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北京旅日記

4年に1回開かれる International Congress of Mathematicians (略称 ICM)が、 今回は北京で開かれた。 数学の世界での最大のお祭りである。長年、 『太陽の少年』 の舞台となった北京を見てみたいと思っていたので、これに合わせて北京に 遊びにいってきた(2002.8.19 -- 8.26)。 (やまさき まさゆき)

※日記中「のり」とあるのは、一緒に旅をした連れ合いの呼び名である。


●8月19日(月)

台風が近づいており前日からやきもきしていたが、進み方が遅いせいもあり、 8:17のバスに乗るために家を出たときは、幸いにも雨は小降りでとても助かった。 以後、東上線・山手線・京成線(特急)のいずれも順調で、11時には成田空港に 着いた。11:30からチェックイン。その後食事をした。

パキスタン国際航空PK853便で2:00発の予定であったが、若干遅れた。到着も 遅れた。

検疫・入国審査・税関と通り過ぎ、到着ロビーへ。ICMのプラカードをもった 人たちを見かけたが、まず銀行へ。とりあえず6万円両替した。そのあと リコンファームのためパキスタン航空のオフィスへ行ってみたが、もう5時を すぎておりドアは閉まっていた。あとで電話でリコンファームすることにして、 再び到着ロビーへ。ICMのサポーター(北京大学の大学院生)のところに戻り、 会場(北京国際会議中心)へのシャトルバスにつれていってもらう。1台出発 するところで、残念ながらこれには乗れなかった。あとでわかったがS大の Cheng さん(元同僚)がこれに乗っていてぼくたちを目撃したそうだ。

さて、シャトルバスで会場に着き、なにはともあれ登録を行う。 予約していた京劇のチケットも貰う。貰ったショルダーバッグには プロシーディングの第2巻と3巻などがはいっていてずっしりと重い。 首からぶら下げるネームカードを見せると北京の地下鉄やバスがただに なるからタクシーに乗る必要はないですよ、と教えてくれた。これは ラッキー!

Cheng さんたちとタクシーで観光するという話もあったのだが、この様子では 会えるかどうかわからないので、22日の万里の長城ツアーのチケットを2枚購入。

そのあとコンピュータ・ルームに行き、メールをチェック。幸太郎(息子)や シネマジャーナルの宮崎さんにメールを出す。 (あとでわかったが息子へのメールは届いていなかった。 アドレスを間違えたはずはないんだけど。) Web版のメールを使ったので、 キャッシュを消しておこうと思ったのだけれど、普段使ったことのない IEでメニューの構造がよくわからない。しかもメニューが中国語なのですごく 探しにくい。けっこう時間がかかってしまった。

ホテルにいくため、コンピュータ・ルームにいたサポーターに地下鉄にいくバスに ついて尋ねたら、わざわざ資料をプリント・アウトしてくれた。会場の出口に いた人にのりがトイレの場所を英語できいたがどうにも通じない。そこで のりが「厠所在[口那]兒?」といったらイッパツで通じて「アー、WC」だって! 英語で聞くときは"bathroom"とか"toilet"ではなく"WC"がいいみたい。 そういえば、近頃日本ではWCという言い方は聞かない……。

通りまで出てバス停を探そうとしたが、そこにいたサポーターは英語はうまいが 地理には全く詳しくない。そこに色んな人が寄ってきて色んなことをいいだした。 結局ベレー帽と制服のかっこいいお兄ちゃんが崇文門なら108のバスに乗れ! ときっぱりと言ったのに従うことに。北京大学の院生とは逆にこの人は英語は だめそうだけど、地理には抜群に詳しく、しかもすごくきびきびしている。

バス停までは5分くらい歩くらしい。ところがうっかり道を間違えてしまい バス停が見つからない。またベレー帽に制服のお兄さんが二人立っていたので、 今度はぼくが「公共汽車站在[口那]兒?」と聞いてみると、目の前の通りを指さして 「一直往前走!」と教えてくれた。通じたじゃないの!「謝謝!」 無事バス停にたどりついた。そこへちょうど108のバスがきたので二人で飛び乗った。

