》經《た》つと鳴《な》きますやうに針《はり》をまはして置《お》いてね、私《わたし》がすわりますから。あなた私《わたし》の口《くち》をお壓《おさ》へなすつていらつしやいな。」 「可《い》いかい。」 「可《よ》うござんすとも。」 「かまはないの。」 「さ。」  熾《も》ゆるが如《ごと》きわが耳《みゝ》に、冷《つめ》たき秀《ひで》の鬢《びん》觸《ふ》れて、後毛《おくれげ》のぬれたるが、左《ひだり》の※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》を掠《かす》むる時《とき》、わが胸《むね》は渠《かれ》が肩《かた》にておされぬ。襟《えり》あしの白《しろ》きことよ。掌《たなそこ》は其《その》※[#「さんずい+慍のつくり」、第3水準1-86-92]《あたゝ》かき唇《くちびる》を早《は》や蔽《おほ》うたり。雪《ゆき》は戸越《とごし》に降《ふ》りしきる。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]三之卷[#「三之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   銀鵞  K淵  燈籠  山颪 [#改ページ] [#5字下げ]銀鵞《ぎんが》[#「銀鵞」は中見出し] 「兄樣《にいさん》、兄樣《にいさん》に肖《に》て居《ゐ》るよ。そりや女《をんな》と男《をとこ》だから、ちよいと見《み》ればまるで違《ちが》つて居《ゐ》るけれど、第一《だいいち》恰好《かつかう》がそつくりだもの。だからね、僕《ぼく》はね、矢張《やつぱり》母樣《おつかさん》にも肖《に》て居《ゐ》るだらうと然《さ》う思《おも》ふさ。ほら、三上《みかみ》の叔母《をば》さんも、湯屋《ゆや》の女房《かみ》さんもいつたぢやないか。兄樣《にいさん》はおつかさんに、そツくりだつて。  兄樣《にいさん》が東京《とうきやう》へ行《い》つた翌年《あくるとし》の冬《ふゆ》だつけ。紫谷《むらや》に銀《ぎん》の鵞鳥《がてう》が出來《でき》たの。置物《おきもの》だつて、作《さく》は佳《い》いか惡《わる》いか知《し》らないけれど、何《なん》しろ大《おほ》きなもので見事《みごと》だつて、評判《ひやうばん》だもんだから、父樣《おとつさん》が一度《いちど》見《み》て置《お》きたいつてね。それがはじめツから、然《さ》ういふんなら都合《つがふ》もあるのに、父樣《おとつさん》は例《れい》の如《ごと》しで、不圖《ふと》思《おも》ひたつたんだと見《み》えて、湯《ゆ》へ行《い》つて歸途《かへり》に、おい、一寸《ちよいと》寄《よ》つて行《ゆ》かう、といつたんだよ。  さうするとね、其前《そのまへ》の日《ひ》から舊《きう》藩主《はんしゆ》の侯爵《とのさま》が來《き》て、紫谷《むらや》に逗留《とうりう》をして居《ゐ》るんだらう。十何年《じふなんねん》ぶりで來《き》たんだつて、市中《しちう》大騷《おほさわ》ぎをやつて、提灯《ちやうちん》を釣《つる》す、旗《はた》を出《だ》す、旗《はた》なんか新《あた》らしく拵《こしら》へて騷《さわ》いだんだ。  其上《それ》にね、兄樣《にいさん》、ちやうど其日《そのひ》は侯爵《とのさま》が皆《みんな》に顏《かほ》を合《あは》せるといふ日《ひ》なんだから、士族《しぞく》どもは夜《よ》が明《あ》けないうちにどし/\詰懸《つめか》ける、羽織《はおり》袴《はかま》やら、洋服《やうふく》やら、士官《しくわん》の細君《さいくん》やら、お祭《まつり》のやうで、うつかり路《みち》もあるかれやしないのに、差合《さしあひ》も何《なに》もお構《かま》ひなしに、思《おも》ひ立《た》つたら何《なん》てつても肯入《きゝい》れないで、ずん/\行《ゆ》くんだものね、僕《ぼく》は困《こま》つたの。  一人《ひとり》で行《い》つては危《あぶ》ないから、ついて行《ゆ》くと、もう紫谷《むらや》の一|町《ちやう》ばかり手前《てまへ》から、兩側《りやうがは》へ車《くるま》が並《なら》んで、あの狹《せま》い町《まち》の眞中《まんなか》をすれ/\に通《とほ》る位《くらゐ》なの、それに推合《おしあ》ふんだもの。  こんな時《とき》、行《い》つたからつて、何《なに》が見《み》られるものですか。彼處《あすこ》の家《うち》も目《め》が※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《まは》るほど忙《せは》しいでせう、また出直《でなほ》して來《き》ませうツて、袖《そで》を引張《ひつぱ》らないまでに留《と》めたけれど、父樣《おとつさん》は、から平氣《へいき》で、可《い》いから來《こ》い。御新造《ごしんぞ》が居《ゐ》るから大丈夫《だいぢやうぶ》だ、汝《おめえ》の知《し》つたこつちやあねえツて、さつさとさきへ立《た》つて行《い》くんだもの。仕方《しかた》なしついて行《ゆ》くとね、もう門《もん》の内《うち》は人《ひと》でいつぱいで※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]分《かきわ》けるやうにして通《とほ》らなきやならないのを、やう/\玄關《げんくわん》へ行《い》つて、父樣《おとつさん》がまじめな顏《かほ》で、ョ《たの》む、ョ《たの》むていふのさ。誰《だれ》が取合《とりあ》ふもんかね、兄樣《にいさん》、あけひろげでもつて、皆《みんな》がずん/\出入《ではひり》をして居《ゐ》るんぢやないか。  三十|分《ぷん》も立《た》つて居《ゐ》ると、小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》がね、それでも聞《きゝ》つけたものと見《み》えて、何《なん》でございますツて出《で》て來《き》たから、これ/\だツて、父樣《おとつさん》がいふと、笑《わら》ひだしたんだあね、僕《ぼく》あ極《きまり》が惡《わる》かつたのなんのつて。  案《あん》の定《ぢやう》斷《ことわ》つたさ。すると父樣《おとつさん》が、何《なに》、上杉《うへすぎ》だつて奧樣《おくさま》にさう申《まを》して見《み》なさい、御承知《ごしようち》だから、ともかく、といつたもんだから、小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》は分《わか》つたのか、分《わか》らなかつたのか、其《その》まゝ、ふいと入《はひ》つちまつた。  しばらくすると、女中《ぢよちう》が出《で》て來《き》て、何《ど》うしたわけか、此方《こつち》へお上《あが》りなさいツて言《い》ふから、連《つ》れられて二室《ふたま》ばかり通《とほ》つた時《とき》、袴《はかま》を穿《は》いた奴《やつ》が出《で》て來《き》て、口早《くちばや》に何《なに》か女中《ぢよちう》に尋《たづ》ねると、はい、それはといつて、其奴《そいつ》を案内《あんない》していそがしさうに行《い》つちまつた。  父樣《おとつさん》も僕《ぼく》も何《ど》うすりやいゝのかわからないから、茫乎《ぼんやり》立《た》つて、うろ/\して居《ゐ》ると、むかうの襖《ふすま》の處《ところ》から半分《はんぶん》ばかり顏《かほ》を出《だ》して、圓髷《まるまげ》に結《ゆ》つた美《うつく》しいのが、恁《か》う手招《てまねき》をしたんだがね。大勢《おほぜい》人《ひと》は居《ゐ》たんだけれど、何故《なぜ》だか此方《こつち》を呼《よ》ぶやうな氣《き》がしたから、僕《ぼく》がね、父樣《おとつさん》の手《て》を引張《ひつぱ》つて、其處《そこ》へ駈《か》けて行《ゆ》くと、部屋《へや》なんだ。立派《りつぱ》だのなんのツて。矢張《やつぱり》紫谷《むらや》は大《おほ》きなものだね、家中《うちぢう》煮《に》えるやうな騷《さわ》ぎなのに、此室《こつち》の方《はう》はひツそりして、跫音《あしおと》も聞《きこ》えないで、ぞつとして寒《さむ》かつた。  而《さう》して父樣《おとつさん》に挨拶《あいさつ》して、 (お初《はつ》に、)といつたぜ。  兄樣《にいさん》、父樣《おとつさん》は豪《えら》いことをいつて、まだ逢《あ》つたことはなかつたのだねえ。それから僕《ぼく》の顏《かほ》をぢつと見《み》て居《ゐ》て、極《きまり》が惡《わる》いぢやないか、 (おとなしいねえ、新《しん》ちやん。)  てツて莞爾《につこり》笑《わら》つた。父樣《おとつさん》はちやうど飾《かざ》つてあつた鵞鳥《がてう》の置物《おきもの》を見《み》てうつかりしておいでだつたが、新《しん》ちやん、といつたもんだからね、兄樣《にいさん》、兄樣《にいさん》のことを尋《たづ》ねたことと思《おも》つたのか、彼《あれ》は東京《とうきやう》へ行《い》つて居《を》ります、と然《さ》ういふの。 (そんなことを承《うけたまは》つて居《を》りました。それでは……おや、弟御樣《おとゝごさま》、まあ可愛《かはい》らしい。)ツて天窓《あたま》を撫《な》でたよ、兄樣《にいさん》、僕《ぼく》あ嬉《うれ》しかつたよ。  而《さう》してね、 (彼處《あちら》ぢや、おかはりもございませんか。)  とお聞《き》きだから、僕《ぼく》がいつた。達※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《たつしや》ですツて。それからね、 (新《しん》ちやんはおいくつなの?) (十八になります。) (まア。)ツて呆《あき》れた顏《かほ》をして居《ゐ》たつけ、が聲《こゑ》を出《だ》して笑《わら》つてさ。 (お聞《き》き申《まを》したのは、このお兒《こ》樣《さま》のことですのに。新《しん》ちやんは、もうそんなにおなり遊《あそ》ばしたかねえ。然《さ》うでございませう、久《ひさ》しくお目《め》にかゝりません。實家《さと》へお遊《あそ》びに入《い》らつしやつたのは、ちやうどこのお兒《こ》の時分《ころ》でございませう。)  僕《ぼく》のね、手《て》を、掌《てのひら》で蓋《ふた》をして然《さ》ういつたよ。それから、自分《じぶん》で茶《ちや》を入《い》れたりなんかして、取込《とりこ》んで居《を》りますので、おかまひ申《まを》されませんて、眞箇《ほんと》に優《やさ》しい人《ひと》つちやあない。ねえ、兄樣《にいさん》さうぢやアないか。僕《ぼく》のことをね、新《しん》ちやん/\ツていふの、さうしちや、 (おや口癖《くちぐせ》になツて。)  と笑《わら》つて居《ゐ》たつけ。  其《そ》の時《とき》は初《はじ》めて見《み》たんだから、そんなに氣《き》も着《つ》かないでしまつたけれど、其次《そのつぎ》餘所《よそ》で逢《あ》つた時《とき》に肖《に》てるやうだと思《おも》つたのは、使《つかひ》に行《い》つて歸《かへ》る道《みち》で。あのK淵《くろぶち》のがけ裏《うら》ね、彼處《あすこ》から芝居《しばゐ》まではすぐだもんだから、腕車《くるま》にも乘《の》らないで、若《わか》い※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》が一人《ひとり》と、小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》が一人《ひとり》と、女中《ぢよちう》が三人《さんにん》で供《とも》をして行《ゆ》く處《ところ》で出《で》ツくはしてね、顏《かほ》は覺《おぼ》えてたんだけれど、むかうが大勢《おほぜい》で僕《ぼく》はいやだつたから、俯向《うつむ》いて、通過《とほりす》ぎて、ずつと離《はな》れてから一寸《ちよつと》振返《ふりかへ》つて見《み》ると、見返《みかへ》つたよ。またしばらくして後《うしろ》を見《み》ると、またむかうでも振返《ふりかへ》つたから、もう一度《いちど》、こん度《ど》は餘程《よつぽど》來過《きす》ぎてから見《み》て遣《や》つた。  其時《そのとき》はね、彼《あ》の人《ひと》ばかりぢやなくつて、小※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《こぞう》も、女中《ぢよちう》も、一所《いつしよ》に皆《みんな》で此方《こつち》を向《む》いたから、僕《ぼく》は遁出《にげだ》してしまつたさ。  今《いま》でも目《め》に着《つ》いて居《ゐ》るがねえ、其時《そのとき》や、ひどく派手《はで》な裝《なり》をして居《ゐ》たつけ。  それから一二《いちに》度《ど》も見《み》たことがあつたらうか、つい此間《このあひだ》は、あの、通《とほり》の紫谷《むらや》の出店《でみせ》で見《み》た。さつき兄樣《にいさん》に話《はな》したツけね、何《なん》だつて店《みせ》は人《ひと》だかりだつたものね。彼家《あすこ》には紫谷《むらや》の妾《めかけ》が置《お》いてあるツて皆《みんな》が然《さ》ういふ。僕《ぼく》は其奴《そいつ》も見《み》たさ。其《それ》がねえ。頻《しき》りにお世辭《せじ》を振撒《ふりま》いて、此方《こつち》へお入《はひ》り遊《あそ》ばせツて丁寧《ていねい》にお辭儀《じぎ》をして居《ゐ》たが、大事《だいじ》にして、敬《うや》まつて居《ゐ》るらしい。でも急《いそ》いで居《ゐ》たのか。内《うち》へは入《はひ》らないで、上《あが》り口《ぐち》に腰《こし》をかけて、片足《かたあし》は駒下駄《こまげた》を穿《は》いたまゝ、扇《あふぎ》をねえ、少《すこ》しあげて口《くち》ン處《ところ》へあてて、俯向《うつむ》いて、何《なに》か其妾《そのめかけ》がいふ※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《たんび》に、 (えゝ、えゝ。)  てつちや、頷《うなづ》いて居《ゐ》たんだよ。え、髮《かみ》かい、髮《かみ》は其時《そのとき》や圓髷《まるまげ》ぢやなかつた。 (奧樣《おくさま》だよ、奧樣《おくさま》だよ、紫谷《むらや》の奧樣《おくさま》だよ。)と囁《さゝや》きあつて、往來《わうらい》が立停《たちどま》つた。しばらくして歸《かへ》りさうだつたから僕《ぼく》は家《うち》の方《はう》へ※[#「戸の旧字+犬」、第3水準1-84-67]《もど》つて來《く》ると、提灯《ちやうちん》が二《ふた》ツ、はた/\と駈《か》けて來《き》て、僕《ぼく》の先《さき》になつた奴《やつ》が、紫谷《むらや》に走《はし》りついて、もうお歸宅《かへり》だからと女中《ぢよちう》に門口《かどぐち》で言《い》つて居《ゐ》た。兄樣《にいさん》、いゝ人《ひと》だねえ。兄樣《にいさん》が小兒《こども》の時《とき》にはなかよしだつたつていふぢやないか。」  と弟《おとうと》は予《よ》に語《かた》りぬ。渠《かれ》は何心《なにごころ》もなかりしならむ。 [#5字下げ]K淵《くろぶち》[#「K淵」は中見出し]  水底《みなそこ》の土《つち》の色《いろ》なるべし。水《みづ》の流《ながれ》K《くろ》ければ名《な》としたり。岸《きし》にのぞみたる石垣《いしがき》の高《たか》さ四五|間《けん》もあらむ。其上《そのうへ》に板※[#「塀」の「并」に代えて「餠のつくり」、第3水準1-15-58]《いたべい》あり。石垣《いしがき》と連《つらな》りて、町《まち》の角《かど》を繞《めぐ》りて立《た》てり。  いろ/\の草《くさ》石垣《いしがき》の間《あひだ》に生《お》ひ、灌木《くわんぼく》は枝《えだ》を交《まじ》へたるに、小笹《をざさ》、熊笹《くまざさ》茂《しげ》れり。この淵《ふち》の流《なが》れいと緩《ゆる》やかなれば、夜《よ》は靜《しづか》なれども、水《みづ》の音《おと》せず。  土手《どて》、石垣《いしがき》の間《あひだ》、路《みち》はいと細《ほそ》うして、衣《きぬ》の袖《そで》の茨《いばら》の棘《とげ》にかゝらざるやう、人《ひと》一人《いちにん》肩《かた》をすぼむれば通《とほ》るを得《う》べし。《よこ》ざまに延《の》びたる楊柳《やなぎ》の葉《は》は、頭《かしら》に支《つか》ふるばかりなり。  川上《かはかみ》三|町《ちやう》ばかりの間《あひだ》は、市街《しがい》の中央《ちうあう》を《よこ》ぎりて遊里《あそびざと》の岸《きし》を流《なが》るゝより、人音《ひとおと》、物音《ものおと》遙《はるか》に繁《しげ》く、冴《さ》え切《き》りたる婦人《をんな》の聲《こゑ》の、聞《きこ》えてはまた止《や》みなどす。月《つき》は出《い》でたれど空《そら》曇《くも》れり。  折《をり》からそよとの風《かぜ》もなきに、石垣《いしがき》の草《くさ》の中《なか》より、落《お》つるが如《ごと》く螢《ほたる》たちて、土手《どて》の上《うへ》に光《ひか》りしが、すら/\と行《ゆ》きて大川《おほかわ》の半《なか》ばに消《き》えたり。  靜《しづか》に見送《みおく》りて、ふと我《われ》に返《かへ》りぬ。  秀《ひで》がこゝに嫁《とつ》ぎしは、今《いま》より六|年《ねん》の前《まへ》なりき。紫谷《むらや》の裏手《うらて》なるものを。こは予《よ》が來《く》べき處《ところ》にあらずと、思《おも》はず慄然《りつぜん》とするほどに、石垣《いしがき》に生《お》ひたる笹《さゝ》の、ざわ/\と搖《ゆ》れて蠢《うごめ》くものあり。  立去《たちさ》らむとせし足《あし》を留《とゞ》めて、腕《うで》を組《く》みつゝ屹《き》と見上《みあ》げぬ。  しばしもの音《おと》もなかりしが、やがてまた動《うご》き出《いだ》して、石《いし》と石《いし》とのあはせ目《め》に、足《あし》を交《かは》るがはる踏《ふみ》かけつゝ、しづかに下《お》りるは人《ひと》なりき。  訝《いぶ》かしと見《み》たる目《め》の、いかでか渠《かれ》を愆《あやま》たむ。夜目《よめ》にも富《とみ》の市《いち》なりしをや。  渠《かれ》は人《ひと》ありとも知《し》らざりき。草《くさ》の根《ね》に縋《すが》りながら、爪探《つまさぐ》りにおりたちたる、下《した》には丸《まる》き下駄《げた》ありて、一足《いつそく》正《たゞ》しくならびたるに、落着《おちつ》きて爪先《つまさき》を踏《ふみ》あてて、杖《つゑ》を取《と》りて、ぬつくと立《た》ちて、空《そら》を仰《あふ》ぎて、といきをつきしが、肩《かた》を垂《た》れて俯向《うつむ》きぬ。  予《よ》はいきを凝《こら》して見《み》たり。  されど何等《なんら》のことも仕出《しい》ださで、渠《かれ》は徐《しづか》に※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]行《ある》き出《いだ》しぬ。螢《ほたる》の光《ひかり》二度《にど》ばかり、しよぼけたる其背姿《そのうしろつき》と、予《よ》とを遮《さへぎ》りて顯《あらは》れしが、ふわと消《き》ゆる時《とき》、見《み》えずなりぬ。  見送《みおく》りて予《よ》は、思《おもひ》半《なか》ばに過《す》ぎたり。  去《い》にし年《とし》、師《し》のミリヤアド、文《ふみ》して我《われ》を招《まね》きし時《とき》、秀《ひで》に別《わか》れを告《つ》げむとて、深水《ふかみ》の家《いへ》を訪《と》ひたる夜《よ》、山鳩《やまばと》の聲《こゑ》懷《なつか》しく離《はな》れがたき心《こゝろ》の出《い》で來《き》て、其夜《そのよ》より降《ふ》りし雪《ゆき》の降《ふ》りやまで積《つも》りたれば、上京《じやうきやう》の道《みち》開《ひら》けずといふをかこつけに、いまにも發程《たた》むと思《おも》ひたる、初一念《しよいちねん》はあだとなしつ。  なすこともなく年《とし》は暮《く》れたり。明《あ》くるを待《ま》ち、暮《く》るゝを待《ま》ちて、日《ひ》に日《ひ》に秀《ひで》を慕《した》ひ寄《よ》りては、何事《なにごと》をかし出《い》でたる。歌留多《かるた》雙六《すごろく》は上手《じやうず》になりぬ。學《まな》びの道《みち》は打荒《うちすさ》びて、大空《おほぞら》にものを思《おも》ひてき。  戒《いまし》むる人《ひと》ありて、強《し》ひてまた數學《すうがく》ヘ《をし》ふる私塾《しじゆく》に塾生《じゆくせい》とはなれりしかど、同數異號《どうすういがう》の和《くわ》は零《れい》なりと、寢覺《ねざめ》にも呟《つぶや》きし、ヘ師《けうし》の口癖《くちぐせ》を習《なら》ひ取《と》りて、人《ひと》の氣《き》に染《そ》まぬことをいふごとに、《よこ》を向《む》きて、 (同數異號《どうすういがう》の和《くわ》は零《れい》なりですから。)  恁《かく》いひ消《け》しては、笑《わら》ふことの、快《こゝろよ》きを覺《おぼ》えしのみ。十月《じふぐわつ》三日《みつか》、日《ひ》もなほ忘《わす》れず。挾《さしはさ》むこと渠《かれ》が如《ごと》くなりし富《とみ》の市《いち》の、六月《むつき》七月《なゝつき》逢《あ》はざりしが※[#「穴かんむり/犬」、第3水準1-89-49]然《とつぜん》予《よ》が塾《じゆく》におとづれ來《き》て、 (新《しん》ちやん、秀《ひで》さんが、嫁入《よめいり》をします。)  と一言《ひとこと》いひて歸《かへ》り去《さ》りき。日《ひ》もなほ忘《わす》れず、十月《じふぐわつ》三日《みつか》。 [#5字下げ]燈籠《とうろう》[#「燈籠」は中見出し]  東京《とうきやう》にわが行《ゆ》きたるも、また秀《ひで》のあればなりき。  一夜《あるよ》予《よ》が弟《おとうと》の、不圖《ふと》熟睡《じゆくすゐ》の蚊帳《かや》を出《い》でて、一文字《いちもんじ》につか/\と戸口《とぐち》に行《ゆ》きて、半《なか》ば入口《いりくち》を開《あ》けたるを、慌《あわたゞ》しく抱止《だきとゞ》め、叱《しか》れど、ものもいはでうつとりする、目《め》は全《まつた》く眠《ねむ》りたれば、太《いた》く怪《あやし》みながら其《その》まゝ臥床《ふしど》に推遣《おしや》りしに、はたと倒《たふ》れてまた寢《ね》たり。