「太陽の少年」FAQ集

[最終更新日:Sept. 30, 2006]
答のないものがたくさんあります。情報の提供をお待ちしています。 また誤りの指摘もよろしく。 参考にした資料は劇場で販売されていたパンフレットの他、 「誕生」、「中日辞典(小学館)」、 「中華電影物知り帖(キネマ旬報臨時増刊 No.1196)」、 「キネマ旬報2月下旬決算特別号」、「シネマジャーナル」、 現中映の中国ビデオ在庫リスト などです。 iask.com のサイト検索質問ページ検索も役立ちます。

Q.先生の帽子に石炭をいれたのは誰なのですか?
A.もしあれが幻想でないとすれば、やったのはおそらくヒツジ(
  一番前の赤い服をきた少年)ではないでしょうか。他に考えら
  れません。


Q.コンサート会場の前で警察に捕まったとき、仲間はどこにいっ
  たのでしょう。あのときの少女はどうなったのでしょうか?
A.知りません(^^;。


Q.あの会場は何という建物ですか?
A.「北京展覧館」だそうです。「太陽の少年」が最初に上映され
  た劇場のうちのひとつだそうです。この映画で何度もでてくる
  モスクワ・レストランもここにあるそうです。[写真など]


Q.文化大革命のさなかにサングラスをかけてスカートをはいて街
  をぶらぶらしていてもよかったのでしょうか?
A.知りません(^^;。


Q.ミーランは何才ですか?
A.原作では19才ということになっています。
  ちなみに、シャオチュンはミーランに自分が16歳だといいま
  すが、原作では一歳サバを読んでいると書いてあります。


Q.あの映画で、どこまでが真実でどこからがシャオチュンの幻想
  や記憶違いなのでしょうか。
A.わかりません(^^;。


Q.シャオチュンは望遠鏡を覗いていてミーランの写真を見つけま
  すが、その時ベッドのそばの壁には明らかに写真がありません
  ね。これはどういうことなのでしょう。
A.これもシャオチュンの想像あるいは記憶違いなのでしょう。望
  遠鏡を覗くことによって幻想の世界を見るという設定は、乱歩
  の「押絵と歩く男」を連想させます。


Q.そのミーランの写真のアップからペイペイの顔のアップへと続
  きますよね。今思えば全然違う顔なんですが、初めて見たとき
  は区別がつかず、同じ人なのかと誤解してしまいました。どう
  してあんな紛らわしいことをしたんでしょうか。
A.誕生パーティの時のナレーションで、「もしかしたら、写真の
  少女とミーランは別人ではなかったか? ペイペイはどこに行
  ったのだろう。あるいはペイペイとミーランは同じ人間だった
  のではないか。……」と言っていますが、それを先取りしてい
  るのではないでしょうか。


Q.シャオチュンがミーランのアパートで好きな本の話をしますね。
  あれは誰の何という本の話なんですか?
A.《鋼鉄はいかに鍛えられたか》《アブ》《青春の歌》《苦菜花》
  と字幕に出ますが、《鋼鉄…》はロシアのオストロフスキーと
  いう人の自伝的な作品だそうです。古本屋で岩波文庫を探して
  見て下さい。シャオチュンの「ポールとトーニャが好きだな。
  彼女が資産階級になるのは哀れだった」というせりふがおかし
  いですが、これは《鋼鉄…》のことでしょうか? 立ち読みし
  て見ましたら、確かに最初のところにトーニャという女の子が
  出て来ます。
   《青春の歌》は原題が「青春之歌」でヤン・モー(楊沫)が
  1958年に出したベストセラーだそうです。30年代の抗日
  救国運動を闘うなかで成長していく若い女性を描いているそう
  です。翌年映画化もされています。監督はツォイ・ウェイ(崔
  嵬)。


Q.本の話をした後、ミーランがシャオチュンに「この間私に会い
  に来たでしょ。おばあちゃんがそういってたわ」といって、そ
  れをシャオチュンが否定する場面がありますよね。それからずっ
  とあとで唐山から帰って来たシャチュンがミーランのアパート
  を訪ねて、おばあちゃんが「だれだい?」とでて来る場面があ
  りますよね。これって、ほんとは、順が逆なんじゃないでしょ
  うか。
A.つまり「だれだい?」のシーンが先にあって、ミーランがその
  ことをシャオチュンに聞いているというわけですね。そうだと
  思います。ただ、唐山から帰ったときもミーランのアパートに
  訪ねていくシーンがあり、似たシーンの重複をさけるために、
  最初の方をカットしたというほうが、より正確なのかもしれま
  せん。