バスの中に液晶テレビがあるのにびっくり。姜武のでる離婚した男女と その子どもたちを描いた映画の宣伝とかジャッキー・チェンと藤原紀香の デュエットのMTVとか、色んなものが流れていた。一番前には日本でもあるような 次のバス停の案内などが表示されていてわかりやすい。車掌のおねえちゃんは 少年っぽく、ぼくの好みのタイプ。切符を買う人はいないかと呼びかけ続ける。 ぼくたちはネームカードをみせてOK。これは便利。

終点が「崇文門」なのだが「崇文門」で下車したら、もうひとつ本当の終点の 「崇文門」があったらしく、目的地までしばらく歩かなければならなかった。 宿泊するのは「北京新世界万怡酒店」。なかなかきれいなホテル。 結局チェックインしたのは10時頃になった。

食事がまだだったのでホテルのそばの「永和大王」という店にはいった (チェーン店らしく、その後北京のあちこちで見かけた)。最初に 入口で注文して支払いをすませるという方式。牛肉ラーメンや餃子、油条などを 軽く食べた。

デジカメを充電しようと、デジカメの充電器具を見ると220Vまで OKと書いてあった。知らなかった! しかも、浴室には110Vのコンセントも あったし、なにも日本で変圧器を買う必要はなかったんだ! よかった〜、買った変圧器を持ってくるのを忘れて……(^^;




バスの車内



後日撮った「永和大王」の写真
手前は駐輪場

●8月20日(火)

6:30に起きた。部屋(12F)の窓から下を見ると、古い家屋を取り壊したあとが 広がっている。あとでわかったのだが、ここにはマンション群が建つのである。 ところどころ家が残っている。公衆便所らしいものも残っていて、近所から 人が来ては用事をすませて帰っていく。工事をしている人もいる。 (毎朝見ていると大体朝6時頃には作業が始まるようだ。夜は8時過ぎまで やっている。のんびりやっているように見えるが1週間でのはかどり方は けっこう早かった。)

朝食はバイキング方式で、宿泊料に含まれている。おいしかった。

朝食後、公衆便所のまわりの空地になっているところをずっと散歩。 ところどころに残っている家にはまだ人が住んでいることがわかる。 いなくなったところから順にどんどん壊していくらしい。

さて、この日の午前中の予定は『太陽の少年』関係の場所を訪問すること。


まだ使われている公衆便所

まず最初に Oka Mamiko さんのホームページ「亞細亞とキネマと旅鴉」 紹介されていたミーランのアパートを見に行くことにする。「張自忠路」にある北京人民大学資料中心を さがす。シネジャの宮崎さんも北京で 夏雨くんにインタビューした後、 連れて来られた場所で、通りからは門の中に入らないとなかなかわからない場所で、中は 主にアパートになっているようだと聞いていた。

108のバスに乗り、適当な場所でおりて張自忠路の西の端を見つけ、 道路の南側を東に向かって歩く。しばらくして通りの反対側の塀の中になにやら 見慣れた屋根が!! 門をはいると正面が探していた資料中心のビル。ロの字型に なった建物の裏側が映画で何度も出てくる入口。まわりは映画の撮影の時より 木が増えている。入口に向かって左には小屋があったほずだがなくなっている。 そしてピンポンの台が置いてある。ピンポン台だけではない。そのあたり一帯には お年寄りのためのトレーニング器具がいっぱいあって、たくさんの人が利用している。 周りにはアパートがいっぱいあり、そこに住む人たちのために設置されているのだ。 器具を使わず同じ場所をゆっくりゆっくり一歩一歩ふみしめながら歩いている おじいさんもいる。