あくる日《ひ》になりて問《と》ひたれど、露《つゆ》ばかりも昨夜《ゆうべ》のことを知《し》らずといふに、人《ひと》は時《とき》としては夢《ゆめ》の中《うち》に、實際《じつさい》ある働《はたら》きを爲《な》し得《う》るものぞと確《たしか》めたるより、予《よ》はみづから危《あやぶ》みき。  紫谷《むらや》は近《ちか》し、予《よ》が家《いへ》より幾程《いくほど》もあらざるを、いかなることをかしいださむ、とために上京《じやうきやう》も急《いそ》ぎしなり。今年《ことし》やまひありて歸《かへ》りし身《み》の、秀《ひで》が三《み》たび顧《かへり》みたりと、弟《おとうと》が告《つ》げたればとて、K淵《くろぶち》の崖裏《がけうら》を、夜深《よぶか》くなりて※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33]※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32]《さまよ》ふことか?![#「?!」は縦中横]  母上《はゝうへ》、憐《あはれ》みたまへとて、予《よ》は其《そ》の墓前《ぼぜん》にうなだれぬ。  墓《はか》の際《きは》なる松《まつ》の枝《えだ》より、背後《うしろ》なる卒堵婆《そとば》に繩《なは》を渡《わた》して、燈籠《とうろう》三《み》ツばかり結《むす》びかけつ。油《あぶら》さしの未《いま》だ來《こ》ざれば、灯《ひ》も點《とも》さである、山中《さんちう》の日《ひ》は※[#「廣−广」、第3水準1-94-81]昏《たそが》れて、森《もり》の中《なか》暗《くら》うなり、手向《たむけ》[#ルビの「たむけ」は底本では「てむけ」]たる線香《せんかう》のそよ吹《ふ》く夕風《ゆふかぜ》に灰《はひ》落《お》ちて、赤々《あか/\》と燃《も》ゆるが見《み》ゆ。  心細《こゝろぼそ》うなるに、蚊《か》の聲《こゑ》低《ひく》く耳許《みゝもと》にひとつ鳴《な》く時《とき》、墓經《はかぎやう》讀《よ》む法師《ほふし》來《きた》れり。童顏仙※[#「身+區」、第3水準1-92-42]《どうがんせんく》、髭《ひげ》白《しろ》く頤《おとがひ》を埋《うづ》み、白《しろ》き眉《まゆ》長《なが》くぞ低《た》れたる、渠《かれ》は尊《たふと》き聖人《ひじり》とよ。麓《ふもと》の庵《いほ》に住《す》み給《たま》ふが、予《よ》が六歳《むつ》七歳《なゝつ》の頃《ころ》も今《いま》もなほおもかげかはらで、身《み》も太《いた》く健《すこや》かなるが、飄然《へうぜん》として來《き》給《たま》ひぬ。  座《ざ》を讓《ゆづ》りて傍《かたへ》にある時《とき》、つと前《まへ》に進《すゝ》み給《たま》ひて、妙《たへ》なる法《のり》の聲《こゑ》はや聞《きこ》えたり。  讀經《どきやう》やがて半《なか》ばにして、油《あぶら》さしの老夫《をぢ》巡《めぐ》り來《き》て、三《み》ツの燈籠《とうろう》にみな灯《ひ》を點《てん》じて、竹《たけ》と、わがねたる藁繩《わらなは》を兩《りやう》の手《て》に提《ひさ》げたるまゝ背《うしろ》ざまに手《て》を組《く》める、腰《こし》はやゝ前《まへ》の方《かた》に屈《かゞ》みたり。年紀《とし》五十を超《こ》えたらむ、口《くち》はキト引緊《ひきしま》りてもの/\しく見《み》ゆるから、無作法《ぶさはふ》に太《ふと》き眉《まゆ》つきと、しをらしき目《め》に愛嬌《あいけう》あり。深《ふか》き皺《しわ》幾條《いくすぢ》か刻《きざ》みたる額《ひたひ》禿《は》げて、白髮《しらが》まじりの頭髮《とうはつ》なほ濃《こまやか》なるが、聞惚《きゝほ》れたる面色《おもゝち》して、片※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《かたほ》に笑《ゑみ》を含《ふく》みつゝ、予《よ》が背後《うしろ》に聽聞《ちやうもん》す。膝切《ひざぎり》の股引《もゝひき》短《みじか》く、太《ふと》き筒袖《つゝそで》の腰《こし》までなるを着《き》て、胸毛《むなげ》K々《くろ/″\》と襟《えり》廣《ひろ》く、小倉《こくら》の帶《おび》の幅《はゞ》狹《せま》きを前《まへ》さがりに結《むす》びて居《を》れり。  燈籠《とうろう》あまたゝび風《かぜ》に戰《そよ》ぎて、明《あかる》くなり、暗《くら》くなり、消《き》えむとして、さだまりて、※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》のながるゝ音《おと》す。  讀經《どきやう》しはて給《たま》ひたれば、ソト布施《ふせ》を參《まゐ》らすに、老※[#「にんべん+曾」、第3水準1-14-41]《らうそう》は受納《うけをさ》めて、しわびたる掌《たなそこ》もて、童《わらんべ》かなんぞのやう、しづかに予《よ》が頭《つむり》を撫《な》で給《たま》へり。 「せいだしておとなになれよ。」  と微笑《びせう》して、念珠《ねんじゆ》持《も》ち給《たま》ひたる手《て》の衣《ころも》の袖《そで》に隱《かく》るゝはしに、老夫《をぢ》は身《み》を退《すさ》りて一揖《いちいふ》し、 「和尚《をしやう》樣《さま》、彼處《あすこ》でお墓經《はかぎやう》を、と申《まを》して待《ま》たつしやりますで。」 「あい/\。」  と頷《うなづ》き給《たま》ひ、老夫《をぢ》を具《ぐ》して去《さ》り給《たま》ふ。  立《たち》あがりたるあたり、遠《とほ》く、近《ちか》く、十《とを》ばかり、一《ひと》ならびに三《み》ツ二《ふた》ツ、處々《ところ/″\》に、遙《はるか》に離《はな》れて一個《ひとつ》など、數百《すうひやく》の燈籠《とうろう》風《かぜ》をさそひて、樹間《このま》々々《/\》に暗《くら》く見《み》ゆ。  母《はゝ》の墓《はか》なるが※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》盡《つ》きて、なかの一個《ひとつ》いま消《き》えかゝり、ぱち/\と煮《に》ゆる音《おと》に、ふと見返《みかへ》れば、予《よ》が家《いへ》より參《まゐ》らせたるもののほかに、別《べつ》に一個《いつこ》の燈籠《とうろう》あり。印《しるし》の小松《こまつ》の根《ね》に寄《よ》せて、墳墓《おくつき》の上《うへ》に置《お》きたるが、夜露《よつゆ》にすら/\と濡色《ねれいろ》茂《しげ》れる、夏草《なつくさ》の葉越《はごし》に透《す》きて、山風《やまかぜ》に濕《しめ》りたる灯《ひ》の影《かげ》冴《さや》かに、小松《こまつ》の翠《みどり》色《いろ》淺《あさ》く、一葉《ひとは》一葉《ひとは》に宿《やど》りたる、露玉《つゆたま》くる/\と照《て》り添《そ》ひて、奧床《おくゆか》しうも優《やさ》しく見《み》えぬ。 [#5字下げ]山颪《やまおろし》[#「山颪」は中見出し]  盂蘭盆《うらぼん》の魂祭《たままつり》に、迎火《むかひび》送火《おくりび》は焚《た》かざれど、菩提寺《ぼだいじ》に、墓地《はかち》に、※[#「示+且」、第3水準1-89-25]先《そせん》を祀《まつ》りたる處《ところ》には、家々《いへ/\》より燈籠《とうろう》を携《たづさ》へ行《ゆ》きて、墓詣《はかまうで》の時《とき》御明《みあかし》を點《てん》ずるなり。家《や》の内《うち》に、魂棚《たまだな》[#ルビの「たまだな」は底本では「たなだま」]はいま造《つく》り設《まう》けず。燈籠《とうろう》は一家《いつか》、親族《しんぞく》、寺《てら》は違《ちが》へ、墓《はか》こそ別《べつ》なれ、志《こゝろざ》す靈《みたま》のあるものは、皆《みな》靈前《れいぜん》に手向《たむ》くる習《なら》ひを、誰《た》が母上《はゝうへ》に供《そな》へくれけむ、心當《こゝろあた》りのあらざるにぞ、予《よ》は露《つゆ》の中《なか》をすかしたり。  志《こゝろざ》す佛《ほとけ》の名《な》と、手向《たむ》けし※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》の姓名《せいめい》とを、書着《かきつ》けて置《お》くなれば、とさし覗《のぞ》き見《み》たりしが、草《くさ》の葉《は》蔽《おほ》ひ茂《しげ》りたれば、此方《こなた》よりは讀《よ》めざりし。掌《たなそこ》をさし入《い》れて、少《すこ》し押分《おしわ》くるに、ひや/\と指《ゆび》ぬれて、可惜《あたら》露《つゆ》はら/\とこぼれぬ。  字《じ》は鮮《あざや》かに讀《よ》まれたり。  新《しん》ちやんの母樣《はゝさま》    御墓《おんはか》  紫谷《むらや》内《うち》  と書《かき》つけたる、二《ふた》ならびの女《をんな》文字《もじ》、ぢつと見詰《みつ》むる瞳《ひとみ》に映《えい》じて、其文字《そのもじ》燈籠《とうろう》をはなれつゝ、露《つゆ》白《しろ》く、草《くさ》青《あを》き、灯影《ほかげ》のなかに鮮《あざや》かに描《ゑが》かれて、空《くう》に浮《うか》びてちらりと見《み》えたる、爾時《そのとき》松《まつ》の梢《こずゑ》颯《さ》となりて、夜風《よかぜ》冷《ひやゝ》かに身《み》に染《し》みぬ。  他《た》の二個《ふたつ》の燈籠《とうろう》は、かはる/″\ともれはてつ。今《いま》は唯《たゞ》其一《そのひと》つのみぞ殘《のこ》りける。  あたり暗《くら》うなりたれば、墳墓《おくつき》の上《うへ》の草《くさ》の中《なか》のみ翠《みどり》滴《したゝ》りて、松《まつ》の葉《は》すこしばかりあかりのもれたる、其處《そこ》ばかりは、いよ/\照《て》り掾sまさ》りて、露《つゆ》の色《いろ》一入《ひとしほ》うつくしきに、青《あを》き蝗《いなご》の小《ちひ》さきが一《ひと》ツ葉末《はずゑ》に縋《すが》れり。  近《ちか》よりつ、また遠《とほ》のきつ、※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《なが》め飽《あか》ず彳《たゝず》むに、谷《たに》一《ひと》ツ隔《へだゝ》りたる向《むかひ》の峰裏《みねうら》に打鳴《うちなら》せし輪鉦《りん》の音《ね》の、ふと亂《みだ》れ初《そ》めて、山《やま》おろし烈《はげ》しくなりぬ。  草《くさ》の葉《は》颯《さつ》となびきて、蝗《いなご》の足《あし》動《うご》き出《いだ》せり。袂《たもと》も裾《すそ》もあふりはじめぬ。  遠《とほ》き山《やま》、近《ちか》き谷《たに》、今《いま》は數《かぞ》ふるばかり消《き》え殘《のこ》りたる、燈籠《とうろう》の灯《ひ》のあかきと、くらきと、上下《うへした》に皆《みな》動《うご》けり。  鳶《とび》が峰《みね》の樹立《こだち》深《ふか》きあたり、波《なみ》立《た》つ如《ごと》き風《かぜ》の音《おと》して、轟々《がう/\》とばかり吹《ふ》きまさる。  右《みぎ》にめぐり、左《ひだり》に立《た》ち、前《まへ》を蔽《おほ》ひ、背後《うしろ》を圍《かこ》ひて、墓所《はかしよ》の風《かぜ》を遮《さへぎ》れども、彼《か》の燈籠《とうろう》のあふち烈《はげ》しく、※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》の灯《ひ》ひたとおし伏《ふ》せられては、心細《こゝろぼそ》くなりゆくに、堪《こら》へず草《くさ》の中《なか》より取出《とりい》だして、おろして、墓前《ぼぜん》の地《つち》に据《す》ゑつ。  兩袖《りやうそで》をもて圍《かこ》ひしが、なほ隙間《すきま》もれて、あはやと※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]《らふ》の灯《ひ》のまたゝくにぞ、消《け》されむことの口惜《くちを》しきに、手早《てばや》く胸《むね》の紐《ひも》解《と》き棄《す》てて、予《よ》は羽織《はおり》を脱《ぬぎ》取《と》りつゝ、燈籠《とうろう》を上《うへ》より包《つゝ》みたり。  灯影《ほかげ》はやがて靜《しづか》になりぬ。  星《ほし》の影《かげ》樹《こ》の間《ま》に洩《も》れたり。  時《とき》にこゝの前《まへ》を跫音《あしおと》して、森《もり》を二人《ふたり》ばかり過《す》ぐると覺《おぼ》えし、急《きふ》に立停《たちどま》りて、 「あれ變《へん》だぜ。」 「何《ど》うかしてるんぢやないか。おや、」  と囁《さゝや》き合《あ》ひて、わが方《かた》に近寄《ちかよ》る氣勢《けはひ》す。予《よ》は胸《むね》を打《う》ちて、疾《と》く踞《うづく》まりし身《み》を起《おこ》し、故《わざ》と顏《かほ》見《み》らるゝやう、其方《そなた》を向《む》きて少《すこ》しく笑《ゑみ》を含《ふく》みしに、俄《にはか》にひツそとなりぬ。稍《やゝ》ありてばた/\と遠《とほ》ざかる音《おと》高《たか》く、遙《はるか》にわツといふ聲《こゑ》せしが、其《そ》の後《のち》は聲《こゑ》もせず、風《かぜ》もまたいつしか止《や》みたり。  輪鉦《りん》の音《ね》も聞《きこ》えずなりぬ。  ひとつ消《き》え、二《ふた》つ消《き》えゆく山中《さんちう》の燈籠《とうろう》、纔《わづか》に草《くさ》がくれの螢《ほたる》かとばかり消《き》えのこる。  いまはとて伏拜《ふしをが》み、ふたゝび舊《もと》の處《ところ》に置《お》きて、幽《かすか》なる其《その》あかりを辿《たど》り、二本《ふたもと》三本《みもと》、松《まつ》杉《すぎ》を潛《くゞ》り出《い》でて、見返《みかへ》れば、燈籠《とうろう》の灯《ひ》はなほ點《とも》れぬ。  小※[#「戸の旧字+犬」、第3水準1-84-67]《こもど》りせしが思《おも》ひ返《かへ》しつ。一反《いつたん》ばかり隔《へだ》たりて、更《さら》に遠《とほ》ざかりて、更《さら》に※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》を移《うつ》して、また更《さら》に顧《かへり》みたる、滿山《まんざん》K《くろ》き森《もり》の中《なか》に、青《あを》き灯影《ほかげ》の草《くさ》の露《つゆ》、母《はゝ》の精靈《みたま》の消えやらず、君《きみ》が情《なさけ》は盡《つ》きざりき。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]四之卷[#「四之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   こだま  有明  柴垣  几帳  三日月 [#改ページ] [#5字下げ]こだま[#「こだま」は中見出し]  森を出《い》でて見返《みかへ》れば山《やま》暗《くら》し。風《かぜ》は凪《な》ぎぬ。燈籠《とうろう》みな消《き》えて、星《ほし》あかりの山路《やまぢ》たど/\しく、草《くさ》の徑《こみち》を分《わ》け行《ゆ》くに、稻子《いなご》はら/\と飛《と》び交《か》へり。  麓《ふもと》におりるなかばにして、土《つち》の崩《くづ》れし處《ところ》一個處《いつかしよ》あり。恰《あたか》も丘《をか》の半腹《はんぷく》にて、ひとなだれの谷《たに》深《ふか》く、纔《わづか》に足溜《あしだまり》とすべき路《みち》の危《あぶな》げなるを、なまじひに知《し》れる身《み》の、今《いま》しも其處《そこ》に臨《のぞ》みつと足數《あしかず》にて計《はか》るとともに、一※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《いつぽ》も蹈出《ふみだ》すこと能《あた》はずなりぬ。  路《みち》はなほ、一條《ひとすぢ》別《べつ》にありたるを、恁《かく》と知《し》りなばそなたよりぞすべかりし。引返《ひきかへ》さむとするに心《こゝろ》から身《み》は其細道《そのほそみち》のなかばとも思《おも》ふ處《ところ》に居《ゐ》て、前《まへ》にも進《すゝ》み難《がた》く、後《うしろ》にも退《しりぞ》き難《がた》き心地《こゝち》ぞしたる。  わづかのあひだ二|間《けん》には餘《あま》らぬ處《ところ》を、草《くさ》の根《ね》に縋《すが》りなばと、左手《ゆんで》なるがけを※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]探《かいさぐ》れば、茨《いばら》に掌《たなそこ》の傷《きず》つけり。  詮方《せんかた》なく、彳《たゝず》むに、爪尖《つまさき》のこそばゆく、身《み》はわなゝき、浮足《うきあし》になりて心細《こゝろぼそ》さ限《かぎ》りなし。  予《よ》は草叢《くさむら》に膝《ひざ》を折敷《をりし》きて、覺束《おぼつか》なく星《ほし》を仰《あふ》ぎぬ。  空《そら》の色《いろ》たゞならず、野《の》の末《すゑ》、峰《みね》の裏《うら》あたり、星《ほし》は數《かず》を盡《つく》して輝《かゞや》くに、この谷《たに》の上《うへ》の方《かた》のみ、雲《くも》ありとしもなきに暗《くら》うなりたり。 「おい。」  其處《そこ》ともわかず、人影《ひとかげ》のありとも見《み》えで、蕭《さ》びたる太《ふと》き聲《こゑ》していふ。  こだまの呼《よ》ぶと思《おも》ひつゝ、予《よ》は氷《こほり》を浴《あ》びたる心地《こゝち》して、ひたと草《くさ》の根《ね》に身《み》を寄《よ》せぬ。 「誰《だれ》だ、其處《そこ》に居《ゐ》るのは誰《だれ》だ。」  予《よ》はいきをこらせり。 「邪魔《じやま》になる、退《の》かぬか、退《の》かぬか、えゝ!退《の》かぬかといふに。」  語勢《ごせい》烈《はげ》しく頭上《づじやう》に迫《せま》るに、走《はし》り退《の》かむと心《こゝろ》は急《せ》けど、一※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《いつぽ》をあやまてば九仞《きうじん》の谷《たに》の眞底《まそこ》に落《お》ちむず危《あやふ》さ。身《み》を起《おこ》すべくもあらざるにぞ、さゝやかになりて踞《うづく》まる。 「おのれ、退《の》かぬな、退《の》かねば、……可《よ》し。」  とはや何等《なんら》か、害《がい》を加《くは》へむとする氣勢《けはひ》、聞覺《きゝおぼ》えある聲音《こわね》なり。予《よ》が心《こゝろ》決《さだ》まりぬ。  激《はげ》しくものをいはむとして、打《う》ちふるうたる唇《くちびる》を、ひらかせあへずひしと蔽《おほ》ひて、耳《みゝ》に囁《さゝや》く優《やさ》しき聲《こゑ》あり。 「默《だま》つて、默《だま》つて、新《しん》さん、私《わたし》だよ、私《わたし》だよ。」  と、忍音《しのびね》ながら力《ちから》の籠《こも》れる、ヘ會《けうくわい》なる操《みさを》の聲《こゑ》なり。  口《くち》には堅《かた》く蓋《ふた》されたれば、切《せつ》なき胸《むね》の躍《をど》るのみ。 「默《だま》つておいでよ、恐《こは》うござんすから。可《い》いから、私《わたし》が居《ゐ》るからね。」  と背後《うしろ》に居《ゐ》てものいへりし、渠《かれ》が身《み》は衝《つ》と前《まへ》にまはりて、予《よ》を其胸《そのむね》に抱《いだ》き緊《し》め、兩《りやう》の袖《そで》もて頸《うなじ》を蔽《おほ》ひて、 「可《よ》うござんすか。ぢつとして、靜《しづか》にしておいでなさいよ。恐《こは》うござんすからね。」  とひそめき告《つ》ぐ。暗《くら》きなかに、わが顏《かほ》は渠《かれ》の胸《むね》にひたとつきたれば、其姿《そのすがた》は見《み》えざれど、ひたすらものの恐《おそろ》しければ謂《い》はるゝまゝにいきをひそめて、身動《みうご》きもせで取縋《とりすが》れり。  爾時《そのとき》聲《こゑ》を高《たか》うして、 「はい、はい、あの、新《しん》さんはもう歸《かへ》りました。此處《こゝ》には居《を》りません。はい、いゝえ、まツたくです。何《なん》の私《わたし》が祕《かくし》ますものですか。――|※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》よ守《まも》らせたまへ――」  とて其額《そのひたひ》をつけたらむ、わが肩ものに觸《ふ》るゝを感《かん》ず。婦《をんな》は默《もく》して打《うち》念《ねん》ずる氣勢《けはひ》なりしが、恐《おそろ》しき聲《こゑ》は聞《きこ》えずなりぬ。 [#5字下げ]有明《ありあけ》[#「有明」は中見出し] 「もうようござんす。さ、」  と婦人《をんな》は予《よ》を放《はな》たむとしたりけるが、急《きふ》にまたしつかと抱《いだ》けり。  わが居《ゐ》たる上《うへ》の峰《みね》の方《かた》にて、細《ほそ》くてC《すゞし》き聲《こゑ》のやゝふるへたるが、 「新《しん》ちやん。」  と呼懸《よびか》けたり。  胸《むね》に徹《てつ》する聲《こゑ》なり。予《よ》は耳《みゝ》を欹《そばだ》てぬ。 「默《だま》つて、默《だま》つて。」  とまたさゝやきいへり。 「新《しん》ちやん。」  やゝありて、 「新《しん》ちやん、新《しん》ちやんぢやないの。あれ。」  予《よ》は答《こた》へむとして顏《かほ》を上《あ》ぐるに、操《みさを》はひしとばかりおさへたる手《て》を弛《ゆる》めず、 「何故《なぜ》、然《さ》うですよ。ものをいつちや惡《わる》いといふのに、年上《ひと》のいふこと肯《き》くもんです。」  とひそめきながら、叱《しか》るが如《ごと》くたしなめられて、心《こゝろ》ならずも默《もく》してけり。 「新《しん》ちやん、新《しん》ちやん、新《しん》ちやんといふのにさ。」 