Q.子供たちが「1918年のレーニン」を見ているときに大人が
  見ていた映画は?
A.「羅馬大戰」というらしいです。


Q.その場面で軍老幹部として特別出演していたファン・ホア(方
  化)さんは、体調が悪く、医師の付き添いのもとに出演された
  とききましたが……。
A.この映画の公開を待たず亡くなられました。この人はずっと日
  本の軍人ばかり演じてきたそうで、今回の解放軍の老幹部役を
  非常に喜ばれたようです。監督のチアン・ウェンは「新聞の死
  亡記事に最後の出演映画としてこの映画がのったことで、滞っ
  ていた審査を通過することができたような気がする。」と語っ
  ています。


Q.「1918年のレーニン」の前に上映されていたのは?
A.「紅色娘子軍」(監督:謝晋、1960)らしいです。
Q.ほんとですか? 1971年のバレー映画「紅色娘子軍」ではない
  ですか。調べてみたら、その他にも京劇版のものもあるようで
  す。
A.ごめんなさい。嘘をいってしまったようですね。どれも、現代
  中国映画鑑賞会で購入できるようですので、自分で確認してく
  ださい。「こうしょくじょうしぐん」と読むそうです。


Q.シャオチュンはなぜどしゃぶりの雨の中を自転車で走っていた
  のですか?
A.その前のレストランでのシーンとの間に、実は、酔っぱらった
  イクーがシャオチュンにミーランとの関係を告白するシーンが
  あったのです。完成版ではカットされました。


Q.他にカットされているのはどのような場面があるのですか?
A.「1918年のレーニン」が上映された翌朝、ミーランを自転
  車で農場の近くまで送るシーンがありますが、そのあと、西洋
  人4人とのからみのシーン(シャオチュンの夢)があります。
  この4人の俳優の名前は最後のクレジットで出てきます(外国
  鬼子甲乙丙丁として)。ここでシャオチュンの読んだ本の設定
  がでてきます(シャオチュンがポールで、ミーランがトーニャ)。
  また、「1918年のレーニン」の話もまざってきます。


Q.「1918年のレーニン」とはどういう映画ですか?
A.1939年の作品だそうです。観てみたいですね。
  IMDBの記事に若干の解説があります。
  黒石ともみさんの「映画の中のロシア文化」第2章でも言及さ
  れています。
  ミーランが「10月のレーニン」と言い間違えますが、そちら
  は1937年の映画です。


Q.いつも棒を持っている人と会うときに、「グルーム!」「オウ
  バ!」というやりとりがありますが、あれは一体なんですか?
  グルームというのはあの人の名前ですか?
A.不明です。
  こちらとか、こちらに同じ質問が出ています。「1918年の
  レーニン」で出てくるという説があるようです。


Q.シャオチュンがミーランに襲いかかる前、ミーランのアパート
  の中を一周しますね。そのときにはミーランの影も形もなかっ
  たのに、突然ミーランが現れます。彼女は一体どこにいたんで
  しょう?
A.知りません(^^;。ベッドの下に隠れていた……わけもないでしょ
  うし、衣装戸棚の中に隠れていた……わけでもないですよね。
  ちょうど反対側を動いていたのかも。


Q.ミーランが足首につけている鍵は何の鍵なんですか? あんな
  ところにつけていて使いにくいのではないかと思いますが。
A.知りません(^^;。


Q.ミーランは襲いかかってきたシャオチュンを逆に押さえつけ、
  ビンタを見舞いますが、なぜかその後、シャオチュンのズボン
  を脱がそうとしますね。一体どういうことなのでしょうか?
A.女心はわかりません(^^;。カットされているイクーの告白の場
  面で、「お互いの服を脱がせあったが、彼女の方が積極的だっ
  た」との発言があるので、それが頭に残っていて、シャオチュ
  ンの妄想がふくらんだのかもしれません。


Q.最後の現代の場面は不要な気がしますが……。せっかくの美し
  いラストがぶちこわしではないでしょうか? 頭がおかしくなっ
  たイクー(?)の姿はあんまりですし、他の人もとても通俗的
  な人物に見えます。
A.それが大人になるっていうことなのかも……。少年時代がいっ
  そう引き立ちませんか? 贔屓の引き倒しでしょうか?


Q.最後のモノクロ画面のバックグラウンドの歌は、ニン・チンが
  歌っているのですか?
A.いいえ、澤娜卓瑪というチベットの歌手が歌っています。


Q.日本ではどのくらいの人がこの映画をみたのでしょう?
A.テアトル新宿での興業収入が 3,869万円だそうですから、2万
  人ちょっとですね。他の劇場でも上映されていますし、今でも
  映画祭などで上映されていますから、合計はもっと多くなりそ
  うです。レンタル・ビデオで見た人もあるでしょう。



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