門から外に出て通りの反対側、ちょうど「張自忠路」のバス停のあるあたりからも 写真をとる。近くからは屋根がよく見えないが、遠くからだと屋根も少し 見易くなる。



アパート入口で記念写真


アパート入口から庭を望む


小軍が先回りするとき登る階段


別角度から


張自忠路からの門

さて、次の目的地は、別の不良グループとけんかして、シャオチュン(小軍)が 煉瓦で相手の頭をなぐってしまうシーンの舞台「東四六条」。 映画の中ではこの名前のかかれた表示板がちらっとうつる。それを探しだして 写真に撮りたかった。しかし西の端から東の端まで歩いたが、そのような ものは見つけられなかった。東に向かって歩いているとき、正面に煙突が見えた。 ひょっとして映画の中で小軍が登るあの煙突かと思ったが、近寄ってみると 形が全くちがっていた。





東四六条

さて、さらにその次は、小軍が住んでいるという設定の「内務部街11号」を 訪れることにする。映画で公安に捕まった小軍が自分の住所をいう場面では、 日本語字幕がこれと違っているが、VCDでの中国語字幕や台本では、このように なっている。地図によると内務部街に行くにはかなり南下しなければいけないよう なので、バスで移動することにする。見当をつけて降りてみたがちょっと早まって しまったようでさらに歩いて南下する。バスに乗ったあたりはこの道路は すごく狭く車がすれ違うのがやっとというかんじだが、このあたりは拡張工事中 である。それにともなって家々もずいぶん壊されて空き地ができている。 ちょうど『ただいま』に出てきたような景色が見られる。 道路に、元の幅を示すように電信柱が並んでいるのが面白い。工事のせいも あってどこが内務部街なのかわかりにくい。南に向かって歩いていると、 のりが左手(東の方)に煙突を発見! 形が映画に出てきたものにそっくり。 歩道の工事や空き地になっているところを無理やり横切って近づこうとするが なかなか近寄れない。煙突の北側を歩いてみたが、入口のない建物が切れ目なく ずーっと続いていている。

一度道路に近い方まで戻って今度は南側からのアクセスを試みる。 門があったのではいろうとするが、門衛のお兄ちゃんに止められる。 外部の者はノートに名前を書かなければいけないようだ。さらに誰を訪ねるのかも 書かなければいけないらしい。英語は通じないようなので、煙突がみたいと 中国語でいいたいのだが、どういっていいのかわからない。仕方なく紙切れに 煙突の絵を描いて指差す。まわりに集まってきた暇そうなおばさんたちが、 「イェントン、イェントン」と言っている「煙」は「イェン」だから「煙突」 といっているらしい。映画の『太陽の少年』にでてくる煙突かも知れないので みてみたいというようなことを必死に言ってみる。なにがしたいかはわかったようだ。 とても人の良さそうな若者で、『いれてあげたいんだけど……』という雰囲気は すごく醸し出していたのだけれど、結局だめだということになる。何しろ ここは軍の関係施設(北京軍区聯勤部 禄米倉干休所 No.73)なので、 無理にというわけにはいかない。お兄ちゃんと煙突のツーショットだけ とらしてもらう。

で、落ち着いてこの場所のをよく見てみると、映画の中で少年達がバトミントンを したり、ミーランを待ったりする場所(台本では「大院門口」となっている) となんとなく雰囲気がよく似ている。すっかり新しく綺麗になっているけれど、 ひょっとしてここがロケ地かも?!