「いゝえ、いゝえ、いけません、返事《へんじ》をしちやいけません。いふことお肯《き》きなさらないとミリヤアドにいひつけて叱《しか》らしてあげます。」  と屹《きつ》となりて戒《いまし》めいふ。  峰《みね》の上《うへ》にては、しばし聲《こゑ》の途絶《とだ》えたるが、此時《このとき》また、 「あの、新《しん》ちやん、其處《そこ》においで遊《あそ》ばすのは新《しん》ちやんではござんせんか。」 「違《ちが》ひます、何《なん》の、こんな處《ところ》、新《しん》さんの來《く》るやうな處《ところ》ぢやございません。新《しん》さんはこんな處《ところ》へ來《く》るものですか、私《わたし》の、私《わたし》のいゝ兒《こ》はね、富《とみ》の市《いち》ぢやありません。」 「あ。」といふ叫《さけび》、耳《みゝ》にのこりて、峰《みね》の上《うへ》ひツそとなりたり。  予《よ》は懸念《けねん》に堪《た》へず、振《ふ》りはなさむと身《み》をあせるに、彼《か》の人《ひと》少《すこ》しく手《て》を弛《ゆる》べて、 「ね、何《なん》にもあなたを呼《よ》んでやしないの。みんな僻耳《ひがみゝ》です。新《しん》ちやん/\てきこえたつて……そりや山鳩《やまばと》の聲《こゑ》でせう。あれ/\あれ、鳴《な》いてるのが聞《きこ》えませう。」  耳《みゝ》を澄《す》ませば果《はた》せるかな、遙《はる》かに遠《とほ》く、三《み》ツ山《やま》、四《よ》ツ谷《たに》、十森《ともり》の彼方《あなた》の、洞《ほら》の中《なか》の奧《おく》深《ふか》く鳴《な》くかと思《おも》ふ心地《こゝち》せり。 「いまのうちに早《はや》く、さあ、お歸《かへ》り。」  と姿《すがた》なきものの導《みちび》くをば、怪《あや》しともみざりしが、たしかに秀《ひで》のわが名《な》を呼《よ》びたる、上《うへ》なる峰《みね》に心《こゝろ》殘《のこ》りて、さまでに渠《かれ》が戒《いまし》めたる、緘默《かんもく》の掟《おきて》を破《やぶ》りつ。 「※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、412-2]《ねえ》さん、※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、412-2]《ねえ》さんかい。」  とばかり峰《みね》を仰《あふ》ぎ呼《よ》びぬ。 「おゝ新《しん》ちやん。」  と應《こた》ふるに、堪《たま》らず走《はし》り寄《よ》らむとせる、わが手《て》をむずと引留《ひきとゞ》めて、 「おい。」  と寂《さ》びたる聲《こゑ》を懸《か》くる。※[#「口+阿」、第4水準2-4-5]呀《あなや》と見《み》ればいまのいままで、予《よ》を護《まも》りたる操《みさを》はあらで、世《よ》にも恐《おそろ》しき富《とみ》の市《いち》の、左手《ゆんで》に予《よ》が手《て》を扼《とりしば》り、右手《めて》には秀《ひで》の腕《かひな》を※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]《つか》みて、深《ふか》さ幾丈《いくぢやう》とも分《わか》たざる、眞暗《まくら》き谷《たに》に臨《のぞ》み居《を》れり。 「おにげなさいよう。新《しん》ちやん、あれ!」  富《とみ》の市《いち》は苦《くる》しげに吐息《といき》をつき、 「秀《ひで》さん、こ、こゝを見《み》て、私《わし》がこゝを見《み》て。だ、だれがこんなにしました。」  と矢庭《やには》に秀《ひで》を引寄《ひきよ》せて、其胸《そのむね》をさしつけたる、肋骨《あばらぼね》白《しろ》く見《み》え透《す》きて、譬《たと》へば拳《こぶし》の入《は》らむばかり、胸《むね》の一部《いちぶ》の肉《にく》を抉《ゑぐ》りて、背《せな》にも屆《とど》かむ穴《あな》あきて、眞蒼《まさを》にK《くろ》き皮膚《ひふ》を染《そ》めつゝ、鮮血《なまち》其疵口《そのきずぐち》より噴出《ふきい》でたり。 「こゝ、こゝ。」と富《とみ》の市《いち》は、予《よ》を、捉《とら》へたる手《て》を放《はな》ちて、秀《ひで》に疵口《きずぐち》を指《ゆびさ》したる、節《ふし》だかき指《ゆび》の尖《さき》わなゝきぬ。  今《いま》はハヤわるびれたる※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》なくて、肅然《しゆくぜん》と立《た》つたりし、秀《ひで》の頸《うなじ》に手《て》をからみて、倒《よこだふ》れになつたる富《とみ》の市《いち》!ひとしく崖《がけ》をふみはづして、あはやと見《み》るまに陷《おちい》りぬ。  白《しろ》き踵《かゝと》のちら/\と、空《そら》より雪《ゆき》の降《ふ》るかのやう、眞暗《まくら》き谷《たに》の底《そこ》へ、底《そこ》の方《かた》へ、ずん/\ずんずんずん/\と果《はて》なき深《ふか》みにおちいりゆく、秀《ひで》を見《み》るわれ堪《た》ふべきや。  續《つゞ》いて飛込《とびこ》まむと片足《かたあし》かけて、屹《き》と瞰下《みおろ》したる谷《たに》の底《そこ》より、綿《わた》の如《ごと》き白雲《しらくも》の、むら/\と渦《うづま》き出《い》で、谷《たに》一面《いちめん》にひろがり、蔓《はびこ》り、かさなりあひて、恰《あたか》も蓋《ふた》したらむ如《ごと》き奇觀《きくわん》に驚《おどろ》き、茫然《ばうぜん》として見詰《みつ》めたる、谷《たに》の半《なか》ばの雲《くも》の中《うち》に、浮《うか》みもやらず沈《しづ》みもはてで、秀《ひで》のみ一人《ひとり》漂《たゞよ》へり。  月《つき》に銀波《ぎんぱ》の輝《かゞや》く如《ごと》く、折《をり》から洩《も》れたる有明月《ありあけづき》の、絲《いと》の如《ごと》きがきら/\と、かの白雲《しらくも》をぞ照《てら》したる。  秀《ひで》のK髮《くろかみ》颯《さ》と亂《みだ》れて、《よこ》ざまに臥《ふ》したるにぞ、予《よ》は心地《こゝち》醉《よ》へるが如《ごと》く、再《ふたゝ》び足《あし》を爪立《つまだ》てき。 「新次!」  と一聲《ひとこゑ》背後《うしろ》より、妙《たへ》なる聲《こゑ》のいとC《きよ》きが、少《すこ》しく怒《いかり》を含《ふく》みて呼《よ》ぶに、胸《むね》を打《う》ちて見返《みかへ》りぬ。  茶博多《ちやはかた》の帶《おび》、胸高《むなだか》に占《し》めたまひし、亡《な》き母《はゝ》の胸《むね》のあたりのみ、わが頭《かしら》より少《すこ》しく上《うへ》に、月《つき》あかりに仄見《ほのみ》えたり。  飛縋《とびすが》りたる手《て》はそれて、それかと思《おも》ふまぼろしの、白雲《しらくも》みてる谷間《たにま》を切《き》つて、矢《や》よりも疾《はや》く一文字《いちもんじ》に、むかひの山《やま》にわたりゆき、岬《みさき》の如《ごと》き峰《みね》のはしに、一本《ひともと》高《たか》き松《まつ》の梢《こずゑ》に、斜《なゝめ》にかゝれる月《つき》の上《うへ》に、後姿《うしろすがた》の頸《うなじ》のあたりK髮《くろかみ》そよ/\と靡《なび》くと見《み》えしが、一刷《ひとはけ》淡《あは》き朝霧《あさぎり》のしら/\とばかり姿《すがた》うすれて、東雲《しのゝめ》高《たか》く消失《きえう》せたまひぬ。  とばかりありて夢《ゆめ》さめたり。胸《むね》の中《うち》安《やす》からず、秀《ひで》の身《み》の心許《こゝろもと》なさ限《かぎ》りなかりき。 [#5字下げ]柴垣《しばがき》[#「柴垣」は中見出し]  予《よ》が日※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《ひごと》、醫師《いし》の許《もと》に通《かよ》へる路《みち》は、かのK淵《くろぶち》の裏《うら》にはあらず、紫谷《むらや》が家《いへ》の表《おもて》の門《もん》を、よぎなくいつも過《よぎ》りしなり。  人《ひと》知《し》れず心《こゝろ》咎《とが》むれば、其《それ》と向《むか》ひ合《あ》ひたる家《いへ》の、裏庭《うらには》の柴垣《しばがき》の方《かた》に身《み》を寄《よ》せては、足早《あしばや》に過《す》ぐるを例《れい》としき。さりながら昨日《きのふ》一昨日《をとゝひ》、おなじ其柴垣《そのしばがき》の、とある棕櫚繩《しゆろなは》の結目《むすびめ》に如何《いか》ならむか鳥《とり》の拔毛《ぬけげ》の、一片《ひとひら》の雪《ゆき》の※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《ふち》を※[#「壥−土へん−厂」、第3水準1-15-62]《すみ》もて細《ほそ》く染《そ》めたる如《ごと》きが、風《かぜ》、雨《あめ》にも取《と》り去《さ》られでかゝりたる、おなじ處《ところ》に袂《たもと》觸《ふ》れて、われ知《し》らず立淀《たちよど》むを、心着《こゝろづ》くまゝ、人《ひと》やあるとあたりを見《み》ては、慌《あわたゞ》しうぞ立去《たちさ》りたる。  醫師《いし》は紫谷《むらや》のならびにて、一|町《ちやう》ばかり隔《へだた》りたる曲角《まがりかど》の邸《やしき》なり。  十日目《とをかめ》の朝《あさ》なりけむ。近《ちか》きあたりの病家《びやうか》より、迎《むか》ふるまゝ出《いで》たりとて、先生《せんせい》は留守《るす》なりといふ。 「別《べつ》に診《み》て頂《いたゞ》かなくても、かはつたことはございません。お藥《くすり》だけ頂《いたゞ》きませう。」  と傍《かたはら》に置《お》きたる、水藥《すゐやく》の瓶《びん》を取《と》り、藥局《やくきよく》の卓《つくゑ》に出《いだ》さむとして、ふと見《み》れば違《ちが》うたり。おなじほどに見《み》えたるが、予《よ》が量《りやう》よりも小《ちひ》さき瓶《びん》に、紫谷氏《むらやし》令息《れいそく》新三郎君《しんざぶろうくん》とぞ書《か》いたりける。 「あゝ。」  藥局《やくきよく》の書生《しよせい》はむかうより覗《のぞ》き見《み》て、 「そりや、何《なん》です。このさきの紫谷《むらや》の兒樣《おこさん》なんで、お名《な》がちよいと似《に》てますから。」  といひかけて打笑《うちゑ》みたり。  恁《かく》は誰《た》が名《な》づけしぞ。秀《ひで》の子《こ》の頭字《かしらじ》は予《よ》とおなじ。予《よ》とおなじ。と思《おも》ひしが、みつめてしばらく放《はな》ち得《え》ざりき。 「病氣《びやうき》ですか。何《なに》、藥《くすり》を取《と》りに來《く》れば病氣《びやうき》に違《ちが》つたことはないけど。」  と予《よ》は故《わざ》と微笑《ほゝゑ》みぬ。  藥局生《やくきよくせい》は何氣《なにげ》なく、 「しかし、そのお子《こ》はもうよくなりました。いまお不快《わるい》のは御新姐樣《ごしんぞさん》で、實《じつ》は先生《せんせい》も紫谷《むらや》へ參《まゐ》つたんです。」  歸途《かへるさ》にもまた知《し》らず/\柴垣《しばがき》に寄添《よりそ》ひて、紫谷《むらや》の門《かど》を見《み》たる時《とき》、予《よ》は更《さら》に懸念《けねん》なきこと能《あた》はず。  さらぬだに去《いに》し夜《よ》の、不快《ふくわい》なる夢《ゆめ》もあるを、秀《ひで》が身《み》に疾病《やまひ》ありとは。奧深《おくふか》き家《いへ》の勝手《かつて》の方《かた》に下婢《はした》どもの語《かた》るらむ、婦人《をんな》の聲《こゑ》もれ聞《きこ》ゆる。門《かど》には二|頭《とう》の荷駄馬《にだうま》あり。近山《ちかやま》より薪《まき》、炭《すみ》など持運《もちはこ》ぶものなるが、悠々《いう/\》と秣《まぐさ》食《く》ひ居《を》れる、草《くさ》どもあちこち取亂《とりみだ》せし門邊《かどべ》に風《かぜ》もあらざるにぞ、心《こゝろ》少《すこ》しく安《やす》んじたり。  おのが病氣《やまひ》に思《おも》ひ至《いた》りて、手《て》にせる藥瓶《くすりびん》に心着《こゝろづ》けば、予《よ》が名《な》を署《しよ》したるレツテルの、むかうざまに、紫谷《むらや》の門《もん》に向《む》きたるにぞ、はツとばかりに袖《そで》以《も》て蔽《おほ》ひぬ。  日※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《ひごと》おなじ時《とき》、おなじ處《ところ》を過《すぐ》る身《み》の、いつとなく家内《かない》の目《め》に留《とま》りて、遠目《とほめ》にも予《よ》が名《な》を知《し》られむかと、門前《もんぜん》を通《とほ》るには、必《かなら》ず瓶《びん》を蔽《おほ》い隱《かく》して、予《よ》が名《な》のうはさされざるやう、上杉《うへすぎ》という言《こと》の、一言《ひとこと》も秀《ひで》の耳《みゝ》に入《い》らざるやう、はた秀《ひで》をして思《おも》ひ起《おこ》さざらしめむと勉《つと》めたる、心《こゝろ》づかひを人《ひと》知《し》るや。 [#5字下げ]几帳《きちやう》[#「几帳」は中見出し]  前年《ぜんねん》深水《ふかみ》の店《みせ》に居《ゐ》たる友吉《ともきち》の、家《いへ》を持《も》ちて、おなじ時計店《とけいてん》を開《ひら》きたるに、一日《あるひ》通懸《とほりがか》りの予《よ》は期《き》せずして呼込《よびこ》まれぬ。  打出《うちい》でては醫師《いし》にも聞《き》きづらかりし秀《ひで》の容體《ようだい》は、今《いま》もより/\紫谷《むらや》に出入《でいり》をすなる、渠《かれ》の口《くち》より語《かた》られき。 「新《しん》ちやん、さあ、まただ、もう、いまぢや何處《どこ》か大人《おとな》ぶつて、斯《か》う見《み》てると、いやにお澄《すま》しで、つらが※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》い。ほい惡氣《わるぎ》でなし、ほんとのことでさ。新《しん》ちやんといふ柄《がら》ぢやおあんなさらないけれど、まあ、御免《ごめん》蒙《かうむ》つて、いひ馴《な》れた處《ところ》でやつときませう。新《しん》ちやん、こゝで、あいよ、といつて下《くだ》さらないと調子《てうし》が惡《わる》いな。はゝゝゝ、笑《わら》ひごつちやありません。ほんに私等《わつしら》も、ない/\心配《しんぱい》して居《ゐ》ますがね。困《こま》つたもんです。ぶら/\やまひで、何《なん》とも方《はう》がつかないので、お醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いしや》もかたがつて居《ゐ》るんださうで。  如彼《あゝ》弱々《よわ/\》しくお見《み》えなすつても、あれで、どうして御氣象《ごきしやう》もんでおいでなさるから、どんなに氣《き》むづかしくつても、鬢《びん》の毛《け》一筋《ひとすぢ》ぶらさげておいでなさらうぢやなし、まだ深水《おさと》の時分《じぶん》は、あれでもあどけなくツて在《い》らつしつたんだけれど、むかうへお輿入《こしいれ》れのあつたあとは、ちやんとしまつて、高《たか》い聲《こゑ》でお笑《わら》ひも出《で》ないばかり、其《そ》の癖《くせ》ちつとも澄《すま》さないで、今《いま》でも私《わつし》が伺《うかゞ》ひに出《で》りや、友《とも》さんかえ、といふお聲懸《こゑがかり》。  始終《しじう》笑顏《ゑがほ》で在《い》らつしやるつて、彼處《あすこ》の女中衆《をなごしう》もいつてます。何時《いつ》も奧樣《おくさま》の不機嫌《ふきげん》な顏《かほ》つては見《み》たことはありませんて。其《それ》で、ちやんとおもしが利《き》いて、支店《してん》、本店《ほんてん》、何十人《なんじふにん》といふ奉公人《ほうこうにん》が奧樣《おくさま》といふ聲《こゑ》が懸《かゝ》ると、そりや居《ゐ》ずまひを直《なほ》します。一體《いつたい》がらが大《おほ》きいので、きりゝとして立《た》たせると、まつたくあたりを拂《はら》ひまさ。  其《それ》で居《ゐ》て例《れい》の通《とほ》りお優《やさ》しくツて、庭《にわ》の草取《くさとり》にだつてぞんざいな言《ことば》をお懸《か》けなさるでなし、坊《ぼつ》ちやんが小間使《こまづかひ》をお使《つか》ひなすつても、新《しん》ちやん、御苦勞《ごくらう》だつたと、さうおつしやいよ、とかういふ調子《てうし》ですもの。  だから御覽《ごらん》なさい、いつぞやも紫谷《むらや》で舊《もと》諸侯《だいみやう》のお宿《やど》をなすつた時《とき》も、其《そ》のまた御臺樣《みだいさま》がね、新《しん》ちやん、孔雀《くじやく》の土用干《どようぼし》見《み》たやうな洋服《やうふく》かなんかで、いやに反《そ》りやあがつて、柄《わうへい》なことをいつたもんなら、さあ小間使《こまづかひ》どもが、何《なん》でさ、内《うち》の奧樣《おくさま》にだつて、呼《よび》ずてにはされやしない私《わたし》たちだ。何《なん》の西洋手品《せいやうてじな》の幕《まく》ン中《なか》で風琴《ふうきん》を引張《ひつぱ》らうといふ身《み》で、生意氣《なまいき》なつて、同盟罷工《ストライキ》をやらうとした位《くらゐ》でさ。  華族《くわぞく》の奧樣《おくさま》だつて、面《めん》とむかつちや聖目《せいもく》です。紫谷《むらや》のといへば聞《きこ》えたもので、誰《だれ》だつて立停《たちどま》ります。美《うつく》しいツてことは私《わつし》のおふくろだつて知《し》つてますけれど、あの方《かた》は出《で》ぎらひな質《たち》だから、見《み》たものは餘《あんま》りないので、私《わつし》だつて何《なん》ですぜ、あ、この廣大《くわうだい》もない邸《やしき》ン中《なか》にや秀《ひで》さんが居《ゐ》るなと思《おも》ふと、何《なん》だか其《その》奧《おく》ゆかしさといふものは、几帳《きちやう》の蔭《かげ》にでも在《い》らつしやるやうな氣《き》がして、紫谷《むらや》の門《もん》の前《まへ》を通《とほ》る※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《たび》にや、懷《なつ》かしいやうな、貴《たつと》いやうな、嬉《うれ》しいやうな、泣《な》きたいやうな、え、泣《な》きたいツて、何《なん》です、たゞ譯《わけ》のわからない氣《き》がしますんですから、然《さ》ういつて見《み》たものです。  妙《めう》ぢやありませんか。人《ひと》の身分《みぶん》といふものは、もう、あの方《かた》なんざ、おうまれなさると直《す》ぐにあゝいふ果報《くわはう》が備《そな》はつて居《ゐ》たんですね。何《なん》だつて、新《しん》ちやん、お家《うち》は、アノ通《とほ》り、名所《めいしよ》の瀧《たき》がひとつ庭《にわ》にあらうといふ位《くらゐ》、姑《しうとめ》はなし、可愛《かはい》い坊《ぼつ》ちやんはおできなさる、旦那《だんな》はあの通《とほ》りのお人品《ひとがら》で、まるで坊《ぼつ》ちやんでさ。ちつとは浮氣《うはき》もなされば、お妾《めかけ》もあるけれど、何《なに》があの奧樣《おくさま》だから、妾《めかけ》の方《はう》で恐《おそ》れ入《い》つて、小《ちひ》さくなつて、とても叶《かな》はないものとあきらめて居《ゐ》るんで、旦那《だんな》に殺文句《ころしもんく》ひとつ言《い》はうでなし、あんな奧樣《おくさま》があるのにまあ旦那《だんな》はお茶人《ちやじん》ぢやないかツて、人《ひと》の前《まえ》で笑《わら》つてまさ。平氣《へいき》なもんです。  みんなが懷《なつ》いて心底《しんそこ》から大切《だいじ》にして居《ゐ》るので、氣《き》あつかひをなさらうでなし、御兩親《ごりやうしん》もお達※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《たつしや》だし、ほんとでさ。それにもうちやんとお位《くらゐ》がそなはつて、爭《あらそ》はれないもんですね。深水《おさと》においでの頃《ころ》は惡《わる》くすると背中《せなか》の一《ひと》ツぐらゐ叩《たゝ》きかねなかつた私《わつし》だけれど、今《いま》ぢや何《ど》うしてむかうではおかはりなく、友《とも》さん、とおつしやるけれど、其聲《そのこゑ》を聞《き》くと何《なん》だか冥加《みやうが》ないやうで、嬉《うれ》しいやうで、恐《おそ》れ多《おほ》いことだと思《おも》つて、おのづと俯《うつむ》いてしまひますよ。  すると、この病氣《びやうき》といふものが、錢金《ぜにかね》づくぢやいけないんで、何《なに》に不足《ふそく》のない方《かた》でも、こいつだけは仕方《しかた》がないんです。それもね、踏脱《ふみぬ》いだせゐで嚔《くさめ》をするとか、くらひ醉《よ》つて頭痛《づつう》がするとかいふんなら、まだ斷《あきら》めも着《つ》くんでさ。  妙《めう》なことをいふやうですが、新《しん》ちやん、お醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いしや》にや分《わか》らなくツても、私《わたし》なんざ知《し》つてますぜ。富《とみ》の市《いち》ね、彼《あれ》です。御病氣《ごびやうき》のもとは彼《あれ》なんで。彼奴《あいつ》あ何《なん》です、始終《しじう》何《なん》です、紫谷《むらや》へ其《そ》の、ぬつと入《はひ》つちや出《で》て來《き》ますがね、え、怪《け》しからんぢやありませんか。  一體《いつたい》さう※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]日《まいにち》々々《/\》何《なん》の用《よう》がありますものか。深水《おさと》だつて何《なん》でさ、大《たい》したお知己《ちかづき》といふんぢやなし、ほんの見知越《みしりごし》であつたばかり、其家《そこ》の娘《むすめ》さんが※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]着《えんづ》いたからつて、嫁入先《よめいりさき》へさう/\押懸《おしかけ》る奴《やつ》が何處《どこ》にあるもんです。いえ、何《なに》も私《わつし》がこゝで威張《ゐば》つたつて仕樣《しやう》のあることぢやないんですけれど、頃日《このごろ》はもう※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]日《まいにち》だ、といふから呆《あき》れるでせう。  さうかといつて、別に亂暴《らんばう》もしないものを追出《おひだ》すといふ譯《わけ》にやゆかず、物貰《ものもら》ひでもないものを巡査《じゆんさ》に引渡《ひきわた》す分《ぶん》ぢやなし、彼《あれ》でなまじつか、いゝ家《うち》の跡取《あととり》だけに、いま私《わつし》の家《うち》へやつて來《き》た處《ところ》で、矢張《やつぱり》ともかくもお客《きやく》でさ。まあ富《とみ》の市《いち》さんといふので、そりや番茶《ばんちや》でも出《だ》さなければならないといふもんです。  そこは勝手《かつて》でも氣《き》を着《つ》けてて、今日《こんにち》はお奧《おく》で少《すこ》しお取込《とりこみ》が、と恁《か》う先《ま》づやります。それでもちつとも、おかまひなし。はあ左樣《さう》ですか、といつたきり平氣《へいき》であがり込《こ》む。それでもいけないてんで、敬《けい》して何《なん》とやらいふ術《て》ださうで、番頭《ばんとう》さんのさしがねで、彼奴《あいつ》を据《す》ゑるやうにして、いや、御上使《ごじやうし》の格《かく》であつかつて、何《なん》ぞ御用《ごよう》でございましたら手前《てまへ》までさうおつしやつて遣《つか》はさりまし、といはせて見《み》ると、ニヤリと笑《わら》つて、いえ、用《よう》はありません。遊《あそ》びに……と恁《か》うでさ。  さあ、さういふものを何《なん》とも仕方《しかた》がないので、對手《あいて》にならないで引退《ひきさが》ると、誰《だれ》に談話《はなし》をしようでもなし、ぼんやりと火鉢《ひばち》の前《まへ》へ坐《すわ》つて見《み》たり、庭前《にはさき》へ立《た》つて居《ゐ》たり、襖《ふすま》の蔭《かげ》に踞《つくば》つたり。  惡《わる》くすると、秀《ひで》さんがばつたり出《で》ツくはす、其時《そのとき》は顏色《かほいろ》がおかはんなさるさうで、あゝいふ方《かた》だから目《め》に見《み》えりや、うつちやつてお置《お》きなさらず、ちとおはなしなさいましなんて、あひかはらずおつしやるさうですが、新《しん》ちやん困《こま》つたもんぢやありませんか。  はじめの内《うち》こそ、皆《みんな》が嫌《いや》な奴《やつ》だ、※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》らしい按摩《あんま》だつて、敷居《しきゐ》の上《うへ》へ煙草《たばこ》盆《ぼん》を置《お》いて躓《つまづ》かさうの、目《め》が見《み》えないから憚《はゞか》りなし箒《はうき》を立《た》てる、鹽《しほ》を撒《ま》くと、それでもまあいくらか取合《とりあ》つて居《ゐ》たさうですが、いまぢやもう女中衆《をなごしう》なんざ、氣味《きみ》を惡《わる》がつて夢《ゆめ》に見《み》て魘《うな》されるといふ化方《ばけかた》でさ。そら、瘠《やせ》ツこけて、顏色《がんしよく》の蒼《あを》いによつて如件《くだんのごとし》、といふ白痘痕《しろあばた》の、眉《まゆ》の消《き》えさうなのが、日《ひ》ましにやつれて、肩《かた》をゆすツて、鼻《はな》呼吸《いき》がふん/\。それでニヤリと來《き》た日《ひ》にや、ちいつと人間《にんげん》にしちや行過《ゆきす》ぎてます。お互《たがひ》だつて驚《おどろ》きまさあね、暮合《くれあひ》なんざ不氣味《ぶきみ》でせう。人間《にんげん》も何《なん》です、まだまあ人《ひと》の眼顏《めがほ》が見《み》えたり、差《さし》をくる内《うち》や色氣《いろけ》がありますけれども、もうあゝなつちや捨鉢《すてばち》でね、始《し》まつにおへたもんぢやアありません。  飛《と》んだ魔《ま》ものに魅込《みこ》まれなすつた、秀《ひで》さんがお可哀相《かはいさう》でさ、  いつたやうな御氣象《ごきしやう》で、別《べつ》に床《とこ》に就《つ》いて入《い》らつしやりもせず、屈託顏《くつたくがほ》もなさらないけれど、ちやんとして在《い》らつしやりや、在《い》らつしやるほど、帶《おび》のしめ工合《ぐあひ》までが、まるで切《せつ》ないのをおさへつけておいでなさる樣《やう》に見《み》えるんです。私《わつし》あ思《おも》ひますがね、まつすぐに屹《きつ》と立《た》つたものは、バツタリと倒《たふ》れるでせう、ほい、鶴龜《つるかめ》。ものの譬《たと》へでさ。案《あん》じ過《すご》すのもそんなことがあつちやならないと思《おも》ひますからのことで。  さうかといつて何處《どこ》がどうといふでもなけれど、お食《しよく》も細《ほそ》るツて風説《うはさ》[#底本では「説」は「言+兌」]だし、新《しん》ちやん、思《おも》ひなしか知《し》りませんが、何《なん》だかあの莞爾《につこり》お笑《わら》ひなさるのが、寂《さび》しくおなんなすつたやうで、情《なさけ》なくつてなりません。」  と友吉《ともきち》はいひかけて、煙管《きせる》持《も》てる手《て》の火鉢《ひばち》の上《うへ》に暗《くら》うなるに、透《すか》して予《よ》が面《おもて》を見《み》しが、 「おや、新《しん》ちやん、何《ど》うかなさりやしませんか。」 「否《いゝえ》。」  といふ時《とき》、駒下駄《こまげた》の音《おと》高《たか》く、店頭《みせさき》にカラリと止《や》む。 [#5字下げ]三日月《みかづき》[#「三日月」は中見出し]  婀娜《あだ》たる聲《こゑ》せり。 「友《とも》さん、お精《せい》が出《で》ますね。」  友吉《ともきち》は頸《うなじ》をのばして、 「よう、お部屋樣《へやさま》。」 「厭《いや》だよ、不景氣な。」 「いえね、今《いま》もさう申《まを》して居《ゐ》た處《ところ》でございますよ。何《ど》うも紫谷《むらや》のお部屋樣《へやさま》はおうつくしう在《い》らつしやるつて。」 「ふウ、」  と笑《わら》ひながら面《おもて》を背《そむ》けて、柱《はしら》に背《せな》を凭《も》たせつゝ、たそがれの空《そら》を仰《あふ》ぎ、 「おゝ、三日月樣《みかづきさま》だ。」  と呟《つぶや》きつゝ、急《きふ》に二足《ふたあし》ばかり外《おもて》へ出《い》でて、 「あ、あ、新《しん》ちやん、新《しん》ちやん。」  予《よ》は振返《ふりかへ》りぬ。 「乳母《ばあや》さん、此處《こゝ》だよ、此處《こゝ》だよ。」  と手招《てまね》きせり。乳母《うば》なるべし。容色《みめ》よき婦人《をんな》、四《よ》つばかりの愛々《あい/\》しきをさなごの手《て》をひきて、招《まね》かるゝまゝ此方《こなた》に向《むか》ひて來《き》ぬ。 「あれ、坊《ぼつ》ちやま、お銀《ぎん》さんが。」  といひかけて乳母《うば》は立停《たちどま》れり。  お銀《ぎん》といへるは、紅《くれなゐ》の褄《つま》を踞《つくば》ひて、をさなごの手《て》をおのが手《て》に持添《もちそ》へる。  友吉《ともきち》は微笑《ほゝゑ》みて、斜《なゝめ》に顏《かほ》を傾《かたむ》けたり。 「坊《ぼつ》ちやん、入《い》らつしやいまし。」  乳母《うば》は其肩《そのかた》に手《て》を懸《か》けながら、 「あい、と御挨拶《ごあいさつ》を遊《あそ》ばしましな。」  心着《こゝろづ》けられてをさなごは、 「あ。」といひながら傾《かたむ》きぬ。 「はい/\、今日《こんにち》は。」 「お利口《りこう》ですねえ。よくお覺《おぼ》え遊《あそ》ばした。」  とお銀《ぎん》は其首《そのかうべ》を撫《な》でぬ。 「こちらの兄樣《にいさん》にも、御挨拶《ごあいさつ》遊《あそ》ばせな。」  何《なに》を予《よ》に思《おも》へとや、秀《ひで》の兒《こ》を推向《おしむ》くる。愛《あい》らしき目《め》の予《よ》を瞻《みまも》りて、また其頭《そのかうべ》を下《さ》げたる時《とき》、 「あら、ちよいとあなた御覽《ごらん》遊《あそ》ばせ。」  と予《よ》を顧《かへり》みてお銀《ぎん》といへるが、あてやかにほゝ笑《ゑ》みぬ。  あはれ、予《よ》をして抱《いだ》かしめよ。予《よ》は其胸《そのむね》に額《ひたひ》を伏《ふ》して、思《おも》ひのたけを泣《な》くべきなり。  予《よ》はたゞ笑《ゑみ》を含《ふく》みしのみ、ものをもいはで頷《うなづ》きぬ。  やゝありて乳母《うば》はお銀《ぎん》にいふ。 「お湯《ゆ》ですか。」 「はあ、お前《まへ》さんは。」 「何處《どちら》へ。」  と友吉《ともきち》もまた問《と》ひたり。  乳母《うば》は其答《そのこたへ》はせで、肩越《かたごし》にをさなごの顏《かほ》を差覗《さしのぞ》き、 「坊《ぼつ》ちやん、何處《どこ》へ行《い》つて參《まゐ》りましたつけね、ね、坊《ぼつ》ちやん。」  と裏問《うらど》ひぬ。  をさなごは答《こた》へ得《え》で、いぶかしげに乳母《うば》の顏《かほ》を見《み》たり。  乳母《うば》は空《そら》を仰《あふ》ぎて三日月《みかづき》を指《ゆびさ》しながら、 「のゝ樣《さま》ね、のゝ樣《さま》。」  月《つき》は恰《あたか》もむかひの家《いへ》の土藏《くら》の屋根《やね》と、角家《かどいへ》の窓《まど》とのあひだに、すら/\とたけのびたる柳《やなぎ》の梢《こずゑ》に青《あを》くかゝれり。乳母《うば》の言《ことば》に因《よ》りて、をさなごはさとりけむ、いたいけなる掌《たなそこ》を犇《ひし》と合《あは》せて、三日月《みかづき》を打仰《うちあふ》ぎ、 「母樣《かあさん》。病氣《いた/\》、のゝ樣《さま》、あ、のゝ樣、あゝ。」  と伏拜《ふしをが》む、足許《あしもと》の覺束《おぼつか》なく、よろけては、乳母《うば》の手《て》に支《さゝ》へられ、うつくしき迷子札《まひごふだ》ゆら/\と淺葱《あさぎ》縮緬《ちりめん》の帶《おび》房《ふさ》やかに結《むす》びてさげ、また拜《をが》みて屈《かゞ》むとて、砂《すな》を掃《は》くにぞ、お銀《ぎん》は其尖《そのさき》を掲《かゝ》げ持《も》てり。人々《ひと/″\》は見《み》て目《め》を合《あは》せぬ。をさなごはなほ人《ひと》の答《いら》へざるに繰返《くりかへ》しては伏拜《ふしをが》めり。 「のゝ樣《さま》、あゝ、のゝ樣《さま》、あゝ、」  堪《こら》へずなりけむ、お銀《ぎん》は店頭《みせさき》に踞《つくば》ひたるまゝ、樣《よこさま》に膝《ひざ》に抱《いだ》きあげて、 「おゝ、いまに快《よ》くおなり遊《あそ》ばしますよ。母樣《かあさま》が御病氣《ごびやうき》で、お寂《さび》しからう、おかはいさうに。」と※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ぐむ。友吉《ともきち》は屹《き》と乳母《うば》を見《み》て、 「乳母《ばあや》さん、惡《わる》いこつちやないが、情《なさけ》ないことをヘ《をし》へるね。」  と顏《かほ》を背向《そむ》けてしばたゝきぬ。  乳母《うば》はしをれて首《かうべ》を低《た》れたり。 「はい、さうおつしやれば、なるほど私《わたし》が惡《わる》うございました。ついおもりがてらにおまゐりをしますもんですから、いつかお覺《おぼ》えあそばして……坊《ぼつ》ちやま御堪忍《ごかんにん》なさいまし。もう/\母樣《おかあさん》はすぐによくおなり遊《あそ》ばしますから、そんなこと遊《あそ》ばすんぢやございません。御氣《おき》がお鬱《ふさ》ぎ遊《あそ》ばすかして奧樣《おくさま》が輕《かる》う御《お》ものもおつしやらず。お抱《いだ》き遊《あそ》ばしてもたゞお顏《かほ》ばかり見《み》つめておいで遊《あそ》ばすので、私《わたし》でさへ心寂《こゝろさび》しいもの、坊《ぼつ》ちやまはどんなでせう。乳母《ばあ》や、母樣《おかあさん》がと蔭《かげ》でそツとおつしやると、もう/\胸《むね》が裂《さ》けるやうで。」  といひかけしが聲《こゑ》うるみき。  時《とき》に三日月《みかづき》のかげ淡《あは》く、人々《ひと/″\》のかほ仄《ほのか》になりたり。肋骨《あばらぼね》白《しろ》く血《ち》の色《いろ》のK《くろ》かりし盲人《まうじん》の俤《おもかげ》の、予《よ》が眼《まなこ》を遮《さへぎ》りしが、あれと見《み》る時《とき》柱《はしら》に消《き》えき。片膝《かたひざ》立《た》ちぬ。富《とみ》の市《いち》! [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]五之卷[#「五之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   山櫻  女淨瑠璃  なざれの歌  翡翠 [#改ページ] [#5字下げ]山櫻《やまざくら》[#「山櫻」は中見出し] 「美人《びじん》だ、そりや口《くち》でいふやうなものではない。君《きみ》なんか西洋人《せいやうじん》だといふと、一※[#「漑」の「さんずい」に代えて「木」、第3水準1-86-4]《いちがい》に何《なん》だ、棕櫚《しゆろ》の毛《け》のちゞれ髮《がみ》で、脊高《せいたか》の尖《とがり》ツ鼻《ぱな》の、團栗目《どんぐりめ》とばかり思《おも》つてるだらう。まあ、ものは試《ためし》だ、いえ、何《なに》も媒妁《なかうど》をョ《たの》まれた譯《わけ》ではないが、そりや御覽《ごらん》なさい。クラスん中《なか》の丈《たけ》の高《たか》い奴《やつ》よりや餘程《よつぽど》脊《せ》が低《ひく》くツて、ちつともをかしからず、莞爾《につこり》する處《ところ》なんざ、まるで美《うつく》しい佛樣《ほとけさま》が世話《せわ》で顯《あらは》れたといふ俤《おもかげ》があるよ。むかうの婦人《をんな》は太《ひど》く少《わか》く見《み》えるツていへば二十五六でもあらうかな、二十《はたち》位《ぐらゐ》にツきや見《み》えないけれど、それで先生《せんせい》だからいゝぢやあないか。君《きみ》むかうの婦人《をんな》は、人《ひと》なかへ出《で》て平氣《へいき》だといふが間違《まちが》ひだと思《おも》ふ。まあ間違《まちが》ひでないにした處《ところ》で、こゝはといふ豪傑《がうけつ》どもが、總勢《そうぜい》七十|何人《なんにん》といふ一《ひと》クラスだもの、可哀《かはい》さうにいつも眞赤《まつか》になつてらあな。そりや氣《き》のぼせもするだらうさ。處《ところ》がね、妙《めう》といふのは、あの人數《にんず》の皆《みんな》にじろ/\顏《かほ》を見《み》られた日《ひ》にや堪《たま》つたもんぢやないけれど、そこはまた能《よ》くしたもので。  得《え》て仰《あふ》ぎ見《み》るものなし、大分《だいぶ》皆《みんな》が俯向《うつむ》くよ。それが其《その》何《なん》なんだ、馴《な》れないせゐもあり、多人數《たにんず》なら一々《いち/\》名《な》が覺《おぼ》えられるものでもなし、それに面《めん》とむかつて殊更《ことさら》で、むかうも極《きまり》が惡《わる》いかして、其方《そつち》の方《はう》を見《み》て居《ゐ》て顏《かほ》のぶつかつたものをつかまへちや、 (貴下《あなた》。)といふので問題《もんだい》を與《あた》へるだらう。何《ど》うして分《わか》る奴《やつ》はすくないから、問《と》はれてまごつくのを恐《おそ》れ入《い》つて、いや、不殘《のこらず》傍見《わきみ》よ。  まあ來《き》て見《み》たまへ、君《きみ》、なか/\珍《ちん》さ。此間《このあひだ》も何《なん》だつた。ミリヤアドが、内《うち》から櫻《さくら》の花《はな》を持《も》つて來《き》て、時間《じかん》に出《で》て、とツつきがなかつたか、はじめの内《うち》は默《だま》つて、うつむいて、かう、兩手《りやうて》で、胸《むね》ン處《ところ》へ花《はな》をあてて、頻《しき》りに見詰《みつ》めて居《ゐ》たつけが、其《その》何《ど》うもあどけなくツて、美《うつく》しくツて、品《ひん》のいゝ趣《おもむき》ツたらなかつたもの、僕《ぼく》はじめ見《み》とれたさ。するとね、何《なん》とかいふ、熊《くま》の樣《やう》な英雄《えいゆう》が一人《ひとり》クラスに居《ゐ》る。其《それ》に其《その》目《め》がぶつかつたと見《み》えて、 (貴下《あなた》、何《なに》、此色《このいろ》は?)  とつか/\と寄《よ》つて櫻《さくら》を見《み》せてさ、そして指《ゆび》をさして問《と》うたんだ。わざ/\内《うち》から材料《ざいれう》を持《も》つて來《き》た位《くらゐ》、腹案《ふくあん》があつたらしい。答《こたへ》は英語《えいご》ですることになつてたんだが、桃色《もゝいろ》とでも、薄紅《うすくれなゐ》とでもいつて欲《ほ》しかつたものと見《み》える。それにしちやね、君《きみ》、對手《あひて》が惡《わる》いぢやないか。僕《ぼく》のやうな風雅男《みやびを》を、それ見計《みはか》らつて聞《き》けばいゝのに。  英雄《えいゆう》やゝしばし無言《むごん》で、口《くち》をむぐ/\とやつて居《ゐ》たつけ、仰山《ぎやうさん》に卓子《テエブル》をたゝいて、 (むゝ、や、やまと魂《だましひ》!)とやつた。わかるまい。  通《つう》じないので問返《とひかへ》すと、 「やまと魂《だましひ》の色《いろ》です。其《その》やまと魂《だま》……えゝ、ジヤパニイス……」  といひかけて、してやつたといふ顏《かほ》でにつこりして、 (ジヤパニイス魂《だましひ》のやうな色《いろ》です。)ツさ、秀句《しうく》だね。此人《このひと》にして此答《このこたへ》あり。英雄《えいゆう》、山櫻《やまざくら》と解《と》いたんだ君《きみ》。  ちつと見當違《けんたうちが》ひの答案《たふあん》だから、ミリヤアドは妙《めう》な顏《かほ》をして、 (いゝえ、色《いろ》です。色《いろ》のこと。)  とやり返《かへ》すと、英雄《えいゆう》居《ゐ》丈《たけ》だかになつて、 (なあ、諸君《しよくん》。)といふので、號令《がうれい》のやうな聲《こゑ》を出《だ》すと、兒分《こぶん》大勢《おほぜい》、違《ちが》ひません、そりや大和魂《やまとだましひ》、大和心《やまとごころ》です。と疊《たゝ》みかけて五六|人《にん》きそひたつていつたもんだから、そこはもう一※[#「漑」の「さんずい」に代えて「木」、第3水準1-86-4]《いちがい》に自分《じぶん》の思《おも》つてることを立通《たてとほ》して、 (いゝえ、違《ちが》ひます。) (違《ちが》ひません大和魂《やまとだましひ》!) (いけません、―大和魂《やまとだましひ》―いけません。)  ときつぱりいつて、つんとむかうを向《む》いたんだ。さあ、堪《たま》らない。國家《こくか》の干城《かんじやう》を以《もつ》て任《にん》じてる連中《れんぢう》だから、恁《か》くいはれて靜《しづ》まるものか、英雄《えいゆう》腕《うで》まくりをして、 (何《なん》だ、いけない。)  と席《せき》を立《た》つて、づいと出《で》ると、ばら/\と五六|人《にん》列《れつ》を亂《みだ》して立《た》つやつさ。」 [#5字下げ]女《をんな》淨瑠璃《じやうるり》[#「女淨瑠璃」は中見出し] 「(失敬《しつけい》な、大和魂《やまとだましひ》がいけないたあ何《なん》だ。) (詰問《きつもん》しろ/\。)  ツて、君、なぐりかねない勢《いきおひ》で詰懸《つめか》けるんだもの、ぢいツと見《み》ながらあとずさりをして入口《いりくち》の處《ところ》で推着《おしつ》けられて、 (御免《ごめん》なさい、御免《ごめん》なさい。)ツて悲《かな》しい聲《こゑ》で、君《きみ》、わびたらうではないか。  やう/\あの頭《あたま》を七分《しちぶ》三分《さんぶ》にキチンと濡《ぬ》らして分《わ》けてる色《いろ》の白《しろ》い幹事《かんじ》が來《き》て、みんなを取《とり》さへて、やう/\治《をさ》めたが、ミリヤアドがね、※[#「广+(螂−虫)」、第3水準1-84-14]下《らうか》を、君《きみ》、俯《うつむ》いて出《で》て行《い》つたぜ。  もう來《き》やしまいと思《おも》つて、僕《ぼく》なんざ、頗《すこぶ》る詰《つま》らない感情《かんじやう》を起《おこ》して居《ゐ》ると、あくる日《ひ》もあひかはらず出《で》て來《き》たが、ひどくしよげて、無用心《ぶようじん》にや、ものもいひ得《え》ない。もとからちつとふさぎ込《こ》む婦人《をんな》だつたが、それ以來《いらい》はまた格別《かくべつ》さ。けれども其故《そのせゐ》か、いつそ内氣《うちき》に、しとやかになつて、ときたま笑顏《ゑがほ》を見《み》せる時《とき》も、何《なに》かあはれみを乞《こ》ふやうに見《み》える、しをらしくなつたから、僕《ぼく》なんざ大恐悦《だいきようえつ》。  おかげさまであの學校《がくかう》は男ヘ師《だんけうし》の洋服《やうふく》の着《き》こなしなんざこつたものです。どうやら然《さ》うみんなで顏《かほ》を見《み》たり、張《は》る氣《き》だつたりするのを見《み》ると、ヘ師《けうし》とはいふものの、何《なん》だな、まるで學校《がくかう》のかんばんのやうで、煙草屋《たばこや》の寫眞《しやしん》だの、雜誌屋《ざつしや》の油繪《あぶらゑ》だのと、たいした違《ちが》ひはないけれど、ありや何《なん》だ、思《おも》ふに豐《ゆたか》でないらしい。  