なお、帰国後写真と映画をじっくり比べてみると、いくつか異なる点が見つかった:

  • 煙突の形は似ているが、避雷針と手すりの位置関係、手すりの形が違っている。
  • 入口の右手は映画では煉瓦の塀がずーっと続いているが、この場所では 赤い煉瓦の壁はあるが、店がいくつも並んでいる。
  • 門の中のビルがけっこう古そうに見える。映画撮影後に建てられたもののようには 見えない。
内務部街の近くにはこのような場所がたくさんあるのだろうか。 ともかく中国語をしっかり話せるようにならないとこれ以上の探索は無理。

なお、この場所の向かい側は全部壊されていて、昔の様子は全くわからなく なっていて、そっちの手がかりはなにもない。

この施設の入口のある通りは「禄米倉胡同」といって、これを 大通りに出たところに24番のバスの「禄米倉」停留所がある。 大通りは南に下ると北京駅に行き着く。このあたりでの名前は 「朝陽門南小街」である。


道路工事中


煙突を北から眺める


 


ガードと煙突


禄米倉胡同
塀ではなく店が続いている



入って右手も塀ではなく店


全体の雰囲気は似ている

地図によると、我々は内務部街を通り過ぎてしまったようなので、 一度戻って写真にとったが、特に見るべきものはなさそうな気がしたので 東の端をみただけで、通り抜けることはしなかった。 今考えると、通り抜けておくべきだったかな、とも思う。 (もしどなたか、この道を調べられた方がありましたら、結果を教えて下さい。)

その後、再び禄米倉胡同に戻り東端まで通り抜け、地下鉄朝陽門駅まで 歩いて地下鉄に乗り、ホテルに帰った。

昼御飯はホテルに帰る途中で買った包子を部屋で食べてすませた。一個一元。 中華風あんドーナツのような包子が旨かった。シャワーを浴びてから、 ホテルを2時頃出発。


内務部街東端


朝陽門南小街から見える煙突

午後は、人民大会堂で開かれる ICM のオープニングセレモニーに出席するのである。 式は3時から始まるが、15分前には入場しておいてほしいとのこと。ハンドバッグ 以外のかばんや、高級カメラは持ち込み不可なので、ぼくはデジカメだけを持ち、 入場券はのりのハンドバッグに入れて貰う。

地下鉄「前門」でおりて上に出るとそこでOR大のTさんにばったり! Tさんは北京駅のそばのホテルに泊まっておられるらしい。いっしょに、 会場に向かう。ところが入場チェックの場所で、ハンドバッグを一時預けに 預けろと言われてしまう。話が違うので困る。ひとりの西洋人のお兄ちゃんは 延々と抗議をしていた。なにしろ国際会議中心から団体バスで来た人達の チェックはルーズで、ICMのかばんをもってうろうろしている人たちの 姿がそこからでも見えるので、ちょっと頭に来る。預かり料は2元。

式典ではフィールズ賞およびネバンリナ賞受賞者の発表や、えらい人の挨拶がある。 みんな同じようなことを喋るのでいいかげん飽き飽きしてくる。江沢民主席が 出席されたのはちょっと驚きだった。来ると約束したという話は聞いていたが 結局代理の人になるのではと思っていたからだ。だけど、あとで人に聞くと 主席がなにか言ったら、それはもう絶対的な決定事項になり、それを 変更することなどはありえないのだそうだ。写真も撮ってみたが、遠くて わかるような画像にはならなかったのが残念。

休憩になり、トイレにいく。このとき知り合いの中国人とばったり。 また11月から大阪へ来て2年間滞在する予定とのこと。記念写真をとる。

休憩のあと、受賞者3名の仕事の紹介が行われる。紹介者が皆、PowerPoint を 使う。そんなもの使わなければいいのに、皆、途中でおかしくなったり、 フリーズしたり、トラブル続き。なにかしようとしてメニューを出しても 中国語なものだから、立ち往生。こういう大事なときにはあまり凝ったことを しないでOHPとかもっと安定して使える無難なものにしておけばいいのにね……。

セレモニーのあとは2階に移動して、レセプション。なお、セレモニーのときも、 それから後日みた京劇のときもそうであったが、この場所でも、席やテーブルが 偶数と奇数で半分にわけられており、それに気づかないといくら一生懸命 探しても自分の席が見つからない。中国では偶数と奇数にわけるのが好きらしい。 なんでかな。