其證據《そのしようこ》にや、それこそ垢《あか》のついたもんなんざ、さすが着《き》ちや出《で》ないがね、もうちつとも飾《かざり》ツ氣《け》のない、一色《ひといろ》で、手袋《てぶくろ》だつて、手巾《ハンケチ》だつて、君《きみ》、木綿《もめん》ものを持《も》つてるではないか。  何時《いつ》もつツと入《はひ》つちや直《す》ぐヘ場《けうぢやう》へ出《で》て、濟《す》むとまた直《す》ぐに其ヘ員《そのけうゐん》の溜《たまり》の前《まへ》まで行《い》つて、敷居《しきゐ》も跨《また》がないで遠《とほ》くから挨拶《あいさつ》をして、其《その》まゝ出《で》て行《ゆ》く、しじううつむいてるから、しをらしいや。  それに往來《わうらい》を※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]行《ある》く時《とき》だ。他《ほか》の奴《やつ》あ、いやに反《そ》りやあがつて、見《み》てくれがしに風《かぜ》を切《き》つて通《とほ》るといふもんだけれど、其《それ》は全《まつた》くだ、實《じつ》にひかへめで、傍見《わきみ》もしないでさつさと歸《かへ》る、何《なに》か恁《か》う、はにかんででも居《ゐ》るやうで、服裝《みなり》が惡《わる》いせゐとでもいふのかな。おなじ國《くに》の※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《もの》にでも顏《かほ》を見《み》られるのが厭《いや》な樣子《やうす》さ。  何《ど》うしたといふんだらう。何《なん》でもあんまり、人《ひと》づきあひをしないのに違《ちが》ひはない、一本《いつぽん》だちでひどく心細《こゝろぼそ》いといつた樣子《やうす》だ。  僕《ぼく》なんざ、大《おほい》に同情《どうじやう》を表《へう》する一人《いちにん》さ。つい此間《このあひだ》も何《なに》ね、あまりゆかしい氣《き》がしたんで、門口《かどぐち》でちやうどあつた時《とき》、 (會堂《くわいだう》はどちらです。)ツて問《と》うたよ。考《かんが》へた、だしぬけにお宅《たく》はともいへないやね、さうするとあのちよいと顏《かほ》を赤《あか》くして、うつくしい前齒《まへば》を少《すこ》し見《み》せて笑《わら》つたね、おい、聞《き》いてるかい。」 「聞《き》いてるよ、何《なん》だ、遠《とほ》まはしに妙《めう》な處《ところ》へ持《も》つて來《き》たぢやあないか。」 「いえ、惡氣《わるぎ》なし、聞《き》き給《たま》へ。さうすると、其《その》何《なに》かいつたが英語《えいご》だからわからなかつた。が、澄《すま》して(いえす)と答《こた》へたさ。」[#この「」」は底本では「)」] 「度胸《どきよう》のいゝもんだ。(氣障《きざ》だよ、此人《このひと》は)とでもいやしないか。」 「大《おほ》きにさ。」 「そこで御本人《ごほんにん》(いえす)と答《こた》へたはいゝ。」 「昨今《さくこん》だからね。はゝゝゝ、けれども、くはしく番地《ばんち》をいつたよ。で、其家《そのうち》は前《まへ》で覗《のぞ》いたばかりだが、ちつとも會堂《くわいだう》らしくはない、柴垣《しばがき》の木戸《きど》附《つき》で、すぐ※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]側《えんがは》が見《み》えようといふ、まづな四室《よま》ばかりの一軒家《いつけんや》だ。門《かど》に古《ふる》い名札《なふだ》の引《ひつ》ぺがしたあとがあつてさ、其《その》わきに假名《かな》で、ミリヤアドとばかり、窓《まど》かけも何《なん》にも見《み》えない。鉢木《はちのき》が三《みつ》つばかり※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《えん》さきにあつて、すかすときものがかけてある。女《をんな》住居《ずまひ》と見《み》える。婆《ばあ》さんが庭《には》を掃《は》いて居《ゐ》たつけ。間違《まちが》へてうちをヘ《をし》へたんだけれど、別《べつ》にそれが※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]《えん》にもならず、見《み》たばかりで歸《かへ》つたが、君《きみ》いゝぜ。美人《びじん》だといふに、まあ來《き》て見給《みたま》へ、授業料《じゆげふれう》は女《をんな》義太夫《ぎだいふ》へ十日《とをか》ばかり行《ゆ》く分《ぶん》だ、安《やす》いものさ。」  と壁越《かべごし》に人《ひと》憚《はゞか》らぬ高談話《たかばなし》、新次《しんじ》こゝにあるを知《し》らでや語《かた》る。 [#5字下げ]なざれの歌《うた》[#「なざれの歌」は中見出し]  時間《じかん》は適宜《てきぎ》なり。東京《とうきやう》の繪入《ゑいり》新聞《しんぶん》二種《ふたくさ》ばかり讀《よ》み聞《き》かせたまはむには、其報酬《そのはうしう》といふをもて、月々《つき/″\》の費《つひえ》を給《きふ》すべしと、ミリヤアドのいふまゝに、當時《たうじ》渠《かれ》が住《すま》ひたる麻布《あざぶ》の最寄《もより》に下宿《げしゆく》して、日※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《ひごと》其許《そのもと》に通《かよ》ひたり。  上京《じやうきやう》せし後《のち》、ミリヤアドに逢《あ》ひたるは、はじめて都《みやこ》を見《み》たる年《とし》の冬《ふゆ》、クリスマスの夜《よる》なりき。  外國《ぐわいこく》の婦人《ふじん》の名《な》だかくうつくしきが、洋琴《オルガン》を奏《かな》でて、わが(なざれの歌《うた》)を唄《うた》ふ番組《ばんぐみ》あり。來《きた》り見《み》よ、と其折《そのをり》から、予《よ》が學資《がくし》を補助《ほじよ》したる林《はやし》なにがしの男《だん》に、|ゝ山子《ちゆざんし》[#「ちゆ」は「丶」であるが、底本のままにした。以降同様。]といふ人《ひと》、予《よ》を誘《さそ》ひたれば行《ゆ》きぬ。  をさなきものの聖書《せいしよ》の諳誦《あんしよう》、會話《くわいわ》など二《ふた》ツ三《み》ツ濟《す》みし後《のち》、洋行《やうかう》がへりの紳士《しんし》がなせし感話《かんわ》といふもの、あまり長《なが》かりしかば、予《よ》は暖《あたゝ》かき暖爐《ストオブ》の傍《そば》をば離《はな》れて、入口《いりくち》の右手《みぎて》に番人《ばんにん》が住《す》める一室《ひとま》に入《い》りたり。皆《みな》一堂《いちだう》に會《くわい》しつゝ、其夜《そのよ》の興象《きようしやう》たけなはなる頃《ころ》なりしかば、室《しつ》の片隅《かたすみ》に煤《すゝ》けたる笠《かさ》被《き》せし二分《にぶ》しんの釣《つり》らんぷのかゝれるのみ。火鉢《ひばち》の火《ひ》も消々《きえ/″\》なりしを、辛《から》うじて莨《たばこ》につけて、つめたき風《かぜ》心地《こゝち》よくつゞけさまにくゆらせし、煙《けぶり》の形《かたち》おもしろく、むら/\と低《ひく》くなびきて、むかうざまに立《た》ちわたる、襖《ふすま》のかげの、うすぐらき柱《はしら》のなかより、髮《かみ》、容《かたち》、あざやかに、うすく化粧《けは》うたる女《をんな》の十七八と覺《おぼ》しきが、徐《おもむろ》に出《い》でてわが方《かた》に進《すゝ》み寄《よ》りぬ。 「御免《ごめん》遊《あそ》ばせ。」  思《おも》ひ懸《が》けず、予《よ》はすかし見《み》たり。 「あの……誠《まこと》に申《まをし》かねましたが、外國人《ぐわいこくじん》だものですから、それに何《なん》でございます、あつちは大勢《おほぜい》で、頭痛《づつう》がしてなりませんさうで、少《すこ》しばかり休《やす》まして居《を》りますので、飛《と》んだわがまゝな、申譯《まをしわけ》もないことですけれど、何卒《どうぞ》あしからず、大《たい》そうあの、何《なに》を、嫌《いや》がるんでございます。もう推《お》しつけがましい、申《まを》しかねますんですが、お煙草《たばこ》を、あのちよいと堪忍《かんにん》なすつて、いえ!もう此室《こゝ》はかまひません、何誰《どなた》でも御自由《ごじいう》にめしあがります。奈《ど》ういたして咎立《とがめだ》てをいたすなんて、あなた、飛《と》んでもない、奈《ど》ういたしまして。さつきからちよい/\こゝへお入《はひ》りなさつちや、皆《みな》さんがめしあがりますが、何《なん》とも申《まを》しはしませんけれど、あんまりお氣毒《きのどく》で私《わたくし》が差出《さしで》がましくおョ《たの》み申《まを》すのでございます。皆《みな》さんは二三人《にさんにん》づれでお入《はひ》り遊《あそ》ばすので、私《わたくし》も極《きま》りが惡《わる》くつて申《まを》されませんで、其《その》まんまで見《み》てましたつけが、ついお年《とし》もお少《わか》し、お一人《ひとり》だもんですからまあ申上《まをしあ》げて見《み》ようと存《ぞん》じまして、つい、お肯《き》き下《くだ》さいまして何《ど》うもありがたう存《ぞん》じます。飛《と》んだ地獄《ぢごく》ですこと、おほゝ。」とばかり立《たち》あがるを、予《よ》はたゞ默《もく》してうなづきたり。  女《をんな》は其《そ》のまゝ彼方《かなた》に行《ゆ》きぬ。すかし見《み》れば灯《ともし》の光《ひかり》のいたらぬ隈《くま》に、いま一人《いちにん》俯向《うつむ》きて人《ひと》立《た》てりし、と見《み》るとき其《その》もの※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]《ほ》を運《はこ》びて、上靴《うはぐつ》の音《おと》なづるやうに近《ちか》づきながら、 「すみません。」  と正《たゞ》しくいひたり。思《おも》はず立《た》ちて、 「ミリヤアド!」  とばかり進《すゝ》み寄《よ》りぬ。ミリヤアドは一足《ひとあし》すさりて、ぢつと此方《こなた》を見詰《みつ》めにき。  しばしありて、來《き》て、うつくしき手《て》をのべつ。  予《よ》が指《ゆび》はわなゝきぬ。あはれ此《この》上手《じやうず》のかなづるよ。|ゝ山子《ちゆざんし》の「なざれの歌《うた》」には過《す》ぎたり。 [#5字下げ]翡翠《ひすゐ》[#「翡翠」は中見出し]  ミリヤアドは深《ふか》くもの思《おも》ふ目《め》に此方《こなた》を見《み》て、眉宇《びう》の間《あひだ》に心《こゝろ》を籠《こ》めつゝ、 「何故《なぜ》……」  と早《は》や詰《なじ》り出《い》でたり。頓《とみ》に應《おう》ぜむすべあらで、しばらく顏《かほ》を見合《みあ》へる折《をり》しも、ハタ/\と手《て》を拍《う》つ音《おと》。紳士《しんし》が感話《かんわ》果《は》てつと思《おも》ふに、忽《たちま》ち戸《と》の外《そと》にあわたゞしき跫音《あしおと》して、|ゝ山子《ちゆざんし》は急《いそ》ぎ來《き》て、 「それでは唯今《たゞいま》、ちやうど人《ひと》も揃《そろ》ひました。君《きみ》來《き》たまへ。ミリヤアドお早《はや》く。」  と何《なに》かしきりに急《せ》き居《を》れり。  ミリヤアドは無言《むごん》なりしが、そのまゝ手袋《てぶくろ》を脱《ぬ》ぎて打揃《うちそろ》へ、衣兜《かくし》にいれて立直《たちなほ》りぬ。  傍《かたはら》より、 「唯今《たゞいま》。」 「來《き》たまへ、君《きみ》。」  といひあへず、|ゝ山子《ちゆざんし》はいそ/\として出《で》て行《ゆ》きぬ。ミリヤアドの予《よ》を見返《みかへ》るを、女《をんな》は互《たがひ》に顏《かほ》を見《み》て、 「まあ、あとでおゆつくりおはなしなさいまし、待《ま》つてるでせう、あなた。」  うなづくと、やがて出《い》でて、あまたの來客《らいかく》と女學生《ぢよがくせい》の多人數《たにんず》が二《ふた》ならび椅子《いす》にかゝれるなかを、肅然《しゆくぜん》として《よこ》ぎりぬ。其《そ》の《よこ》ぎる時《とき》、わきめもふらで、さら/\とさばくとて、右《みぎ》に、左《ひだり》にひだうつ裳《もすそ》の、泥《どろ》まみれなる人《ひと》の靴《くつ》さきに觸《ふ》るゝもいとはで、たをやかなる身《み》をやゝ《よこ》さまに、せまき人《ひと》なかをすりぬけつゝ、祭壇《さいだん》の傍《かたはら》に据《す》ゑたりける洋琴《オルガン》に打《うち》むかふより、直《たゞち》にうたひはじめたり。  衆《ひと》はみな耳《みゝ》を澄《すま》せり。  |ゝ山子《ちゆざんし》がてら/\とぬれ色《いろ》見《み》せし天窓《あたま》の髮《かみ》、ていねいに撫附《なでつ》けたるが、音調《おんてう》の一抑一揚《いちよくいちやう》、光澤《くわうたく》をおびて、七分三分《しちぶさんぶ》にあなたこなたに動《うご》いて見《み》ゆ。  曲《きよく》は讚美歌《さんびか》、九十《くじふ》の譜《ふ》、歌《うた》こそは星月夜《ほしづきよ》の、ナザレに於《お》ける羊《ひつじ》かひを七五《しちご》の調《てう》にてうたひしものなれ。予《よ》はしば/\|ゝ山子《ちゆざんし》の口《くち》より讀《よみ》きかされ、其拙《そのつた》なさをば諳《そらん》じたり。  ミリヤアドが聲《こゑ》のCらかなると、あまりに其《その》しらべの妙《たへ》なるとに、予《よ》は人《ひと》ごとのそれながら、うら恥《はづ》かしくもまたあはれなるに、全《まつた》くは聞《き》くに堪《た》へず、歌《うた》はいまだ半《なか》ばなるに、座《ざ》を立《た》ちて、再《ふたゝ》び番人《ばんにん》の室《しつ》に忍《しの》び入《い》りぬ。  耳《みゝ》は蔽《おほ》ひたれど、聲《こゑ》の透《とほ》れば、なほさわやかにぞきこえる。かなではてつ。喝采《かつさい》の聲《こゑ》哄《どつ》と起《おこ》りて、かなたには鳴《な》りもやまざるに、ミリヤアドのいたくつかれし姿《すがた》は、疾《と》く戸口《とぐち》に歸《かへ》り來《きた》れり。女《むすめ》はハタとあとをば鎖《とざ》しぬ。 「まあ、ようございました。」  ミリヤアドはといきをつきて、衣兜《かくし》より手袋《てぶくろ》を取出《とりいだ》し片手《かたて》をはめながら予《よ》を見《み》たり。  予《よ》はそのつかれしさま見《み》ゆるが悲《かな》しかりき。慰《なぐさ》めんとて微笑《ほゝゑ》みて、 「あんな長《なが》いのを、よく覺《おぼ》えました。」 「えゝ、二月《ふたつき》かゝりました、私《わたくし》頭痛《づつう》がして、氣分《きぶん》が惡《わる》い。よく覺《おぼ》えられませんで、ことわつたの。けれども|※[#「示+申」、第3水準1-89-28]樣《かみさま》につかへる務《つとめ》だといつて、堪忍《かんにん》しません。私《わたくし》どうしても覺《おぼ》えられないで、あやまりましたけれども肯《き》きません。何《ど》うしてもうたはなければなりません。頭痛《づつう》がしました、酷《ひど》うございました。あたまが重《おも》くツて起《お》きられない。無理《むり》に勉強《べんきやう》して覺《おぼ》えました。上杉《うへすぎ》さん、恥《はづ》かしい、あなたは覺《おぼ》えがよくなつたでせう。」  と、しみ/″\といひてまたといきせり。  予《よ》はおもはず憤然《ふんぜん》として、 「あんな、つまらないものを。」 「え。」 「何《なん》です!子守唄《こもりうた》にもなりやしない。」  いひ放《はな》てる胸《むね》はすが/\しくなりぬ。  女《をんな》は《よこ》をむきて手《て》を其面《そのおもて》にあてたり。  ミリヤアドは目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて、さわがしきかなたをキツと見《み》たるが、ぴりゝと手袋《てぶくろ》を裂《さ》いてすてて、 「私は洋琴《オルガン》を十年《じふねん》。」  とて身《み》をふるはして忍《しの》び泣《な》きぬ。  やがて端然《たんぜん》として姿《すがた》を正《たゞ》して、 「歸《かへ》りませう。一所《いつしよ》に、直《す》ぐ、上杉《うへすぎ》さん。こんな、こんなヘ會《けうくわい》、私《わたくし》は最初《さいしよ》から嫌《いや》だつたの、日本《につぽん》のおともだちがみんな勸《すゝ》めます。きかないと、もうともだちでないといひますから、寂《さび》しいから參《まゐ》りました。あんな歌《うた》、それでもみんな立派《りつぱ》な歌《うた》だといつてだましました。口惜《くや》しいこと、そんなものにあはせるため音樂《おんがく》は習《なら》はないのを、みんなで、私《わたくし》をなぶつたの。まづい歌《うた》、惡《わる》い人《ひと》、もう友達《ともだち》になつていりません、高津《たかつ》さん。」  と女《むすめ》を見《み》て、 「おいで!歸《かへ》りませう、上杉《うへすぎ》さん、さ。」  と風采《ふうさい》凛《りん》として、氣色《けしき》ばみたる面《おもて》けだかう、戸《と》を出《い》づると入《い》り違《ちが》ひに、|ゝ山子《ちゆざんし》はものをかゝへて、であひがしら、うれしげに立迎《たちむか》へ、 「よく、忘れないで。結構《けつこう》、※[#「貝+曾」、第3水準1-92-29]物《おくりもの》をみんなに分《わ》けました。貴女《あなた》の分《ぶん》、番《つがひ》です。はゝゝゝ、うつくしうございますな、誰《だれ》が※[#「貝+曾」、第3水準1-92-29]《おく》りましたか知《し》らん。」  と上機嫌《じやうきげん》の笑《わら》ひ高《たか》く、一雙《いつさう》の翡翠《ひすゐ》の※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]製《はくせい》なるを、見《み》よがしに、ミリヤアドの胸《むね》のあたりに差寄《さしよ》せて、 「ね、翡翠《ひすゐ》、翡翠《ひすゐ》の※[#「貝+曾」、第3水準1-92-29]物《おくりもの》。」  といふ聲《こゑ》やまず。ミリヤアドはおもてを赤《あか》めて、手強《てづよ》く拂《はら》ひ退《の》けたれば、渡《わた》さむとして手《て》の弛《ゆる》める、籠《かご》はハタと床《ゆか》に落《お》ちぬ。  翡翠《ひすゐ》の位置《ゐち》も|ゝ山子《ちゆざんし》の顏色《かほいろ》も、滿場《まんぢやう》の光景《くわうけい》も、ミリヤアドがひやゝかに戸《と》を出《い》づる時《とき》みな變《かは》れり。變《かは》らざるはたゞ電燈《でんとう》の光《ひかり》と、つやゝかなる|ゝ山子《ちゆざんし》が天窓《あたま》の髮《かみ》の分《わ》けめとのみ、相《あひ》てらして依然《いぜん》たりき。  少年《せうねん》の情《じやう》の激《げき》したる、何《なん》の考《かんが》ふることもなく、|ゝ山子《ちゆざんし》をば見《み》も返《かへ》らで、予《よ》は直《たゞ》ちにともなはれて、ミリヤアドの家《いへ》にゆきぬ。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]六之卷[#「六之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   卯月朔日  みなし兒  袖の雨  母上  坂の下 [#改ページ] [#5字下げ]卯月《うづき》朔日《ついたち》[#「卯月朔日」は中見出し]  ミリヤアドが學院《がくゐん》に於《お》ける境遇《きやうぐう》の、聞《き》くが如《ごと》きものならむには、予《よ》はあまり不遠慮《ぶゑんりよ》過《す》ぎたり。渠《かれ》にヘ《をしへ》を受《う》くるものは、皆《みな》予《よ》がミリヤアドに對《たい》するとおなじものぞと、思《おも》ひしは誤謬《あやまり》なりき。さることとも知《し》らざれば、今朝《けさ》も新聞《しんぶん》讀《よ》まむとて行《ゆ》きたる時《とき》も、ミリヤアドはなほ臥床《ふしど》にありて心地《こゝち》あしとて起《お》きざるよし、高津《たかつ》のいひたるが、またわがまゝの起《おこ》りしよとのみ、心《こゝろ》にも留《と》めで一室《ひとま》なる額《がく》の繪《ゑ》など見《み》まはしなどす。ふと思《おも》ひあたりたるは、其日《そのひ》の卯月《うづき》朔日《ついたち》なりしことなりけり。大方《おほかた》の人《ひと》は知《し》りてやあらむ、(えぷりる、ふうる)の當日《たうじつ》なるを。よきこと思《おも》ひ出《い》でたり。懷《なつか》しきミリヤアドに、いでわれ心《こゝろ》ばかりのもてなしをせばやと思《おも》ひぬ。 「まだ何《ど》うもお寒《さむ》いぢやございませんか、上杉《うへすぎ》さん。」  高津《たかつ》はかく聲《こゑ》をかけて、ミリヤアドが臥床《ふしど》に行《ゆ》く。手《て》にせる珈琲《コオヒイ》茶碗《ぢやわん》には、※[#「さんずい+慍のつくり」、第3水準1-86-92]《あたゝか》き牛乳《ミルク》を入《い》れたり。戸《と》も襖《ふすま》も冷《ひやゝ》かなる朝凪《あさなぎ》に濃《こまや》かなる湯氣《ゆげ》の立《た》てるが見《み》ゆ。 「ちよいと、牛乳《ミルク》かい。」 「はあ、何《ど》うしたの。」 「まあ少《すこ》し待《ま》つて御覽《ごらん》、僕《ぼく》がね、今《いま》好《い》い事《こと》をするから、ちよいと、今朝《けさ》米《こめ》を磨《と》いだんでせう。」 「磨《と》ぎましたよ。」  と顏《かほ》を見《み》る。 「あつてくれりや可《い》いが、氣《き》なしだから棄《す》ててしまつたでせう、あのね。」 「はあ。」 「磨水《とぎじる》はありませんか、米《こめ》の、何《なに》、少《すこ》しでいゝけれど。」 「へい、何《なに》になさるの。」 「何《なん》でもさ、少《すこ》うしありや可《い》いがなあ。」 「見《み》ませう、待《ま》つて頂戴《ちやうだい》。まあ、牛乳《ちゝ》をあげてから。」  と行懸《ゆきかゝ》る、前途《ゆくて》を塞《ふさ》ぎて微笑《ほゝゑ》みつゝ、 「それを飮《の》ましツちまつちや仕《し》やうがないや、耳《みゝ》をお貸《か》し、ね、可《い》いでせう。」  高津《たかつ》は目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて一足《ひとあし》すさり、 「まあ、そんなことを。」 「可《い》いからさ。何《なに》他《ほか》の日《ひ》ぢやなし、今日《けふ》のことだもの構《かま》ふもんか。」 「それでも何《なん》ですよ、頃日《このごろ》は大抵《たいてい》、何《なに》や、彼《か》や、苦勞《くらう》をして居《ゐ》なさるんですから惡《わる》うございませう。眞個《ほんと》にさ、そこどころぢやあございませんわね。」 「そんな陰氣《いんき》なことばかしいつておいでだから不可《いけない》んだ。一番《ひとつ》笑《わら》はうのに、可《い》いぢやないかね。」  高津《たかつ》は少《すこ》考《かんが》へたり。 「それも然《さ》うですね。新《しん》さんなら可《よ》うございませう。惡《わる》く取《と》つたつて、腹《はら》は立《た》てもしますまい、では。」 「あのね、よく沸《わ》かさなくツちや、身體《からだ》に惡《わる》いと大變《たいへん》だよ。」 「は、可《よ》うござんす。」  牛乳《ミルク》持《も》ちたるまゝ高津《たかつ》は勝手《かつて》にゆきぬ。予《よ》は見送《みおく》りてひとり笑壺《ゑつぼ》に入《い》りたり。  良《やゝ》ありて予《よ》があつらへを齎《もた》らしたれば、先《ま》づなめて鹽※[#「木+誨のつくり」、第3水準1-85-69]《あんばい》を試《こゝろ》むるに、鹽《しほ》を少《すこ》し加《くは》へしなど、其《その》不味《ふみ》いはむ方《かた》なきに、思《おも》はず打顰《うちひそ》みたる予《よ》が顏《かほ》を見《み》て、高津《たかつ》はまた更《さら》にきづかひぬ。 「餘《あんま》りですわ、まあ止《よ》しませうぢやアありませんか。」 「可《い》いよ、可《い》いよ、そつとおし、早《はや》くさ。」  と無理《むり》に推遣《おしや》りて其《その》臥床《ふしど》に入《い》るを見《み》るよりはやく、あとを追《お》ひ行《ゆ》き外《おもて》に立《た》ちて、襖《ふすま》に耳《みゝ》をあてて聞《き》きぬ。  寢返《ねがへ》る氣勢《けはひ》す。 「然《さ》う、上杉《うへすぎ》さんが煮《に》てくれて。」  といふはミリヤアドなり。わが胸《むね》はさすがに轟《とゞろ》きぬ。 「あれ。」と呼《さけ》びて高津《たかつ》の走《はし》り退《の》く音《おと》したれば、予《よ》は慌《あわたゞ》しく遁《に》げぬ。ミリヤアドには首尾《しゆび》よく米《こめ》の磨水《とぎみづ》を飮《の》ましおほせき。  門口《かどぐち》に出《い》づるひまなくて、庭下駄《にはげた》を引懸《ひつか》けざま、背戸《せど》の戸《と》をあくる時《とき》、寢覺《ねざめ》の顏《かほ》にやつれの見《み》えて、髮《かみ》少《すこ》し亂《みだ》れたるミリヤアドの、身《み》にはゆるやかに夜《よる》の衣《もの》まとひたるが走《はし》り來《き》て、※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]側《えんがは》に出《い》でたるが、はれがましき日向《ひなた》の庭《には》には下《お》り立《た》ちあへず、莞爾《につこ》と笑《わら》ひ、予《よ》が名《な》を呼《よ》びたる、口惜《くちを》しき※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》見《み》えき。 「御機嫌《ごきげん》よう。」  といひすてて其《その》まゝ歸《かへ》りぬ。 [#5字下げ]みなし兒《ご》[#「みなし兒」は中見出し]  人《ひと》の風説《うはさ》聞《き》きたれば、予《よ》は其夜《そのよ》ミリヤアドが家《いへ》に行《ゆ》く道《みち》を、しを/\として通《とほ》りぬ。かくのごとくなりしことは未《いま》だ一度《ひとたび》もあらざりしを。幾度《いくたび》も繰返《くりかへ》して、予《よ》はあまり無遠慮《ぶゑんりよ》なりし、と心咎《こゝろとがめ》したればなり。  まだ宵《よひ》なれば、門《かど》は鎖《とざ》さず。跫音《あしおと》も忍《しの》ばれつゝ勢《いきおひ》なく進《すゝ》み入《い》る、其框《そのかまち》の戸《と》はなかば閉《とざ》されたり。さうなくは上《あが》りも得《え》やらで、しばし彳《たゝず》み、差覗《さしのぞ》くに、今朝《けさ》われ庭口《にはぐち》より遁《に》げ歸《かへ》りたれば、庭下駄《にはげた》を穿《は》きて、こゝに忘《わす》れおきしその穿《は》きものは正《たゞ》しく向《むき》をかへて揃《そろ》へて直《なほ》されたり。見《み》るよりふと予《よ》を待《ま》ちつゝあるかの感《かん》起《おこ》りぬ。  急《いそが》しく呼《よ》びぬ。されど低聲《こごゑ》にて、 「高津《たかつ》さん、高津《たかつ》さん。」 「はい。」  といふ聲《こゑ》耳許《みゝもと》に聞《きこ》え、ぱツとさす燭《ともし》の影《かげ》に紅《くれなゐ》なる色《いろ》こそ見《み》えたれ。しと/\とある緋縮緬《ひぢりめん》の長襦袢《ながじゆばん》のみ引絡《ひきまと》へる、胸高《むなだか》に扱帶《しごき》をわがねて、ゆるやかに結《むす》びさげ、燭《ともし》をかゝげたる、白《しろ》くC《きよ》げなる腕《かひな》あらはに、※[#「ころもへん+各」、第4水準2-88-15]《わきあけ》をもれたる膚《はだ》の色《いろ》雪《ゆき》を欺《あざむ》くに、燃立《もえた》つばかりなる紅《くれなゐ》の照《て》り添《そ》ひて、※[#「女+島」の「山」に代えて「衣」、U+5B1D、451-11]嫋《なよやか》に立《た》つたる姿《すがた》、けやけくあざやかなる美《うつく》しきもののふるまひに面《おもて》をうたれ、予《よ》はものもいひあへず目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて立《た》ちぬ。  紅《くれなゐ》なる立姿《たちすがた》は、片袖《かたそで》をかざして予《よ》に其面《そのおもて》を背《そむ》けつゝ、透《すか》し見《み》るや、頭《かうべ》をば少《すこ》しく傾《かたむ》けて、身動《みうごき》もせざりしが、予《よ》が呆《あき》れ顏《がほ》可笑《をか》しかりけむ、堪《こら》へ兼《か》ねたる笑《わら》ひ聲《ごゑ》、ふつとばかり吹《ふ》き出《いだ》すより早《はや》く、落《おと》すやうに燭《ともし》を置《お》きて、身《み》を返《かへ》しざま奧《おく》の方《かた》に走《はし》り入《い》りしは、うつくしき外國人《ぐわいこくじん》なり。あとに續《つゞ》きて足早《あしばや》に入《い》りぬ。椅子《いす》にかけたるミリヤアドは見《み》るよりまた微笑《ほゝゑ》みぬ。  高津《たかつ》は背後《うしろ》より背《せな》を叩《たゝ》けり。 「お手柔《てやはら》かなしかへしで、まあ新《しん》さんも結構《けつこう》でございました。お驚《おどろ》きなすつたでせう。」 「何《ど》うも、實《まこと》に。」とばかりなりき。  高津《たかつ》は頻《しき》りに打笑《うちゑ》みつゝ、 「何《ど》うして新《しん》さんを驚《おどろ》かすまでにや、大抵《たいてい》な騷《さわ》ぎではありません。もう/\一日《いちにち》がかりの御趣向《ごしゆかう》で、やう/\出來《でき》あがつたんでございますわ。待《ま》つてても急《きふ》に、見《み》えなさらないものだから、薄着《うすぎ》であなた、先生《せんせい》がお困《こま》りだらうぢやございませんか。寒《さむ》いんですもの。ぶる/\震《ふる》へて在《い》らつしやるのよ。あら、串戲《じようだん》ぢやありません、ほんとうに、貴下《あなた》風邪《かぜ》をひきますよ。」  ミリヤアドは肩《かた》をすぼめて、何《なん》とかしけむくづほれし、頤《おとがひ》をば襦袢《じゆばん》の襟《えり》に埋《うづ》めて居《ゐ》たり。背《うしろ》より輕《かろ》く羽織《はお》らせたる、高津《たかつ》の手《て》を密《そつ》とおさへて、ミリヤアドは顏《かほ》をあげぬ。 「まあ待《ま》つて下《くだ》さい、」  予《よ》が方《かた》に打向《うちむか》ひ、すゞしき目《め》に※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》をうかべて、 「上杉《うへすぎ》さん、貴下《あなた》も母樣《おつかさん》がありません。」  と沈《しづ》みたる聲《こゑ》にこそ、さはまたわれを泣《な》かするや。さしうつむきてうなづきぬ。  かくいひ出《いだ》してはミリヤアドが、其母《そのはゝ》のことを語《かた》りつぎて、予《よ》を泣《な》かしむるが常《つね》なりき。  母《はゝ》はわが國《くに》の婦人《ふじん》なりし由《よし》。父《ちゝ》なる人《ひと》ゆゑありて其故郷《そのふるさと》に歸《かへ》る時《とき》、ともなはむといひしかど、大和《やまと》の地《つち》棄《す》て難《がた》くて辭《いな》みしかば、さりとも強《し》ひかねて、女兒《むすめ》のみ引放《ひきはな》ち、洋《うみ》を渡《わた》りて米國《べいこく》に歸《かへ》りしはミリヤアド三歳《みつ》の年《とし》のことなりとぞ。  父《ちゝ》年老《としお》いてみまかりたれば、たよりなきみなし兒《ご》の、たらちねの懷《なつか》しとて、一人《ひとり》のみまたわが國《くに》に渡《わた》りしかど、二十歳《はたとせ》あまりは二昔《ふたむかし》、其人《そのひと》の行方《ゆくへ》知《し》れず。惠《めぐ》みもし、欺《あざ》むかれもし、つかひもなくして、大方《おほかた》の財産《ざいさん》ははた失《うしな》へる。日※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]《ひごと》心細《こゝろぼそ》くなりゆくに、彌掾sいやまし》に戀《こひ》しく慕《した》はしき母《はゝ》にはめぐり逢《あ》はずといふ。おなじ繰言《くりごと》も血《ち》を吐《は》く思《おもひ》は、いつもほとゝぎすの初音《はつね》とこそ聞《き》け、予《よ》は其時《そのとき》も※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ぐみぬ。 [#5字下げ]袖《そで》の雨《あめ》[#「袖の雨」は中見出し]  予《よ》が※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ぐみたるを見《み》て、ミリヤアドの、あれよといひたる、身《み》の動《うご》きに椅子《いす》は摺《ず》れてぞ音《おと》せし、風《かぜ》もなく朧夜《おぼろよ》の靜《しづか》なり。 「否《いえ》、ね、御覽《ごらん》なさい、美《うつく》しいでせう、きれいだこと。」  と緋《ひ》の長襦袢《ながじゆばん》の袖《そで》を引《ひ》き、襟《えり》のあたりを撫《な》でても見《み》せ、 「御覽《ごらん》なさい、きれいでせう。」  また少《すこ》し椅子《いす》をば寄《よ》せぬ。  高津《たかつ》は背《うしろ》より、 「おや、あかん坊《ばう》のやうですこと、うつくしいきものを見《み》せてすかすぢやありませんか。新《しん》さん、をかしいね。」 「何《なに》、綺麗《きれい》だよ、ミリヤアド、そりや、高津《たかつ》さんの衣《きもの》ですか、よく似合《にあ》ふんだもの。」 「いゝえ、高津《たかつ》さん、澤山《たくさん》衣《きもの》持《も》つて居《ゐ》ました、みんな、私《わたくし》のために、あの……」  とやゝ激《げき》して言《い》ひいづ。予《よ》は驚《おどろ》きて高津《たかつ》を見《み》たり。女《むすめ》は慌《あわたゞ》しく遮《さへぎ》りて、 「あら、そんなことをいふもんぢやアありません。新《しん》さん、うそですよ。」 「いゝえ、ほんとう。みんな私《わたくし》に貸《か》して、もう何《なん》にも持《も》つて居《ゐ》ない。可哀相《かはいさう》に抽斗《ひきだし》はからツぽ[#「からツぽ」に傍点]になりました。」  と寂《さび》しく笑《わら》ひぬ。 「だつて、其代《そのかは》り私《わたくし》にや母樣《おつかさん》があるから可《い》いぢやございませんか、ねえ、新《しん》さん。」  予《よ》は答《こた》ふる處《ところ》を知《し》らず。 「ミリヤアドはお可哀相《かはいさう》に、便《たより》のない方《かた》ですもの。些少《ちつと》はお力《ちから》になつてあげる人《ひと》がありさうなものだのに、見《み》ツともない、みんな(なざれの歌《うた》)ばかりで、餘計《よけい》な世話《せわ》までしたがるんですもの。誰《だれ》がそんなものに世話《せわ》をして貰《もら》ひますもんかね。おなじ國《くに》の宣ヘ師《せんけうし》なんざョ《たの》もしくもない、わざと困《こま》らせて、仕樣《しやう》がなくなつた時分《じぶん》に、何《ど》うにかしようとするんださうで、もう此節《このせつ》ぢや寄《よ》りつかず、大方《おほかた》此方《こつち》から泣込《なきこ》むのを待構《まちかま》へて居《ゐ》るのでせう。ヘ會《けうくわい》へもあれツきり入《い》らつしやらず、學校《がくかう》は學校《がくかう》でまた何《なん》ですツさ、隨分《ずゐぶん》つらうございますツて、私《わたし》や※[#「誨のつくり」、第3水準1-86-42]朝《まいあさ》學校《がくかう》へ入《い》らつしやるのを送《おく》るたびに、後姿《うしろすがた》を見《み》ちや、あゝ觀物《みせもの》になりにおいでなさると、いつも然《さ》う思《おも》ひますわ。おうつくしいし、お若《わか》いので、何處《どこ》にかねえ、新《しん》さん、先生《せんせい》の樣子《やうす》があります。まるでなぶりものにするんだもの。私《わたし》や口惜《くや》しくツてならないけれど、いま彼處《あすこ》をお留《や》めなすつちや、他《ほか》に收入《しうにふ》の道《みち》はなし、それこそまた、(なざれの歌《うた》)や宣ヘ師《せんけうし》に嫌味《いやみ》なこともおきゝなさらなくツちやなりません。それも何《なん》だし、(なざれ)だつて、意地《いぢ》になつて、新《しん》さん、あなたの學資《がくし》までお手《て》つだひをしないやうになつたぢやありませんか。皆《みん》なそれです。まだまあ名義《めいぎ》だけでも先生《せんせい》で在《い》らつしやるのが可《い》いと、私《わたくし》も存《ぞん》じますから、時々《とき/″\》もう我慢《がまん》が出來《でき》ないとおつしやるのを、無理《むり》に勸《すゝ》めちや出《だ》してやります。ほんとに※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》が出《で》るんですの。」  家《うち》へお歸《かへ》りなすつたつて、それこそ私《わたくし》が屆《とゞ》かないから、慰《なぐさ》めてあげることも出來《でき》ません。始終《しじう》くよ/\して在《い》らつしやる、まあ、御覽《ごらん》なさい、今日《けふ》はあなたをだますんだつて、朝《あさ》から元氣《げんき》よくお騷《さわ》ぎなすつて、こんななりをなすつてからに、何《ど》うも、震《ふる》へて在《い》らつしやるんです。それでも、何《どん》なにか氣晴《きばらし》になつたでせう。これが新《しん》さん、精々《せい/″\》なお樂《たのしみ》なの、はかないねえ。」  といひかけて、ミリヤアドの背後《うしろ》に立《た》ちつゝ、肩《かた》に衣服《きもの》を被《き》せかけながら、あらためて語《ことば》を繼《つ》ぎ、 「ねえ、ミリヤアドさん、私《わたし》のことなんざ、何《ど》うでも可《よ》うござんす。そんなことをおつしやらないで、おもしろいお話《はなし》でもなさいましな。」 「否《いえ》、濟《す》みません。皆《みんな》なくしました、何《ど》うしたら可《い》いでせう。心配《しんぱい》するけれども仕方《しかた》がない。高津《たかつ》さんは國《くに》から歸《かへ》れといひます。けれども、私《わたくし》が可哀相《かはいさう》だつて歸《かへ》らないで居《ゐ》てくれます。家《うち》で大變《たいへん》怒《おこ》りました、もう構《かま》はないツていつて寄越《よこ》しました、而《さう》して二人《ふたり》とも婦人《をんな》です、高津《たかつ》さん、私《わたくし》、二人《ふたり》とも婦人《をんな》です。」  と兩手《りやうて》に胸《むね》を※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]抱《かきいだ》き、 「母樣《おつかさん》には逢《あ》はれません。もうなくなりましたかも知《し》れません、これは記念《かたみ》です、母樣《おつかさん》が着《き》て居《ゐ》ました。」  とうつむきざま、袂《たもと》を取《と》りて引《ひ》きのばして、つく/″\見《み》たる襦袢《じゆばん》の袖《そで》に、はら/\と落※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《らくるゐ》せり。 [#5字下げ]母上《はゝうへ》[#「母上」は中見出し]  高津《たかつ》は其背《そのせな》を※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]擦《かいさす》りぬ。やゝありて思《おも》ひかへせしさまに、あはれなる顏《かほ》をばあげき。 「上杉《うへすぎ》さん、貴下《あなた》の母樣《おつかさん》もこんなきもの着《き》て居《ゐ》たでせう、然《さ》うでせう。」  ミリヤアドのわけもなきことをいふ、高津《たかつ》とわれ顏《かほ》を見合《みあは》せぬ。  母上《はゝうへ》の紅《あか》き手《て》がらかけたる髮《かみ》結《ゆ》ひて、欄干《らんかん》に倚《よ》りたまひしを、目《め》にきざみたるものの、嘗《かつ》て予《よ》に語《かた》りしことあり。さる時《とき》や、兒《こ》なる予《よ》が今《いま》の年《とし》よりも一《ひと》ツ二《ふた》ツうらわかくて、かゝるものも着《き》たまひしなるべし。なつかしき紅《くれなゐ》の色《いろ》なるかなと、くもりたる目《め》におぼろげながら、霞《かすみ》のなかの色《いろ》ぞとばかり、ミリヤアドの姿《すがた》瞻《みまも》りぬ。 「ね、然《さ》うでせう、矢張《やつぱり》着《き》て居《ゐ》たでせう。」  とうら問《ど》ふまゝ、或《あるひ》は違《たが》ふまじと思《おも》ひて頷《うなづ》きぬ。いかなりけむ、予《よ》は茶博多《ちやはかた》の帶《おび》のみ目《め》に殘《のこ》れど、紅《あか》き手《て》がらかけたまひしことありと人《ひと》のいへば。  予《よ》が頷《うなづ》くをみて、ミリヤアドもまた打《う》ちうなづき、 「上杉《うへすぎ》さん、私《わたくし》、母樣《おつかさん》の着物《きもの》を着《き》ました。母樣《おつかさん》、ね。而《さう》してあなた、母樣《おつかさん》がおありでない。こゝに母樣《おつかさん》が居《ゐ》ます。もう泣《な》かないでも可《い》い、私《わたくし》も母樣《おつかさん》がありません、私《わたくし》が母樣《おつかさん》です、母樣《おつかさん》がありますからミリヤアドも泣《な》きますまい。あなた、ミリヤアドになつて、私《わたくし》が母樣《おつかさん》になつてあなたが上杉《うへすぎ》さんで、私《わたくし》が其母樣《そのおつかさん》で、而《さう》して遊《あそ》びませう。今晩《こんばん》は四月《うづき》一日《ついたち》、あなたは今朝《けさ》私《わたくし》をだましました。こんな母樣《おつかさん》、あなたは厭《いや》でせう、けれども、だまされるが可《い》い、うそならば構《かま》ひません。」  母《はゝ》ぞといふより、血《ち》の色《いろ》其※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《そのほゝ》にのぼり、目《め》の中《なか》さえ/″\しう、眉《まゆ》動《うご》きて、肩《かた》を震《ふる》はし、つと立《た》ちて、椅子《いす》をはなれ、引寄《ひきよ》せて、予《よ》が手《て》を取《と》りたり。  高津《たかつ》は莞爾《につこ》と笑《わら》ひながら予《よ》がつむりを撫《な》でぬ。 「大《おほ》きな坊《ばう》やが泣蟲《なきむし》だねえ、どれおめざを持《も》つて來《き》てあげませう。」  とまた打笑《うちわら》ひて勢《いきおひ》よく室《しつ》を出《い》でたり。  ミリヤアドは太《いた》く激《げき》せる※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》にて、つく/″\と予《よ》が顏《かほ》をみまもりぬ。 「ミリヤアド。」  と叫《さけ》びつゝ、ミリヤアドは、あはれなる其兒《そのこ》の額《ひたひ》に接吻《せつぷん》せり。つめたき髮《かみ》は予《よ》が※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》にふれて、あたゝかく柔《やはら》かなる其白《そのしろ》き胸《むね》は、躍《をど》りたる予《よ》が動悸《どうき》をおさへぬ。  跫音《あしおと》したれば身《み》を分《わか》てり。 [#5字下げ]坂《さか》の下《した》[#「坂の下」は中見出し]  高津《たかつ》は菓子皿《くわしざら》を据《す》ゑ持《も》て來《きた》り、卓子《テエブル》の上《うへ》に置《お》きて、いざとて勸《すゝ》めしが、手《て》のふるへたれば取《と》らで差置《さしお》きぬ。 