会場はすごく冷房が効いていて、のりは頭痛に苦しんだ。


人民大会堂の前で
のりとTさん



メインのホール


その天井


遠くに見えるステージ


地下鉄の広告
リッチーの歌のもじり?
参考:美留さんのページ



地下鉄の広告
『こころの湯』に出演したプー・ツンシン



●8月21日(水)

この日は天安門広場・故宮・景山公園・北海公園と精力的に観光する。 夜はホテルと隣接する新世界デパートで買い物。DVDを5枚買う: 『那時花開』『尋槍/The Missing Gun』『我的淘気女友/猟奇的な彼女』 の3本とナー・インとフェイ・ウォンのDVD(と思ったら、全然別の人が 歌っているカラオケ用のDVDで、がっくり)。 『猟奇的な彼女』は地下鉄駅の売店でも映画の写真入り小説を売っていた。 かなりヒットしたようすが伺われる。

『那時〜』『尋槍』そして後日購入の『大腕』の3本は 帰国後、自宅のテレビではうつらなかった (何がうつっているかは大体わかるし音も聞こえるけど、映画を楽しむことはできない --PAL方式?)のでパソコンで鑑賞。 ちょっと迫力に欠けてしまうのが残念。 ほかの3枚はOK。

『尋槍』は都会での話かと思っていたら、思いっきり田舎の話で ちょっとびっくり。それからDVDのケースには寧静の写真が 大きく出ているけれど、これは完全に姜文ひとりの映画。24日北京大学で 見かけたポスターでは姜文だけが大きく写っており寧静は下にちょっぴり でているだけで、これが妥当な配分。寧静に期待して見ると、期待はずれ。 そうでなければ面白い映画だと思う。『大腕』は故宮や王府井の建物とか、 娃哈哈(ワハハ)のパロディとか出てきて、北京滞在者にはとても楽しめる映画。だけど、 ケースには英語字幕もあるように書いてあるのに、実際は中国語字幕だけ。 字幕の選択はできない。『那時〜』は『太陽の少年』の夏雨くんが出ているので 非常に期待したが、ちょっと退屈すぎてまだ最後まで見ていない。 周迅の退廃的な雰囲気はぼくにはあまり合わないようだ。 『猟奇的な彼女』はすでに韓国語版を持っているので、最初の部分だけ見て、 とりあえず満足して終わり。

昼ごはんは北海公園のレストランで宮廷料理の一番安いセット(100元/人)を 食べた。これはNHK中国語会話で出てきたところ。

晩御飯はデパートの5階で一人10元で済ませた。おいしかった。


故宮…『大腕』にでている場所


[イ方]膳の料理
真中のなまこはちょっと……



デザートのおかし


ウェイトレスさんと一緒に


●8月22日(木)

ICMの万里の長城ツアーに参加。ツアーの出発点のICM会場まで行くのに 108のバスを使ったが崇文門から1時間くらいかかってしまい、 地下鉄で安定門かその次くらいまでいってからバスを使うべきだったと思った。 ツアーでは、行きにバスがスピード違反で捕まったり、万里の長城でひとり40分 待っても帰ってこないので置いていってしまったこと以外は特に書くこともない。 万里の長城は体を鍛えていかないとだめ。それから夏は着替えを用意して いくか、おみやげのTシャツを購入する必要がある。

夜は北京ダックを食べる。ただ、ICM会場から崇文門までバスで2時間もかかった のには、まいってしまう。地下鉄を使うべきだった(とまた同じことを悔やむ)。 どんどん注文したので一人100元以上かかってしまった。


ここまでくるだけでも汗でどろどろ


●8月23日(金)