「めしあがれな、をかしな坊《ばう》やだこと。ほゝゝゝ、」  ともてなし顏《がほ》に、一《ひと》ツ取《と》りてさしよする、拳《こぶし》ばかりの大《おほ》きさなる、名《な》は知《し》らねど辭《いな》みも得《え》で、手《て》に取《と》りて口《くち》をつけたるに、意外《いぐわい》なる舌觸《したざはり》を、わが唾《つば》かわきつ、とのみ怪《あや》しきまで、いま一齒《ひとは》ぞかけたる。 「おや!」と思《おも》はず叫《さけ》びぬ。 「好《い》い氣味!」とミリヤアド手《て》を拍《たゝ》きて笑《わら》ふ。 「それ御覽《ごらん》なさい、やう/\敵《かたき》を取《と》つてあげた、ミリヤアドさん、可《よ》うございましたねえ。」 「あゝ。」といふ面《おもて》はれやかなり。 「そりやもう私《わたし》といふ、助太刀《すけだち》がついて居《ゐ》るんですもの。新《しん》さん、綿《わた》の餡《あん》といふものは新發明《しんはつめい》ですが、いかゞなものでございますね。何《ど》うでございました。折角《せつかく》、ミリヤアドさんと二人《ふたり》で拵《こしら》へてあげたの、大抵《たいてい》な御馳走《ごちそう》ぢやありませんよ、澤山《たくさん》おあがんなさいまし、まだ、いくらでもございます、何《ど》うです、もう一《ひと》ツ、たつた一《ひと》ツめしあがれな、いゝえ、餘所《よそ》ではなし、御遠慮《ごゑんりよ》には及《およ》びませんよ、おほゝ。」  と獨《ひとり》悦《えつ》に入《い》る。 「御馳走樣《ごちそうさま》、もう澤山《たくさん》。」 「いゝえ、それがあなた、さうおつしやるのが餘計《よけい》な御遠慮《ごゑんりよ》と申《まを》すものでございます。何《なん》の書生《しよせい》さんが菓子《くわし》をぱくつくのは當前《あたりまへ》でございますわ。さあ、めしあがれ、よう、おあがりなさいましな、おゝ、嬉《うれ》しい。」 「馬鹿《ばか》だねえ。」 「まあ、人《ひと》が折角《せつかく》志《こゝろざし》をお勸《すゝ》め申《まを》すものを、そんな御挨拶《ごあいさつ》つちやあるもんぢやございません。お氣《き》には入《い》りますまいけれど、何《ど》うぞ召食《めしあが》つて下《うだ》さいましな。」  とわざとらしく揉手《もみで》をしながら、高津《たかつ》の嵩《かさ》にかゝりたる、予《よ》の困《こう》じたる、二人《ふたり》の※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》をば、つくづくと見《み》たるミリヤアドの晴々《はれ/″\》しきさまに引《ひき》かへて、然《さ》も憂《うれ》はしげに、聲《こゑ》も沈《しづ》み、 「もう堪忍《かんにん》、澤山《たくさん》です、可哀相《かはいさう》。」  といひかけて、くはせものの菓子《くわし》の一個《ひとつ》を手《て》に取《と》りて、ものをもいはで※[#「示+見」、第3水準1-91-89]《なが》めしが、ふるふ手《て》さきの※[#「やまいだれ+溲のつくり」、第3水準1-94-93]《や》せたるを、予《よ》が肩《かた》にかけてうつむき見《み》つゝ、 「坊《ばう》や、眞個《ほんと》にこればつかり、さうでない御馳走《ごちそう》をしたくつても、今日《けふ》は出來《でき》ません。私《わたくし》貧乏《びんぼふ》、母樣《おつかさん》、意氣地《いくぢ》[#「意氣地」は底本では「意地氣」]がない、堪忍《かんにん》して、上杉《うへすぎ》さん。」  と悄《しを》れたる目《め》の中《うち》に露《つゆ》を宿《やど》し、思入《おもひい》りたる※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》なりしが、何《なに》とかしけむ、空《そら》を仰《あふ》ぎ、美《うつく》しき眉根《まゆね》の顰《ひそ》むと見《み》えつ。苦《あ》と叫《さけ》び、胸《むね》をおさへて、よろ/\と倒《たふ》れかゝる、長椅子《ながいす》に足《あし》を投《な》げつゝ、腰《こし》を捩《よ》りて身《み》を絞《しぼ》り、片手《かたて》を卓子《テエブル》につきて掌《たなそこ》を口《くち》にあてし、はんけちの裏《うら》透《とほ》す、血汐《ちしほ》の紅《くれなゐ》、眞白《まつしろ》き指《ゆび》を洩《も》れて見《み》ゆるに、※[#「口+阿」、第4水準2-4-5]呀《あなや》とばかり縋《すが》り寄《よ》る、高津《たかつ》も顏《かほ》の色《いろ》をかへたり。唯一度《たゞいちど》のそれながら、多量《たりやう》の喀血《かくけつ》に弱《よわ》り果《は》てて、綿《わた》の如《ごと》くなりたる身體《からだ》を、※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]抱《かきいだ》くやうにする、予《よ》も夢心地《ゆめごこち》に手《て》を添《そ》へて、助《たす》けて臥床《ふしど》に入《い》らしめたる、素人《しろうと》の二人《ふたり》が手《て》して、水《みづ》よ藥《くすり》よといふ容體《ようだい》かは。  高津《たかつ》はといきして呟《つぶや》く如《ごと》く、 「咳《せき》はなさるし、顏《かほ》の色《いろ》はお惡《わる》いし、こんなことでもなければ可《い》いと思《おも》つて居《ゐ》たに、」  と聲《こゑ》をうるます心細《こゝろぼそ》[#ルビの「こゝろぼそ」は底本では「こゝろぼさ」]さ。 「何處《どこ》、醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いしや》を、醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いしや》は、」といふのみ。 「いゝえ、あなたが行《い》らつしやつても一寸《ちよいと》は分《わか》りません。近《ちか》うござんすから一走《ひとはしり》行《い》つて參《まゐ》りませう、おョ《たの》み申《まを》します。」  と早《は》や帶〆《おびじめ》を引緊《ひきし》むる。 「それでも夜分《やぶん》だから。」 「構《かま》ひますもんですか、其上《それに》かういふ時《とき》は、男《をとこ》の方《かた》が力《ちから》になります。病人《びやうにん》も何《ど》んなにか、あなたを便《たより》にして居《ゐ》ませう。洋燈《ランプ》をあかるくしてあげて下《くだ》さい。つい一走《ひとはし》り、可《よ》うござんすか、新《しん》さんョ《たの》みました。」  といひずてに、忽《たちま》ち門《かど》の戸《と》に跫音《あしおと》聞《きこ》ゆる、四角《よつかど》あたり犬《いぬ》の聲《こゑ》、うらかなしげに吠《ほ》え出《い》だして、表《おもて》、裏町《うらまち》、坂《さか》の下《した》、一齊《いつせい》にうなりかはす、山《やま》の手《て》の大路《おほぢ》夜《よ》更《ふ》けたり。 [#改丁] [#ページの左右中央] [#5字下げ]誓之卷[#「誓之卷」は大見出し] [#改ページ] [#ページの左右中央]   團欒  石段  菊の露  秀を忘れよ  東枕  誓 [#改ページ] [#5字下げ]團欒《だんらん》[#「團欒」は中見出し]  後《のち》の日《ひ》のまどゐは樂《たの》しかりき。 「あの時《とき》は驚《おどろ》きましたつけねえ、新《しん》さん。」  とミリヤアドの顏《かほ》嬉《うれ》しげに打《うち》まもりつゝ、高津《たかつ》は予《よ》を見向《みむ》きていふ。ミリヤアドの容體《ようだい》はおもひしより安《やす》らかにて、夏《なつ》の半《なかば》一《ひと》度《たび》その健康《けんかう》を復《ふく》せしなりき。 「高津《たかつ》さん、ありがたう。お庇《かげ》樣《さま》で助《たす》かりました。上杉《うへすぎ》さん、あなたは酷《ひど》い、酷《ひど》い、酷《ひど》いもの飮《の》ませたから。」  と優《やさ》しき、されど邪慳《じやけん》を裝《よそほ》へる色《いろ》なりけり。心《こゝろ》なき高津《たかつ》の何《なに》をか興《きよう》ずる。 「ねえ、ミリヤアドさん、あんなものお飮《の》ませだからですねえ。新《しん》さんが惡《わる》いんだよ。」 「困《こま》るねえ、何《なに》も。」と予《よ》は面《おもて》を背《そむ》けぬ。ミリヤアドは笑止《せうし》がり、 「それでも、私《わたくし》は血《ち》を咯《は》きました、上杉《うへすぎ》さんの飮《の》ませたもの、白《しろ》い水《みづ》です。」 「いゝえ、いゝえ、血《ち》じやありませんよ。あなた血《ち》を咯《は》いたんだと思《おも》つて心配《しんぱい》して在《い》らつしやいますけれど血《ち》だもんですか。※[#「示+申」、第3水準1-89-28]經《しんけい》ですよ。あれはね、あなた、新《しん》さんの飮《の》ませた水《みづ》に着《き》て在《い》らつしやつた襦袢《じゆばん》のね、眞紅《まつか》なのが映《うつ》つたんですよ。」 「こじつけるねえ、酷《ひど》いねえ。」 「何《なん》のこじつけなもんですか。眞個《ほんとう》ですわねえ。ミリヤアドさん。」  ミリヤアドは莞爾《につこ》として、 「何《ど》うですか。ほゝゝ。」 「あら、片贔屓《かたびいき》を遊《あそ》ばしてからに。」  と高津《たかつ》はわざとらしく怨《ゑん》じ顏《がほ》なり。 「何《なん》だつて然《さ》う僕《ぼく》をいぢめるんだ。あの時《とき》だつて散々《さんざ》酷《ひど》いめにあはせたぢやないか。亂暴《らんばう》なものを食《た》べさせるんだもの、綿《わた》の餡《あん》なんか食《た》べさせられたのだから、それで煩《わづら》ふんだ。」 「おや/\飛《と》んだ處《ところ》でね、だつてもう三月《みつき》も過《す》ぎましたぢやありませんか。疾《とつ》くにこなれてさうなものですね。」 「何《なに》、綿《わた》が消化《こな》れるもんか。」  ミリヤアド傍《かたはら》より、 「喧嘩《けんくわ》してはいけません。また動悸《どうき》を高《たか》くします。」 「ほんとに串戲《じようだん》は止《よ》して新《しん》さん、きづかふほどのことはないのでせうね。」 「いゝえ、わけやないんださうだけれど、轉地《てんち》しなけりや不可《いけない》ツていふんです。何《なに》、症《しやう》が知《し》れてるの。轉地《てんち》さへすりや何《なん》でもないつて。」 「そんならようござんすけれど、而《そ》して何時《なんじ》の汽車《きしや》だツけね。」 「え、もうそろ/\。」  と予《よ》は椅子《いす》を除《の》けてぞ立《た》ちたる。 「ミリヤアド。」  ミリヤアドは頷《うなづ》きぬ。 「高津《たかつ》さん。」 「はい、ぢや、まあいつていらつしやいまし、もうねえ、こんなにおなんなすつたんですから、ミリヤアドのことはおきづかひなさらないで、大丈夫《だいぢやうぶ》でござんすから。」 「それでは。」  ミリヤアドは衝《つ》と立《た》ちあがり、床《ゆか》に二《ふた》ツ三《み》ツ足ぶみして、空《そら》ざまに手《て》をあげしが、勇《いさ》ましき面色《おもゝち》なりき。 「こんなに、よくなりました。上杉《うへすぎ》さん、大丈夫《だいぢやうぶ》、駈《か》けて見《み》ませう。門《かど》まで、」  といひあへず、上着《うはぎ》の片褄《かたづま》※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]取《かいと》りあげて小刻《こきざみ》に足《あし》はやく、颯《さつ》と芝生《しばふ》におり立《た》ちぬ。高津《たかつ》は見《み》るより、 「あら、まだそんなことをなすツちやいけません。いけませんよ。」  と呼《よ》び懸《か》けながら慌《あわたゞ》しく追《お》ひ行《ゆ》きたる、あとよりして予《よ》は出《い》でぬ。  木戸《きど》の際《きは》にて見《み》たる時《とき》ミリヤアドは呼吸《いき》忙《せは》しくたゆげなる片手《かたて》をば、垂《た》れて高津《たかつ》の肩《かた》に懸《か》け、頭《かうべ》を少《すこし》し傾《かたむ》け居《ゐ》たりき。 [#5字下げ]石段《いしだん》[#「石段」は中見出し] 「いゝめをみせたんですよ、だからいけなかつたんです。あの當時《たうじ》しばらくは何《ど》ういふものでせう、其《それ》はね、眞個《ほんと》に※[#「口+墟のつくり」、第3水準1-84-7]《うそ》のやうに元氣《げんき》がよくおなんなすツて、肺病《はいびやう》なんてものは何《なん》でもないものだ。こんなわけのないものはないツてつちや、室《へや》の中《なか》を駈《か》けてお※[#「陟のつくり」、第3水準1-86-35]行《ある》きなさるぢやありませんか。さうしちやあね、(高津《たかつ》さん、歌《うた》をうたツて聞《き》かせよう)ツてあの(なざれの歌《うた》)をね、人《ひと》の厭《いや》がるものをつかまへてお唄《うた》ひなさるの。唄《うた》つちや(あゝ、こんなぢや洋琴《オルガン》も役《やく》に立《た》たない、)ツて寂《さみ》しい笑顏《ゑがほ》をなさるとすぐ、呼吸《いき》が苦《くる》しくなツて、顏《かほ》へ血《ち》がのぼツて來《く》るのだから、そんなことなすツちやいけませんてツて、いつでも寢《ね》さしたんですよ。  しかしね、こんな鹽※[#「木+誨のつくり」、第3水準1-85-69]《あんばい》ならば、まあ結構《けつこう》だと思《おも》つて、新《しん》さん、あなたの處《ところ》へおたよりをするのにも、段々《だん/\》快《い》い方《はう》ですからお案《あん》じなさらないやうに、然《さ》ういつてあげましたつけ。  さうすると、つい先月《せんげつ》のはじめにねえ、少《すこ》しいつもより容子《ようす》が惡《わる》くおなんなすつたから、急《いそ》いで醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]《いしや》に診《み》せましたの。はじめて行《い》つた時《とき》は、何《なん》でもなかつたんですが、二度目《にどめ》ですよ。二度目《にどめ》にね、新《しん》さん、一所《いつしよ》にお醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]樣《いしやさま》の處《ところ》へ連《つ》れて行《い》つてあげた時《とき》、まあ、何《ど》うでせう。」  高津《たかつ》はぢつと予《よ》を見《み》たり。膝《ひざ》にのせたる掌《たなそこ》の指《ゆび》のさきを動《うご》かしつゝ、 「彼處《あすこ》の、あればかりの石壇《いしだん》にお弱《よわ》んなすツて、上《うへ》の壇《だん》が一段《いちだん》、何《ど》うしてもあがり切《き》れずに呼吸《いき》をついて在《い》らつしやるのを、抱《だ》いて上《あ》げた時《とき》は、私《わたし》も胸《むね》を打《う》たれたんですよ。  まあ可《い》い、可《い》い!こゝを的《まと》に取《と》つて看病《かんびやう》しよう。こん度《ど》來《く》るまでにはきつと獨《ひとり》でお上《あが》んなさるやうにして見《み》せよう。さうすりや素人目《しろうとめ》にも快《よ》くおなんなすつた解《わか》りが早《はや》くツて、結句《けつく》張合《はりあひ》があると思《おも》つたんですが、もうお醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]樣《いしやさま》へ行《い》らつしやることが出來《でき》たのは其日《そのひ》ツ切《きり》。新《しん》さん、矢張《やつぱり》いけなかつたの。  お醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]樣《いしやさま》はとてもいけないつて云《い》ひました、新《しん》さん、私《わたし》やぢつと堪《こら》へて居《ゐ》たけれどね、傍《そば》に居《ゐ》た老年《としより》の婦人《をんな》の方《かた》が深切《しんせつ》に、(お氣《き》の毒《どく》樣《さま》ですねえ。)  といつて呉《く》れた時《とき》は、もうとても我慢《がまん》が出來《でき》なくなつて泣《な》きましたよ。藥《くすり》を取《と》つて溜《たまり》へ行《い》ツちや、笑《わら》つて見《み》せて居《ゐ》たけれど、どんなに情《なさけ》なかつたでせう。  樣子《やうす》に見《み》せまいと思《おも》つても、ツイ胸《むね》が迫《せま》つて來《く》るもんですから、合乘《あひのり》で歸《かへ》る道《みち》で私《わたし》の顏《かほ》を御覽《ごらん》なすつて、 (何《なん》だねえ、何《ど》うしたの、妙《めう》な顏《かほ》をして。)  と笑《わら》ひながらいつて、※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》らしいほどちやんと澄《すま》して在《い》らつしやるんだもの。氣分《きぶん》は確《たしか》だし、何《なん》にも知《し》らないで、と思《おも》ふとかはいさうで、私《わたし》やかはいさうで。  今更《いまさら》ぢやないけれど、こんな氣立《きだて》の可《い》い、優《やさ》しい、うつくしい方《かた》がもう亡《な》くなるのかと思《おも》つたら、ねえ、新《しん》さん、いつもより百倍《ひやくばい》も千倍《せんばい》も、優《やさ》しい、美《うつく》しい、立派《りつぱ》な方《かた》に見《み》えたらうぢやありませんか。誂《あつら》へて拵《こしら》へたやうな、かういふ方《かた》がまたあらうか、と可惜《あつたら》もので。可惜《あつたら》もので。大事《だいじ》な※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、470-10]《ねえ》さんを一人《ひとり》、もう、何《ど》うしようと、我慢《がまん》が出來《でき》なくなつてね、車《くるま》が石《いし》の上《うへ》へ乘《の》つた時《とき》、私《わたし》やソツと抱《だ》いて見《み》たわ。」とぞ微笑《ほゝゑみ》たる、目《め》には※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》を宿《やど》したり。 「僕《ぼく》は何《なん》だか夢《ゆめ》のやうだ。」 「私《わたし》だつて眞個《ほんとう》にやなりません位《くらゐ》ひどくおやつれなすつたから、ま、今に覽《み》てあげて下《くだ》さいな。  電報《でんぱう》でもかけようか、と思《おも》つたのに。よく早《はや》く出京《で》て來《き》てね。始終《しじう》上杉《うへすぎ》さん、上杉《うへすぎ》さんツていつて在《い》らつしやるから、何《ど》んなにか喜《よろこ》ぶでせう。しかしね、急《きふ》にまたお逢《あ》ひなすつちや激《げき》するから、そツとして、いまに目《め》をおさましなすツてから私《わたし》がよくさういつて、落着《おちつ》かしてからお逢《あ》ひなさいましよ。腕車《くるま》やら、汽車《きしや》やらで、新《しん》さん、あなたもお疲《つか》れだらうに、すぐこんなことを聞《き》かせまして、もう私《わたし》や申譯《まをしわけ》がございません。折角《せつかく》お着《つ》き申《まを》して居《ゐ》ながら、何《ど》うしたら可《い》いでせう、堪忍《かんにん》なさいよ。」 [#5字下げ]菊《きく》の露《つゆ》[#「菊の露」は中見出し] 「もう/\思入《おもいれ》こゝで泣《な》いて、ミリヤアドの前《まへ》ぢや、かなしい顏《かほ》をしちやいけません。そつとして置《お》いてあげないと、お醫師《いしや》が見《み》えて、私《わたし》が立※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《たちまは》つてさへ、早《は》や何《なに》か御自分《ごじぶん》の身體《からだ》に異《かは》つたことがあるのかと思《おも》つて、直《すぐ》に熱《ねつ》が高《たか》くなりますからね。  それでなくツてさへ熱《ねつ》がね、新《しん》さん四十度《しじふど》の上《うへ》あるんです。少《すこ》し下《さが》るのは午前《ごぜん》のうちだけで、もうおひるすぎや、夜《よる》なんざ、夢中《むちう》なの。お藥《くすり》を頂《いたゞ》いて、それでまあ熱《ねつ》を取《と》るんですが、日《ひ》に四度《よたび》ぐらゐづゝ手巾《ハンケチ》を絞《しぼ》るんですよ。酷《ひど》いぢやありませんか。それで居《ゐ》て痰《たん》がかう咽喉《のど》へからみついてて、呼吸《いき》を塞《ふさ》ぐんですから、今《いま》ぢや、ものもよくは言《い》へないんでね、私《わたし》に話《はなし》をして聞《き》かしてと始終《しじう》さういつちやあね、詰《つま》らないことを喜《よろこ》んで聞《き》いて在《い》らつしやるの。  何《ど》んなにか心細《こゝろぼそ》いでせう。寢《ね》たつきりで、先月《せんげつ》の二十日《はつか》時分《じぶん》から寢返《ねがへ》りさへ容易《ようい》ぢやなくツて、片寢《かたね》でねえ。耳《みゝ》にまで床《とこ》ずれがしてますもの。夜《よ》が永《なが》いのに眠《ねむ》られないで惱《なや》むのですから、何《ど》んなに辛《つら》いか分《わか》りません。話《はなし》といつたつてねえ、新《しん》さん、酷《ひど》く※[#「示+申」、第3水準1-89-28]經《しんけい》が鋭《するど》くなつてて、もう何《なん》ですよ、新聞《しんぶん》の雜報《ざつぱう》を聞《き》かしてあげても泣《な》くんですもの。何《なに》かねえ、小鳥《ことり》の事《こと》か、木《き》の實《み》の話《はなし》でもツておつしやるけれど、何《ど》ういつていゝのか分《わか》らず、栗《くり》がおツこちるたつて、私《わたし》や※[#「糸+彖」、第3水準1-90-13]起《えんぎ》が惡《わる》いもの。