午前中は琉璃廠で買い物。午後は前門を歩いて『大腕』のDVDを購入。 店の前の『猟奇的な彼女』のポスターの前で写真を撮った。そのあと、 天壇公園の観光。夜は王府井の観光。小吃街でラーメンのようなものを 食べたりハミ瓜を食べたりした。そのあと東方新天地のマクドナルドで 飲み物をのんで休憩。


『猟奇的な彼女』(笑)

リッチー・レンのアイスティー

『大腕』にもでてきた教会

劉暁慶の脱税が話題に
彼女は『太陽の少年』のプロデューサー



小吃街で食事


●8月24日(土)

講演を聴くためこの日はICM会場へ出かけた。なにはさておき、メールの チェック(実はホテルでもパソコンを使わせてくれることをあとになって 知った)。すると、なんとびっくり! 以前『太陽の少年』関係でお世話になった方から、 「『太陽の少年』の中国語版DVDを2枚購入したので1枚差し上げましょうか?」 とのメールが来ていた!! この方もごく最近北京に来ておられたようだ。 わざわざ僕のために余分に購入してくださったようで、ほんとにうれしい…。

講演を聴いたあと、Chengさん・Tさんと出会う。 『太陽の少年』関係の探索をしようと思っていたが、中止して、4人で 観光にでかけることにする。植物園の臥仏寺・香山の碧雲寺・円明園などを 観光後、北京大学の数学研究所を見て、その後、学内のレストランで夕食。 S大におけるChengさんの同僚Sさんも参加。ここはChengさんのおごり。 お返しは日本でしてくれたらいい、と言われてしまう。吉野屋でもいいかな……。

普通の場所の観光より、廃墟(円明園の西洋楼跡)のほうが感慨深いものが あるように感じるのはぼくだけ?


西洋楼跡

北京大学

北京大学で『尋槍』上映


馮小寧監督の作品も


●8月25日(日)

前日、『太陽の少年』関係の企画がつぶれてしまったので、再度挑戦。まず、 もう一度「禄米倉」へ行き写真を撮る。「内務部街」も撮る。 そのあと胡同を歩いて朝陽門へ。随分家が壊されている。引っ越し先の 需要が多いのだろう、アパートの広告をたくさん見た。

地下鉄で「西直門」へ移動。目的地は北京展覧館。西直門は動物園へ行く人目当ての 輪タクが多い。あたり一帯が大工事中ですごい状態になっている。展覧館では 食品関係の博覧会をやっていた。とにかく展覧館のお星さまを撮りたいので中に 入りたい。入口に人だかりがしている。そこに行って2枚チケットをくれというと 何か言い返されるがわからない。ごちゃごちゃやりとり(とは言えないようなもの)を していたら、のりがかばんにしまっていたICMのネームカードを出せという。 ネームカードを出してそれを見せたらOKで券をただでくれた。どうも名刺を出せ、 と言っていたらしい。のりが「私がわかるのに、あんたがなんでわからんのだ!」 と鼻息が荒い。のりも疲れてきたようだ……。さからわないことにする。

中で「娃哈哈」の水を買って飲む。美味しい。結局ここでは見るものはなにも なかった。会場内の食堂から外を覗くと、北展劇場が見える! もうここはいいので、 外に出て、北展劇場へ向かう。ありました、ありました! ここで映画を撮ったんだ〜。 うれしい……。いっぱい写真を撮る。ペットボトルをもってきておけばよかった。


北展劇場・階段

映画で出てくる部分

次に「モスクワ・レストラン」へ。外から見るだけで感動……。見ていると けっこう普通の格好をしたおっさんもはいっていくので、Tシャツ姿にもかかわらず、 二人で中へ入ることにする。中はすっごい綺麗! かっこいいお姉さんが 喫煙席がいいか禁煙席がいいか聞いてから、席へ案内してくれる。ちょうど 2人がけの席が空いていた。高いのでぼくは青島ビールの生とスパゲッティを 頼んだ。他の人はデザートまでいっぱい頼んで豪華な食事をしていた。 ただ、ビールは旨かったけど、スパゲッティは大学の学生食堂並の味だった。 十分休んで、トイレに行って外へ出た。トイレは映画の時と同じ場所にあった。