いひやうがありません。それでなければ、治《なほ》つてから片P《かたせ》の※[#「さんずい+誨のつくり」、第3水準1-86-73]濱《かいひん》にでも遊《あそ》びにゆく時《とき》の景色《けしき》なんぞ、月《つき》が出《で》て居《ゐ》て、山《やま》が見《み》えて、※[#「さんずい+誨のつくり」、第3水準1-86-73]《うみ》が凪《な》ぎて、みさごが飛《と》んで、さうして、あゝするとか、かうするとかいつて、聞《き》かせて、といひますけれど、ね、新《しん》さん、あなたなら、あなたならば男《をとこ》だからいへるでせう。いまにあなた章魚《たこ》に灸《きう》を据《す》ゑるとか、蟹《かに》に握飯《にぎりめし》をたべさすとかいふ話《はなし》でもしてあげて下《くだ》さいまし。私《わたし》にや、私《わたし》にや、何《ど》うしてもあの病人《びやうにん》をつかまへて、治《なほ》つて何《ど》うしようなんていふことは、情《なさけ》なくツて言《い》へません。」  といふ聲《こゑ》もうるみにき。 「え、新《しん》さん、はなせますか、あなただつて困《こま》るでせう。耳《みゝ》が遠《とほ》くおなんなすつたくらゐ、茫《ばう》として在《い》らつしやるのに、惡《わる》いことだと小《ちひ》さな聲《こゑ》でいふのが遠《とほ》くに居《ゐ》てよく聞《きこ》えますもの。  せい/\ツてね、痰《たん》が咽《のど》にからんでますのが、いかにもお苦《くる》しさうだから、早《はや》く出《で》なくなりますやうにと、私《わたし》も思《おも》ひますし、病人《びやうにん》も痰《たん》を咯《は》くのを樂《たのし》みにして在《い》らつしやいますがね、果敢《はか》ないぢやありませんか、其《それ》が、血《ち》を咯《は》くより、なほ、酷《ひど》く惡《わる》いんですとさ。  それで居《ゐ》てあがるものはといふと、牛乳《ミルク》を少《すこ》しと、鷄卵《けいらん》ばかり。熱《ねつ》が酷《ひど》うござんすから舌《した》が乾《かわ》くツて、とほし、水《みづ》で濡《ぬら》して居《ゐ》るんですよ。もうほんとうにあはれなくらゐおやせなすつて、菊《きく》の露《つゆ》でも吸《す》はせてあげたいほど、小《ちひ》さく美《うつく》しくおなりだけれど、ねえ、新《しん》さん、さうしたら身體《からだ》が消《き》えておしまひなさらうかと思《おも》つて。」  といひかけて咽泣《むせびな》き、懷《ふところ》より桃色《もゝいろ》の絹《きぬ》の手巾《ハンケチ》をば取《と》り出《い》でつゝ目《め》を拭《ぬぐ》ひしを膝《ひざ》にのして、怨《うら》めしげに瞻《みまも》りぬ。 「新《しん》さん、手巾《これ》でね、汗《あせ》を取《と》つてあげるんですがね、そんなに弱々《よわ/\》しくおなんなすつた、身體《からだ》から絞《しぼ》るやうぢやありませんか。眞個《ほんと》に冷々《ひや/\》するんですよ。拭《ふ》くたびにだん/\お顏《かほ》がねえ、小《ちひ》さくなつて、頸《えり》ン處《ところ》が細《ほそ》くなつてしまふんですもの、ひどいねえ、私《わたし》やお醫※[#「睹のつくり」、第3水準1-90-36]樣《いしやさま》が、口惜《くやし》くツてなりません。  だつて、はじめツから入院《にふゐん》さしたツて、何《ど》うしたツて、いけないツて見離《みはな》して居《ゐ》るんですもの。今《いま》ン處《ところ》ぢや唯《たゞ》もう強《つよ》いお藥《くすり》のせゐで、やう/\持《も》つて居《ゐ》ますんですとね、ね、十滴《じつてき》づゝ。段々《だん/\》多《おほ》くするんですツて。」  青《あを》き小《ちひさ》き瓶《びん》あり。取《と》りて持返《もちかへ》して透《すか》したれば、流動體《りうどうたい》の平面《へいめん》斜《なゝ》めになりぬ。何《なに》ならむ、この藥《くすり》、予《よ》が手《て》に重《おも》くこたへたり。  ぢつとみまもれば心《こゝろ》も消々《きえ/″\》になりぬ。  其口《そのくち》の方《かた》早《は》や少《すこ》しく減《げん》じたる。其《それ》をば命《いのち》とや。あまり果敢《はか》なさに予《よ》は思《おも》はず呟《つぶや》きぬ。 「たツたこれだけ、百滴《ひやくてき》吸《す》つたらなくなるでせう。」 「いえ、また取《と》りに參《まゐ》ります……」  といひかけて顏《かほ》を見合《みあは》せつゝ、高津《たかつ》はハツと泣《な》き伏《ふ》しぬ。あゝ、惡《わる》きことをいひたり。 [#5字下げ]秀《ひで》を忘《わす》れよ[#「秀を忘れよ」は中見出し] 「餘《あんま》り何《なん》だものだから、僕《ぼく》はつい、高津《たかつ》さん氣《き》にかけちや不可《いけな》い。」 「いゝえ、何《なん》にもそんなことを氣《き》にかけるやうな、新《しん》さん、容體《ようだい》ならいゝけれど。」 「何《ど》うすりや可《い》いのかなあ。」  唯《たゞ》といきのみつかれたる、高津《たかつ》はしばしものいはざりしが、 「何《ど》うしようにも、しやうがないの。唯《たゞ》ねえ、せめて安心《あんしん》をさしてあげられりや、ちつとは、新《しん》さん何《なん》だけれど。」  と予《よ》が顏《かほ》を打《うち》まもれり。 「其《それ》が何《ど》うすりやいゝんだか。」 「さあ、母樣《おつかさん》のことも大抵《たいてい》いひ出《だ》しはなさらないし、他《ほか》に、別《べつ》に、かうといつて、お心懸《こゝろがか》りもおあんなさらないやうですがね、唯《たゞ》ね、始終《しじう》心配《しんぱい》して在《い》らつしやるのは、新《しん》さん、あなたの事《こと》ですよ。」 「僕《ぼく》を。」 「ですから何《ど》うにかして氣《き》の休《やす》まるやうにしてあげて下《くだ》さいな。心配《しんぱい》をかけるのは、新《しん》さんあなたが、惡《わる》いんですよ。」 「え。」 「あのね、始終《しじう》さういつていらつしやるの。(私《わたし》が居《ゐ》る内《うち》は可《い》いけれど、居《ゐ》なくなると、上杉《うへすぎ》さんが何《ど》んなことをしようも知《し》れない)ツて。」 「何《なに》を僕《ぼく》が。」  予《よ》は顏《かほ》の色《いろ》かはらずやと危《あや》ぶみしばかりなりき。背《せな》はひたと汗《あせ》になりぬ。 「いゝえ、眞個《ほんとう》でせう、眞個《ほんとう》に違《ちが》ひませんよ。それに違《ちが》ひないお顏《かほ》ですもの。私《わたし》が見《み》ましてさへ、何《なん》ですか、いつも、もの思《おもひ》をして、うつら/\として在《い》らつしやるやうぢやありませんか。誠《まこと》にお可哀相《かはいさう》な樣《やう》ですよ。ミリヤアドも然《さ》ういひましたつけ。(私《わたし》が慰《なぐさ》めてやらなければ、あの兒《こ》は何《ど》うするだらう)ツて。何《なに》もね、祕密《ひみつ》なことを私《わたし》が聞《き》かうぢやありませんけれど、なりますことなら、ミリヤアドに安心《あんしん》をさしてあげて下《くだ》さいな。え、新《しん》さん、(私《わたし》が居《ゐ》さへすりや、大丈夫《だいぢやうぶ》だけれど、何《ど》うも案《あん》じられて。)とおつしやるんですから、何《なん》とかしておあげなさいな。あなたにや其工夫《そのくふう》があるでせう、上杉《うへすぎ》さん。」  名《な》を揚《あ》げよといふなり。家《いへ》を起《おこ》せといふなり。富《とみ》の市《いち》を※[#「りっしんべん+曾」、第3水準1-84-62]《にく》みて殺《ころ》さむと思《おも》ふことなかれといふなり。ともすれば自殺《じさつ》せむと思《おも》ふことなかれといふなり。詮《せん》ずれば秀《ひで》を忘《わす》れよといふなり。其事《そのこと》をば、母上《はゝうへ》の御名《おんな》にかけて誓《ちか》へよと、常《つね》にミリヤアドのいへるなりき。  予《よ》は默《もく》してうつむきぬ。 「何《なに》もね、いまといつていま、あなたに迫《せま》るんぢやありません。何《ど》うぞ惡《わる》く思《おも》はないで下《くだ》さいまし、しかしお考《かんが》へなすツてね。」  また顏《かほ》見《み》たり。  折《をり》から咳入《せきい》る聲《こゑ》聞《きこ》ゆ。高津《たかつ》は目《め》くばせして奧《おく》にゆきぬ。  良《やゝ》ありて、 「ぢや、お逢《あ》ひ遊《あそ》ばせ、上杉《うへすぎ》さんですよ、可《よ》うござんすか。」  といふ聲《こゑ》しき。 「新《しん》さん。」  と聞《きこ》えたれば馳《は》せゆきぬ。唯《と》見《み》れば次《つぎ》の室《ま》は片付《かたづ》きて、疊《たゝみ》に塵《ちり》なく、床花瓶《とこはないけ》に菊《きく》一輪《いちりん》、いつさしすてしか凋《しを》れたり。 [#5字下げ]東枕《ひがしまくら》[#「東枕」は中見出し]  襖《ふすま》左右《さいう》に開《ひら》きたれば、厚衾《あつぶすま》重《かさ》ねたる見《み》ゆ。東《ひがし》に向《む》けて臥床《ふしど》設《まう》けし、枕頭《まくらもと》なる皿《さら》のなかに、蜜柑《みかん》と熟《じゆく》したる葡萄《ぶだう》と裝《も》りたり。枕《まくら》をば高《たか》くしつ。病《や》める人《ひと》は頭《かしら》埋《うづ》めて、小《ちひさ》やかにぞ臥《ふ》したりける。  思《おも》ひしよりなお瘠《や》せたり。※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》のあたり太《いた》く細《ほそ》りぬ。眞白《ましろ》うて玉《たま》なす顏《かほ》、兩《りやう》の瞼《まぶた》に血《ち》の色《いろ》染《そ》めて、うつくしさ、氣高《けだか》さは見《み》まさりたれど、あまりおもかげのかはりたれば、予《よ》は坐《すわ》りもやらで、襖《ふすま》の此方《こなた》に彳《たゝず》みつゝ、みまもりてそれをミリヤアドと思《おも》ふ胸《むね》は先《ま》づふたがりぬ。 「さ、」  と座蒲團《ざぶとん》差《さし》よせたれば、高津《たかつ》とならびて、しを/\と座《ざ》につきぬ。  顏《かほ》見《み》ば語《かた》らむ、わが名《な》呼《よ》ばれむ、と思《おも》ひ設《まう》けしはあだなりき。  寢返《ねがへ》ることだに得《え》せぬ人《ひと》の、片手《かたて》の指《ゆび》のさきのみ、少《すこ》しく衾《ふすま》の外《そと》に出《いだ》したる、其手《そのて》の動《うご》かむともせず。  瞳《ひとみ》キト据《すわ》りたれば、わが顏《かほ》見《み》られむと堪《こら》へずうつむきぬ。ミリヤアドとばかりもわが口《くち》には得《え》出《い》ででなむ、強《し》ひて微笑《ほゝゑ》みしが我《われ》ながら寂《さび》しかりき。  高津《たかつ》の手《て》なる桃色《もゝいろ》の絹《きぬ》の手巾《ハンケチ》は、はらりと掌《たなそこ》に廣《ひろ》がりて、輕《かろ》くミリヤアドの目《め》のあたり拭《ぬぐ》ひたり。 「汗《あせ》ですよ、熱《ねつ》がひどうござんすから。」  ※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]《ほゝ》のあたりをまた拭《ぬぐ》ひぬ。 「分《わか》りましたか、上杉《うへすぎ》さん、ね、ミリヤアド。」 「上杉《うへすぎ》さん。」  極《きは》めて低《ひく》けれど忘《わす》れぬ聲《こゑ》なり。 「こんなになりました。」  とやゝありて切《せつ》なげにいひし一句《いつく》にさへ、呼吸《いき》は三《み》たびぞ途絶《とだ》えたる。晝中《ひるなか》の日影《ひかげ》さして、障子《しやうじ》にすきて見《み》ゆるまで、空《そら》蒼《あお》く晴《は》れたればこそ恁《か》くてあれ、暗《くら》くならば影《かげ》となりて消《き》えや失《う》せむと、見《み》る目《め》も危《あや》ふく窶《やつ》れしかな。 「切《せつ》なうござんすか。」  ミリヤアドは夢《ゆめ》見《み》る顏《かほ》なり。 「耳《みゝ》が少《すこ》し遠《とほ》くなつて在《い》らつしやいますから、そのおつもりで、新《しん》さん。」 「切《せつ》なうござんすか。」  頷《うなづ》く※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》なりき。 「まだ可《い》いんですよ。晩方《ばんがた》になつて寒《さむ》くなると、あはれにおなんなさいます。其上《それに》熱《ねつ》が高《たか》くなりますからまるで、現《うつゝ》。」  と低《こ》聲《ごゑ》にいふ。かゝるものをいかなる言《ことば》もて慰《なぐさ》むべき。果《はて》は怨《うら》めしくもなるに、心《こゝろ》激《げき》して、 「何《ど》うするんです、ミリヤアド、もうそんなで居《ゐ》て何《ど》うするの。」  聲高《こわだか》にいひしを傍《かたはら》より目《め》もて叱《しか》られて、急《きふ》に、 「何《なん》ともありませんよ、何《なに》、もう、いまによくなります。」  いひなほしたる接穗《つぎほ》なさ。面《おもて》を背《そむ》けて、 「治《なほ》らないことはありません。治《なほ》るよ、高津《たかつ》さん。」  高津《たかつ》は勢《いきほひ》よく、 「はい、それはあなた、※[#「示+申」、第3水準1-89-28]樣《かみさま》が在《い》らつしやいます。」  予《よ》はまた言《い》はざりき。 [#5字下げ]誓《ちかひ》[#「誓」は中見出し]  月《つき》凍《い》てたり。大路《おほぢ》の人《ひと》の跫音《あしおと》冴《さ》えし、それも時《とき》過《す》ぎぬ。坂下《さかした》に犬《いぬ》の吠《ほ》ゆるもやみたり。一《ひと》しきり、一《ひと》しきり、檐《のき》に、棟《むね》に、背戸《せど》の方《かた》に、颯《さ》と來《き》て、さら/\さら/\と鳴《な》る風《かぜ》の音《おと》。此《こ》の凩《こがらし》!病《や》む人《ひと》の身《み》を如何《いかん》する。ミリヤアドは衣《きぬ》深《ふか》く引被《ひきかつ》ぐ。恁《かく》は予《よ》と高津《たかつ》とに寢《ね》よとてこそするなりけれ。  かゝる夜《よ》を伽《とぎ》する身《み》の、何《なに》とて二人《ふたり》の眠《ねむ》らるべき。此方《こなた》も唯《たゞ》眠《ねむ》りたるまねするを、今《いま》は心《こゝろ》安《やす》しとてやミリヤアドのやゝ時《とき》すぐれば、ソト顏《かほ》を出《い》だして、あたりをば見《み》まはしつゝ、いねがてに明《あけ》を待《まつ》つ優《やさ》しき心《こゝろ》づかひ知《し》りたれば、其夜《そのよ》もわざと眠《ねむ》るまねして、予《よ》は机《つくゑ》にうつぶしぬ。  ※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]卷《かいまき》をば羽織《はお》らせ、毛布《けつと》引《ひき》かつぎて、高津《たかつ》は予《よ》が裾《すそ》に背《せな》向《む》けて、正《たゞ》しう坐《すわ》るやう膝《ひざ》をまげて、《よこ》にまくらつけしが、二《ふた》ツ三《み》ツものいへりし間《ま》に、これは疲《つか》れて轉寢《うたゝね》せり。  何《なに》なりけむ。ものともなく膚《はだへ》あはだつに、ふと顏《かほ》をあげたれば、ありあけ暗《くら》き室《しつ》のなかにミリヤアドの雙《さう》の眼《まなこ》、はき[#「はき」に傍点]とあきて、わが方《かた》を見詰《みつ》め居《ゐ》たり。  予《よ》が見《み》て取《と》りしを彼方《かなた》にもしかと見《み》き。ものいふ如《ごと》き瞳《ひとみ》の動《うご》き、引寄《ひきよ》するやうに思《おも》はれたれば、※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]卷《かいまき》刎《は》ねのけて立《た》ちて、進《すゝ》み寄《よ》りぬ。  近《ちか》よれといふ色《いろ》見《み》ゆ。  やがて其前《そのまへ》に予《よ》は手《て》をつきぬ。あまり氣高《けだか》かりし※[#「爿+犬」、第3水準1-87-74]《さま》に恐《おそろ》しき感《かん》ありき。 「高津《たかつ》さん。」 「少《すこ》し休《やす》みましたやうです。」 「さう。」  とばかりいきをつきぬ。良《やゝ》久《ひさ》しうして、 「上杉《うへすぎ》さん、あなた何《ど》うします。」  予《よ》は思《おも》はずわなゝきぬ。 「何《なに》を、ミリヤアド。」 「私《わたくし》なくなりますと、あなた何《ど》うします。」  ※[#「さんずい+(戸の旧字+犬)」、第3水準1-86-83]《なみだ》ながら、 「そんなことおつしやるもんぢやありません。」 「いゝえ、何《ど》うします。」と強《つよ》くいへり。 「そんなことを、僕《ぼく》は知《し》りません。」 「知《し》らない、いけません、みんな知《し》つて居《ゐ》る。かはいさうで、眠《ねむ》られません。眠《ねむ》られません。上杉《うへすぎ》さん、私《わたくし》、ョ《たの》みます、秀《ひで》、秀《ひで》。」  予《よ》は頭《かうべ》より氷《こほり》を浴《あ》ぶる心地《こゝち》したりき。折《をり》から風《かぜ》の音《おと》だもあらず、有明《ありあけ》の燈影《とうえい》いと幽《かすか》に、ミリヤアドが目《め》に光《ひかり》さしたり。 「秀《ひで》さんのこと思《おも》はないで、勉強《べんきやう》して、ね、上杉《うへすぎ》さん。」  予《よ》は伏沈《ふししづ》みぬ。 「かはいさう、かはいさうですけれども、私《わたくし》、こんな、こんな、病氣《びやうき》になりました。仕方《しかた》がない、あなた何《ど》うします。かはいさうで、安心《あんしん》して死《し》なれません。苦《くる》しい、苦《くる》しい、かはいさうと思《おも》ひませんか。私《わたくし》、あなたをかはいがりました。私《わたくし》を、私《わたくし》を、かはいさうとは思《おも》ひませんか。」  一《ひと》しきり、また凩《こがらし》の戸《と》にさはりて、ミリヤアドの顏《かほ》蒼《あを》ざめぬ。其眉《そのまゆ》顰《ひそ》み、唇《くちびる》ふるひて、苦痛《くつう》を忍《しの》び瞼《まぶた》を閉《と》ぢしが、十分《じつぷん》時《じ》過《す》ぎつと思《おも》ふに、ふとまた明《あき》らかに※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》けり。 「肯《き》きませんか。あなた、私《わたくし》を何《なん》と思《おも》ひます。」  と切《せつ》なる聲《こゑ》に怒《いかり》を帶《お》びたる、りゝしき眼《め》の色《いろ》恐《おそろ》しく、射竦《いすく》めらるゝ思《おもひ》あり。  枕《まくら》に沈《しづ》める顏《よこがほ》の、あはれに、貴《たふと》く、うつくしく、氣《け》だかく、C《きよ》き芙蓉《ふよう》の花片《はなびら》、香《かう》の煙《けむり》に消《き》ゆよとばかり、亡《な》き母上《はゝうへ》のおもかげをば、まのあたり見《み》る心地《こゝち》しつ。いまはハヤ何《なに》をかいはむ。 「母上《おつかさん》。」  と、ミリヤアドの枕《まくら》の許《もと》に僵《たふ》れふして、胸《むね》に縋《すが》りてワツと泣《な》きぬ。  誓《ちか》へとならば誓《ちか》ふべし。 「何卒《どうぞ》、早《はや》く、よくなつて、何《なん》にも、ほかに申《まを》しません。」  ミリヤアドは目《め》を塞《ふさ》ぎぬ。また一《ひと》しきり、また一《ひと》しきり、刻《きざ》むが如《ごと》き戸外《おもて》の風《かぜ》。  予《よ》はあわたゞしく高津《たかつ》を呼《よ》びぬ。二人《ふたり》が掌《たなそこ》左右《さいう》より、ミリヤアドの胸《むね》おさへたり。また一《ひと》しきり、また一《ひと》しきり、大空《おほぞら》をめぐる風《かぜ》の音《おと》。 「ミリヤアド。」 「ミリヤアド。」  目《め》はあきらかにひらかれたり。また一《ひと》しきり、また一《ひと》しきり、夜《よ》深《ふか》くなりゆく凩《こがらし》の風《かぜ》。  ※[#「示+申」、第3水準1-89-28]《かみ》よ、めぐませたまへ、憐《あはれ》みたまえ、亡《な》き母上《はゝうへ》。 底本:「鏡花全集 第二卷」岩波書店    1942(昭和17)年9月30日第1刷発行    1973(昭和48)年12月3日第2刷発行 入力:山崎正之 校正: 2024年9月23日作成 ※この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。 ※鏡花全集・別巻に収録されている「解題」(村松定孝)の中に、鏡花による本作の回想が引用されています。ここに紹介しておきます。 (昭和三年九月刊行の春陽堂版「明治大正文學全集」の『泉鏡花篇』より) 「一二三四五六の卷より續けて、新年の『文藝倶樂部』に誓の卷を稿せしは、十一月下旬なりき。 また一しきり、また一しきり、大空をめぐる風の音。 此の凩、病む人の身を如何する。 「みりやあど。」 「みりやあど。」 目はあきらかにひらかれたり。また一しきり、また一しきり、夜深くなりゆく凩の風。 樋口一葉の、肺を病みて、危篤なるを見舞ひし夜なり。こゝを記す時凄まじく凩せり。此の凩、病む人の身を如何する。穉氣笑ふべしと言はば言へ。當時ひとり、みづから目したる、好敵手を惜む思ひ、こもらずといはんや。」 「誓之卷」が書かれた十一月下旬とは1896年のことです。一葉はこの年の11[#「11」は縦中横]月23[#「23」は縦中横]日に亡くなっています。 なお、「ミリヤアド」は金沢にあった北陸英和學校の英語教師ミス・ポートルをモデルとしているとのこと。村松氏は「秀」のモデルとされている湯浅|茂《しげ》さんにも直接話を聞いておられます(「あぢさゐ供養頌―わが泉鏡花―」)。