映画で「先生は西単から来た」というせりふがあったので、一応念のため、 帰りに西単に行った。北京図書大厦へ行ってみたが、あまりに人が多くて疲れるので ざっと1階だけ眺めてホテルへ戻った。途中、売店で「看電影」という雑誌を 買った。張芸謀の新作「英雄」の章子怡が表紙だったので。付録はなんと 『ラブソング』のポスター。うれしい……。でもなんで今頃?

ホテルでテレビを見ていたら、映画とその主題歌を扱った番組をやっていた。 古くて知らないものばかりなので、ぼうっと見ていたら、突然聞き覚えのある 歌が!! これは『太陽の少年』で小軍が望遠鏡を覗くときに鼻歌で歌っていた あの曲!! ちゃんと題を見ていなかったけど、「英雄」という歌のようだった。 うむ……、「英雄」続きだ……。

最後の夕食はまた新世界デパートの5階で8元ですませた。そのあと、建国門の 長安大戯院で京劇鑑賞。ICMでの貸切状態。「覇王別姫」もあったが、あまり動きが 派手ではないので、それほど受けていなかった。

ホテルに帰ってまたテレビを見ていたら、YUKIちゃんのMTVが!! あわてて デジカメを探したが間に合わず、がっかり。歌っていたのは「我是女生」。 スタジオ出演者がMTVが終わっても、これを歌っていた。けっこう流行ったのかな?


不動産広告


北京展覧館


チャウ・シンチーの広告


モスクワ・レストラン


レストラン内部


内部の階段


回転扉を内側から





●8月26日(月)

朝8:30のPK852で帰国の途へ。ただし、出発は1時間近く遅れた。 夢のような一週間が終わった……。


●最後に:

ICMにはほとんど顔を出すつもりはなかったので、事前登録だけはしたものの、 ホテルの斡旋は依頼せず、ダウンタウンのホテルを勝手に手配した。 遊びが目的だから研究費や公の旅費は一切使わず自前の旅である。 だから職場への届も、出張届ではなく旅行届。

旅には「るるぶ中国'00〜'01」「地球の歩き方・北京2001〜2002版」を持参した。 若干古いのは、前々から購入して眺めていたためである。「地球の歩き方」に 綴じ込まれている地図は裏にバス路線が載っており、非常に役だった。 ただ、本文において、地名の読みがカタカナでしか書かれていないため、 四声がわからない。その点「るるぶ」の方は、重要な地名・固有名詞にピンインが 書かれていてとても便利であった。

『太陽の少年』のロケ地情報に関しては上でもリンクした 「亞細亞とキネマと旅鴉」 のサイトがとても役に立った。

スケジュールがタイトで、映画館に行く暇がなかった。これはまたの機会に!



大きいサイズの画像は こちら および こちら に置きました。重いです。

カミさんの北京旅日記はこちら>> http://urban.ivory.ne.jp/noriko/arc/tsurezure/2002.html#d0819


(2003.11.17)
8/20、8/24の日記に出てこられるTさん(岡山理科大の玉村章枝さん)が、 2003年11月5日、逝去されました。 今年の夏もフィンランドの研究集会に参加されるなど、お元気に活躍しておられたのに……。 玉村さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

(2004.4.3)
玉村さんをしのぶページが出来ているのを知りました。 手術後のお元気そうな写真を拝見して、どうしてあんなことに…… と思わずにおれませんでした。3月に筑波で学会がありましたが、 その時岡山大学のMさんが、トポロジー分科会の部屋に入ったとき 玉村さんの姿を探してしまった、と言っていました。 本当に亡くなられたというのが未だに信じられない気持ちです。
http://www11.plala.or.jp/nayama/tamamura/